Numero TOKYOおすすめの2022年5月の本
あまたある新刊本の中からヌメロ・トウキョウがとっておきをご紹介。今月は、テレビアニメ『平家物語』などでも話題の古川日出男の新作、「メタヴァース」という言葉を生んだ伝説的作品の新版、そして能町みね子があふれる猫愛を綴ったエッセイ。
『曼陀羅華X』
著者/古川日出男
価格/¥3,630
発行/新潮社
重なる〈語り〉がグルーヴする、野心的スペクタクル
テレビアニメ『平家物語』と、2022年5月28日に公開される劇場アニメーション『犬王』の原作を手がけたことにより、世の脚光をいつにも増して浴びている古川日出男。そんな古川の最新長編となる本作は、さまざまな問いかけに満ちた野心的な作品となっている。
1995年、地下鉄にサリンを撒いた、ある宗教団体によって作家の「私」は拉致監禁され、2種類の予言書──聖書にあたる叙事詩の〈表〉と、教団の工作員に向けた戦闘マニュアルである〈裏〉の予言書──の執筆を強要される。虚構であったはずの予言が現実において実行されていく中、「私」はあるものを奪って教団を脱走する。そして作家だからこそできる方法で、ある目的を果たすために再び創造力を駆使しはじめる。そしてまた、「私」の予言によって一人の信者から教団の教母となった「わたし」も、ある行動を起こしはじめる。
物語は「私」と「わたし」、さらに第二部からは「私」の創造力によって新たに誕生したDJの「ワタシ」の3人の語りによって描かれていく。そして最終章にあたる第三部では、「私」と「わたし」と「ワタシ」の語りが重なりあい、まるで音楽かのようにグルーヴしながら、クライマックスへと突き進んでいく。
この文学的かつ音楽的な体験をすることを目当てに、本書を手に取るのもひとつの選択だと思う。しかし読み進めるうちに、〈集団〉に対して〈個人〉に何がなせるのか? 〈善悪〉や〈理非〉の二者択一だけですべてを説明できるのか? など、さまざまな問いが物語の中にあることに気づかされるはずだ。
本作にはプロローグとエピローグはない。しかし、もしプロローグが現実世界において起きた事件だとしたら、エピローグの内容は読み手である私たちの創造力/想像力にゆだねられているともいえる。作中で「私」が語る、「ステレオタイプではない文学をするならば、ここまで来い」という言葉が著者からのメッセージのように響く、圧倒的かつ野心的なスペクタクル。
『スノウ・クラッシュ〔新版〕』上・下
著者/ニール・スティーヴンスン
訳/日暮雅通
価格/各 ¥1,188
発行/早川書房
〈メタヴァース〉の語を生んだ、再注目される伝説的SF
『七人のイヴ』などの作品で知られるニール・スティーヴンスン。彼が1992年に発表し、日本では約20年ぶりに復刊された本作。Googleの共同創業者であるラリー・ペイジやセルゲイ・ブリンをはじめ、数々のテック系企業の創業者がファンを公言しているほか、オンライン上の仮想世界を指す〈メタヴァース〉という言葉を生んだ作品としても、2022年のいま再び注目を集めている。
物語の舞台となるのは、連邦政府が無力化し、資本家やマフィアによるフランチャイズ国家が国土を分割統治する近未来のアメリカ。マフィアが経営する高速デリバリーピザの配達人として、しがない日々を送る主人公のヒロ・プロタゴニストだが、かつてアヴァター技術を開発した凄腕ハッカーとして、メタヴァースでは一目置かれている。
ある日、メタヴァースで〈スノウ・クラッシュ〉という謎のドラッグを手渡されるヒロ。そのドラッグを試した、かつてのハッカー仲間のアヴァターは制御不能となり、現実世界における身体までもが意識不明に陥ってしまう。配達中に偶然知り合った、スケートボードとガジェットを自在に操りながら国家間を駆けめぐる〈特急便屋〉の少女Y・Tとともに事件の調査に乗り出すヒロ。しかし気づかぬうちに、巨大な陰謀へと巻き込まれていってしまう。
30年前に発表された作品とは思えぬ未来的な世界観や、現在におけるアメリカの状況を予言するかのような舞台設定など、著者の先見性につい意識がいってしまうが、本作の魅力のひとつが壮大な〈言語SF〉としての面白さだ。作中ではプログラミングがひとつのキーとして描かれるが、どんなプログラムもコードもある種の〈言語〉であることを再認識させられる物語は、知的好奇心を刺激してくれる。また、ヒロに負けず劣らず活躍するY・Tが、なんともチャーミングなキャラクターとして描かれているのも外せない魅力だ。文庫で上下巻と決して短くはない物語だが、ぜひY・Tの虜になりながら一気読みしてみてほしい。
『私みたいな者に飼われて猫は幸せなんだろうか?』
著者/能町みね子
写真/サムソン高橋
価格/¥1,540
発行/東京ニュース通信社
発売/講談社
猫への想いを赤裸々に綴った、ユーモアと愛に満ちたエッセイ
ツイッターに「猫不足」「全日本猫さわりたい選手権(猫飼ってない部門)で今いいところまでいけそう」と投稿する程度には、猫に対して特別な想いを抱いていたものの、猫と暮らしたい気持ちはうっすらとしかなかったという能町みね子。そんな能町が、いかにして夫(仮)のサムソン高橋に「猫ババア」と称され、「世界一かわいいとしか断定できない」という愛猫と一つ屋根の下で暮らし始めたかを綴った本書。
対面する以前から湧きつづける未来の愛猫への想いによって猫ハイとなると同時に「私みたいな者に飼われて猫は幸せなんだろうか?」と思いつめ、マタニティブルーならぬ「ネコニティブルー」にすら陥ってしまう能町。家に迎えてからもその愛はとどまることを知らず、愛猫を猫かわいがりする「妖怪猫ババア」へと進化すらしてしまう。
こう書くと、猫のかわいさについてひたすら描いた凡庸なエッセイのように思われそうだが、そんなことは決してない。本書冒頭で「『不幸だからおもしろい』反対!『幸せでつまんない』を目指すぞ!」と宣言し、恥も外聞もかなぐり捨てて愛猫がもたらす多幸感によって変容していく内面を包み隠さず綴った文章は、人間の価値観を激変させる愛の力というものがこの世に実在することを証明しており、暗いニュースばかりが流れる日々に一条の光明をさしてくれる。
なお、能町みね子によるエッセイ作品の中で一二を争うと断言してよいほどに本書はユーモアに満ちており、特に「ネコニティブルー」から抜け出すエピソードは腹筋を震わせずにはいられない内容となっている。電車など公共機関での移動中に読まれる際は、どうか吹き出してしまわぬよう十分にご注意を。
Text & Photo:Miki Hayashi Edit:Sayaka Ito