祝・ヴェネチア国際映画祭銀獅子賞!『スパイの妻<劇場版>』いよいよ公開 | Numero TOKYO
Culture / Post

祝・ヴェネチア国際映画祭銀獅子賞!『スパイの妻<劇場版>』いよいよ公開

昭和初期の日本を舞台に愛と正義を賭けた、超一級のミステリーエンタテインメント映画『スパイの妻<劇場版>』が公開される。ヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞を受賞した黒沢清監督の最新作だ。

祝・ヴェネチア国際映画祭監督賞(銀獅子賞)!
精鋭陣と組んだ「黒沢清チーム」による破格の歴史サスペンスドラマ

2020年9月13日に届いた、映画ファンを驚喜させた朗報――。世界三大映画祭の一つ、第77回ヴェネチア国際映画祭で、黒沢清監督の最新作『スパイの妻』が監督賞(銀獅子賞)に輝いた。日本映画では2003年(第60回)の北野武監督『座頭市』以来の同賞受賞となる。出演は今年公開の『ロマンスドール』(監督:タナダユキ)でも夫婦役を演じた、蒼井優高橋一生

これは黒沢清監督にとって初の歴史ドラマ。舞台は太平洋戦争前夜の日本。1940年、神戸で貿易会社を営む優作(高橋一生)は、渡航先の満州で恐ろしい国家機密を偶然入手する。彼は国家への反逆者となることもいとわず、それを世に知らしめようとする。妻の聡子(蒼井優)は戦慄しながらも、夫とともに生きることを誓うが――。

脚本は黒沢監督の「教え子」とのコラボレーションである。東京藝術大学大学院の映像研究科で黒沢に師事した、濱口竜介、野原位とのオリジナル共同脚本だ。濱口と野原は「はたのこうぼう」というユニット名でも活動しており、2015年に第68回ロカルノ国際映画祭で最優秀女優賞を受賞した濱口監督の『ハッピーアワー』などを手がけた。周知のとおり、濱口は2018年(第71回)のカンヌ国際映画祭に出品された『寝ても覚めても』などの監督でもある。

本作『スパイの妻』の絶妙な面白味は、主に濱口+野原の個性で構築した物語を、黒沢監督が演出段階で自らの世界像に変換したとおぼしき趣に仕上がっていることだ。

あえてこの映画をジャンルで区切るなら、「妻もの」ということができる。例えば増村保造監督の『清作の妻』(1965年)や『華岡青洲の妻』(1967年)、あるいは『妻は告白する』(1961年)、『妻二人』(1967年)のような。これらは「妻」という夫の従属的な言い回しをタイトルに掲げつつ、むしろ「妻」の主体をサブからメインへと反撃させる主題性を持っていることが多い。『スパイの妻』も然り。蒼井優演じる聡子は、困難な運命に突き進む夫について行くと宣言することで、「妻」の立場や意味を攻撃的に反転させていく。正義や大義に向かう夫。それを凌駕するエネルギーで、愛に生きる妻。

濱口+野原の『ハッピーアワー』は神戸で暮らす30代女性の四人組をヒロインとしたもので、「妻もの」の極めて優れた応用形ともいえる。その意味で『スパイの妻』は濱口+野原ラインの色が強いのだが、しかし黒沢清の手にかかると、戦争という巨大な不条理に無力な人間が直面したときの、なす術のない呆然とするような恐怖の様相がどんどん太くなっていくのだ。

高橋一生演じる夫・優作が、妻をヒロインにして自主映画を撮っている設定が興味深く、映画全体のキーポイントにもなる。優作が使っているフィルムはフランスのパテ社が開発した9.5mmの「パテベビー」。日本でも大正末期にパテベビーが富裕層の間に普及して、昭和初期には小型映画・個人映画のちょっとしたブームがあった。ちなみに1940年はパテベビーの最後の時期。1941年に太平洋戦争が始まると入手が難しくなり、8mmなどの時代に移行していく。

この優作が監督した(もちろん実際は黒沢組が撮っているわけだが)短編フィルムの出来が、本気で素晴らしい。だがそこに実はまがまがしいものが映っている……という恐ろしい展開に沿って、『スパイの妻』にはホラー的な厄災が色濃く宿っていく。

黒沢監督とのコラボレーションという点で脚本と同様に重要なのは、まず音楽の長岡亮介だろう。ペトロールズや東京事変、星野源のサポートなど、ギタリストとしての多種多様な活動で知られる彼が、初めて映画音楽を手がけたことも話題だ。そして美術の安宅紀史。『叫』(2006年)『岸辺の旅』(2014年)『クリーピー 偽りの隣人』(2016年)『散歩する侵略者』(2016年)などに続き、なんと今回で黒沢組の仕事は8本目。黒沢=安宅タッグはぶっ飛び具合が最高で、今回も歴史劇という体裁を取りながら、既成のコードに規定された世界の安穏に歪みを生じさせるような、異様な空間を生み出している。

しかし思えば、その現実を不条理に歪ませる「異様さ」こそが戦争の正体なのかもしれない。『スパイの妻』の夫婦は映画好きで、太平洋戦争の前は二人そろって山中貞雄監督の『河内山宗俊』(1936年)を映画館で観たりするし、「溝口(健二)の新作」のことが日常の話題にのぼる(1940年の新作だと『浪花女』になる)。だが開戦するとやがて街は破壊され、映画の灯もしばらく途絶えていく。ひとつの世界の終わり、また何かの始まり――これぞ黒沢清の映画群に一貫する感覚だ。例えば『回路』(2000年)などと併せて観賞することをお薦めしたい。

『スパイの妻<劇場版>』

監督/黒沢清
出演/蒼井優、高橋一生、東出昌大、坂東龍汰、恒松祐里、笹野高史
脚本/濱口竜介 野原位 黒沢清
音楽/長岡亮介

10月16日(金)より全国公開
wos.bitters.co.jp

配給/ビターズ・エンド
配給協力/『スパイの妻』プロモーションパートナーズ
©2020 NHK, NEP, Incline, C&I

Text:Naoto Mori Edit:Sayaka Ito

Profile

森 直人Naoto Mori 映画評論家、ライター。1971年、和歌山県生まれ。著書に『シネマ・ガレージ~廃墟のなかの子供たち~』(フィルムアート社)、編著に『ゼロ年代+の映画』(河出書房新社)ほか。「週刊文春」「朝日新聞」「TV Bros.」「シネマトゥデイ」などでも定期的に執筆中。 YouTube配信番組『活弁シネマクラブ』でMC担当中。

Magazine

JANUARY / FEBRUARY 2025 N°183

2024.11.28 発売

Future Vision

25年未来予報

オンライン書店で購入する