映画音楽の巨匠、エンニオ・モリコーネの生涯に恋する珠玉のドキュメンタリー『モリコーネ 映画が恋した音楽家』 | Numero TOKYO
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映画音楽の巨匠、エンニオ・モリコーネの生涯に恋する珠玉のドキュメンタリー『モリコーネ 映画が恋した音楽家』

2020年7月、世界は類稀なる才能を失った。エンニオ・モリコーネ、享年91歳。1961年以来、驚異的な数の映画とTV作品の音楽を手がけ、アカデミー賞には6度ノミネートされ『ヘイトフル・エイト』(2015)で受賞し、2006年にはその全功績を称える名誉賞にも輝いた。弟子であり親友でもあるジュゼッペ・トルナトーレ監督が、その伝説のマエストロに5年以上にわたる密着取材を敢行。結果として生前の姿を捉える最後の作品となってしまったドキュメンタリー映画『モリコーネ 映画が恋した音楽家』を完成させた。

エンニオ・モリコーネの91年の生涯に迫るドキュメンタリー

映画音楽というジャンルを代表する作曲家、エンニオ・モリコーネ。1928年11月10日、イタリアのローマで生まれた彼は、1961年のデビュー以来、生涯で手掛けた映画・テレビ音楽はなんと500作品以上。2020年7月6日、91歳で惜しまれつつ亡くなったが、そんな偉大なるマエストロ(巨匠)の晩年の姿をとらえた珠玉のドキュメンタリー映画が届いた。

本作『モリコーネ 映画が恋した音楽家』の監督を務めたのは、ジュゼッペ・トルナトーレ監督(1956年生まれ)。モリコーネとは親子ほど年齢が離れているが、そのキャリア後期を彩ったベストパートナーのひとりであり、あの大人気作『ニュー・シネマ・パラダイス』(1988年)で初めてタッグを組んでから、映画音楽での遺作となった『ある天文学者の恋文』(2016年)までふたりのコラボレーションは続いた。

プロデューサー陣がドキュメンタリー制作の話をモリコーネに持ちかけたとき、「ジュゼッペが撮るならやってもいいが、彼以外ならダメだ」と答えたという。結果、5年以上にわたる密着取材が行われた。深い信頼関係で結ばれた仲だからこそ、カメラの前で赤裸々な本音や葛藤、作曲術や仕事の信条、名作の知られざる裏話まで、数々の天才の秘密が明かされていく。

「私は医者になりたかったが、トランペット奏者の父親が私を音楽院に入れたんだ。私は何も決めていない」――。

気さくな口ぶりでモリコーネから放たれる言葉は、とにかく意外な発言の連続だ。サンタ・チェチーリア音楽院で作曲を学び、イタリアの現代音楽を代表する作曲家のゴッフレード・ペトラッシ(1904年生~2003年没)に師事。だが卒業後、早くに結婚したモリコーネが手がけることになるのは、「食うための仕事」としての映画音楽だった。当時はこの職種の地位が低く、若き日のモリコーネはせっかくアカデミックな音楽の教育を受けたのに、商業的な作曲の仕事を請け負うことに屈辱すら感じていたという。

しかし皮肉にも本人の意に反して、まさに映画音楽においてモリコーネ独特の才能は華々しく開花していく。世界的な注目を集めるきっかけになったのは、マカロニ・ウエスタン(イタリア製西部劇)の嚆矢のひとつである画期作、セルジオ・レオーネ監督の『荒野の用心棒』(1964年)だ。実はレオーネとモリコーネは幼なじみで、小学校の同級生。久々に再会してすぐ意気投合したふたりは、新進の映画監督&音楽家としてタッグを組み、口笛を大胆に取り入れたテーマ曲「さすらいの口笛(Titoli)」は全世界で大流行。この映画に主演したクリント・イーストウッドは語る。「当時、あれほどオペラ的な西部劇の音楽はなかった」――。

こうしてマカロニ・ウエスタンという新興ジャンルの独特の様式を完成させたパイオニアとなったレオーネ&モリコーネは、離れられない名コンビとなる。『夕陽のガンマン』(1965年)、『続・夕陽のガンマン』(1966年)、『ウエスタン』(1968年)、『夕陽のギャングたち』(1971年)からレオーネ監督の遺作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(1984年)まで一貫してタッグを組み続けた。

