壊れた過去も美しくよみがえる──。映画『金の糸』 | Numero TOKYO
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壊れた過去も美しくよみがえる──。映画『金の糸』

ジョージアの激動の時代を生きた伝説的な女性監督ラナ・ゴゴベリゼ。彼女が91歳にして、日本の“金継ぎ”に着想を得て描いた過去との和解の物語『金の糸』。女性作家エレネとその人生に関わった人々の過去、そしてソヴィエト連邦下の記憶とは。

失われた時を求めて――91歳の先駆的な女性監督ラナ・ゴゴベリゼの最新作。
日本の「金継ぎ」に着想を得た、ジョージアの激動の歴史に基づく愛と再生の物語

2015年4月まで日本ではグルジアと呼ばれていた、ジョージア。東ヨーロッパと西アジアの交差点に位置し、かつてはソ連の構成共和国であったこの国は、長いあいだ激動の歴史に翻弄されてきた。

本作『金の糸』はジョージアを代表する映画監督のひとりであり、1960年代から長篇映画を発表し続けている先駆的な女性監督、ラナ・ゴゴベリゼ(1928年生まれ)の27年ぶり、91歳にしての新作である。ちなみに彼女の母親のヌツァはジョージア初の女性の映画監督。また娘のサロメも映画監督として活躍している。女性3代に渡り映画作家の系譜が続いているという、まずはこの異例の貴重な事実を知る必要があるだろう。

物語の舞台はジョージアの首都トビリシ。旧市街の片隅にある古い家で娘夫婦たちと暮らす作家のエレネ(ナナ・ジョルジャゼ)は、今日79歳の誕生日を迎えた。だが家族の面々はそのことに関心を示さず、エレネは孤独にキーボードを叩きながら、プルーストの『失われた時を求めて』に想いを馳せる。

足を悪くして、普段杖をついているエレネは、あまり外には出られない。ベランダで煙草を吸いながら、隣人たちとのおしゃべりを楽しむ毎日だ。そんな中、突然昔の恋人であるアルチル(ズラ・キプシゼ)から電話が掛かってくる。誕生日を祝う電話だ。アルチルも足が不自由になり、いまは車椅子で生活している。実に60年ぶりに会話を交わすふたりは、若き日に朝までタンゴを一緒に踊ったことを思い出す。

まもなく、エレネの娘の夫の母親であるミランダ(グランダ・ガブニア)が、この家に引っ越してくる。独り暮らしを営んでいたミランダは、最近アルツハイマーの症状が出始め、ガスの栓を閉め忘れたことで危うく火事になる事故を起こしかけた。そこで家族と共に住むことになったのだが、エレネと彼女には因縁があった。ミランダはソ連時代に政府の高官を務めており、自由な作家活動を望んでいたエレネは、体制の番人だったミランダに対して苦い過去を抱えていたのだ。

昔からプライドの高いミランダは、まだ青年同盟の第三書記を務めていた頃の意識のまま。西洋文化に染まった現在のジョージアを嘆き、ソ連統治時代を懐かしむ。「立派な国だったのにね。秩序があったもの。あの頃は“向こう”の真似をしなくてよかった」――。

そこから、エレネとアルチル、ミランダの三者をめぐっての過去と現在が複雑に交錯していく。これはラナ・ゴゴベリゼ監督のオートフィクション(自伝的作品)に近い物語だ。スターリン独裁時代に母親が収容所へ送られ、自身の作家活動も当局によって抑圧されてきた主人公エレネには、ゴゴベリゼ監督自身の歩みが投影されている。そういった祖国の歴史と重なり合う過去の痛みを、いかに乗り越えて未来に向かうか――が本作の主題となる。

当初は『野の花』というタイトルだったが、ゴゴベリゼ監督は日本の「金継ぎ」という伝統技術を知り、タイトルを『金の糸』(英語題:“THE GOLDEN THREAD”)に変更。割れた器を金で修復すると、器は美しく丈夫になる。そんなふうに過去と和解できたら、という願いがこの『金の糸』というタイトルに込められている。「生きたいなら過去に囚われてはいけない。過去を破壊してもいけない。金の糸で継ぎ合わせるの」(エレネの台詞)。

この映画では人生の落葉期とでも呼ぶべき視座から、「生きる」ことの肯定性を深く見つめる。空間設計で印象深いのはエレネの家だろう。石畳の中庭を囲んで古い木造の集合住宅が建ち並び、さまざまな住人が日々の生活を営んでいる。その中でエレネはソ連の厳しい弾圧を振り返り、つらい時代にもあった甘い過去と、心の未来をベランダから幻視する。

「私たちは年金暮らしのロミオとジュリエットね」などと、エレネとアルチルが電話で重ねる知的でエレガントな会話も魅力的だ。ロシアの作家、パステルナークの小説『ドクトル・ジバゴ』の中に登場する詩「冬の夜」などについて語り合いながら、エレネはふとこう呟く。「過去を乗り越えたなら、あとは未来を楽しむだけ。30歳だろうが50歳や90歳だろうが関係ない」――。

まさしく波瀾万丈の運命を潜り抜けたひとりの映画作家が、自身の心境を重ねた主人公の姿を通して、私たちが「未来を楽しむ」ために必要な人生のヒントをそっと与えてくれる。ちなみにこの傑作の公開に先駆けて、岩波ホールでは「ジョージア映画祭2022 コーカサスからの風」と題された特集上映が行われた(2月25日で終了)。オタール・イオセリアーニ監督の初期作品など、ソ連統治時代の貴重なジョージア映画がたくさん上映されたのだが、『金の糸』は、このまだまだ知られざる映画王国の珠玉作たちに出会うための入口としても最適かもしれない。

『金の糸』

監督・脚本/ラナ・ゴゴベリゼ
出演/ナナ・ジョルジャゼ、グランダ・ガブニア、ズラ・キプシゼ
2月26日(土)より岩波ホールほか全国順次公開
moviola.jp/kinnoito/

©️ 3003 film production, 2019

Text:Naoto Mori Edit:Sayaka Ito

Profile

森 直人Naoto Mori 映画評論家、ライター。1971年、和歌山県生まれ。著書に『シネマ・ガレージ~廃墟のなかの子供たち~』(フィルムアート社)、編著に『ゼロ年代+の映画』(河出書房新社)ほか。『週刊文春』『朝日新聞』『TV Bros.』『シネマトゥデイ』などでも定期的に執筆中。 YouTube配信番組『活弁シネマ倶楽部』でMC担当中。

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