この『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』の音楽はアカデミックな場所でも高く評価され、かつて「商業音楽に魂を打った」とモリコーネを無視していた学友が、彼に謝罪の手紙を書くという会心の一作となった。ちなみにモリコーネの恩師ペトラッシは彼の仕事をずっと応援しており、特に『夕陽のガンマン』の音楽を高く評価していたとのこと。しかしモリコーネ自身は「もっと他に良いものがあるのに、と思っていたよ」と愚痴をこぼすのが可笑しい。

もちろんモリコーネは幾多の業界的な仕事をこなしながら、実験的な作曲家の顔を捨てなかった。そんな彼がフリーランスの職人としての葛藤を見せるあたりでは、面白いエピソードがてんこ盛りである。例えばモリコーネが最もうんざりしていたのは、ひとつの作品がヒットすると「あれと同じようなものを」という形の依頼が続くこと。また自分が気に入っている音楽と、他人が褒めるものや大衆の好みに結構なズレがあることも気にしていた。『アンタッチャブル』(1987年)では、あの有名な乳母車が駅の階段から落ちるシーンで、モリコーネがいちばん選んで欲しくなかった曲を、監督のブライアン・デ・パルマが選んだり。

こうした経験を踏まえ、モリコーネは自分の作品を“一般人の視点”で判断するべく、愛妻のマリアを頼ることにした。
「自分が書いた曲に正確な判断は下せない。そこで妻のマリアに聴いてもらうことにした。監督に聴かせる曲は、妻が気に入った曲だけだ」。

ちなみにトルナトーレ監督との『ニュー・シネマ・パラダイス』に関しては、「心から楽しんで仕事ができた」らしい。アカデミー賞には6度ノミネートされ、クエンティン・タランティーノ監督と組んだ『ヘイトフル・エイト』(2015年)で受賞。2007年にはその全功績を称える名誉賞にも輝いた。

このドキュメンタリーには、モリコーネを敬愛する70人以上の著名人が証言者として登場する。ベルナルド・ベルトルッチ、ダリオ・アルジェントや、ウォン・カーウァイなどの映画監督から、映画音楽家の後輩であるハンス・ジマーやジョン・ウィリアムズ、さらにブルース・スプリングスティーンやジョーン・バエズ、元クラッシュのポール・シムノンといったミュージシャンまで……まさしくその影響力の広大さを知らしめる圧巻の人選だ。同時に、初公開となるプライベートな映像が、チャーミングな人間性と妻への美しい愛を浮き彫りにする。

本作の編集作業中にモリコーネは亡くなった。だがこれからも、モリコーネの遺したメロディを聴くだけで、我々の胸は高鳴り、映画に涙した瞬間がよみがえるだろう。これほど映画音楽への愛と幸福に満ちたドキュメンタリーは他にない。そしてあらゆる既成の枠組みを飛び越え、破格の偉業を成し遂げたマエストロは、さりげなくこう語るのだ。
「映画音楽家は何でもできないと務まらない。交響曲からポップスまで、ね」――。

『モリコーネ 映画が恋した音楽家』

監督/ジュゼッペ・トルナトーレ『ニュー・シネマ・パラダイス』『海の上のピアニスト』
出演/エンニオ・モリコーネ、クリント・イーストウッド、クエンティン・タランティーノ、ベルナルド・ベルトルッチ、ウォン・カーウァイ、ハンス・ジマー
1月13日(金) より、TOHOシネマズ シャンテ、Bunkamuraル・シネマほか全国順次公開中
https://gaga.ne.jp/ennio/

©2021 Piano b produzioni, gaga, potemkino, terras
配給/ギャガ

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Text:Naoto Mori Edit:Sayaka Ito

Profile

森 直人Naoto Mori 映画評論家、ライター。1971年、和歌山県生まれ。著書に『シネマ・ガレージ~廃墟のなかの子供たち~』(フィルムアート社)、編著に『ゼロ年代+の映画』(河出書房新社)ほか。『週刊文春』『朝日新聞』『TV Bros.』『シネマトゥデイ』などでも定期的に執筆中。 YouTube配信番組『活弁シネマ倶楽部』でMC担当中。

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