Numero TOKYO おすすめの2021年2月の本
あまたある新刊本の中からヌメロ・トウキョウがとっておきをご紹介。今月は韓国の映画監督によるエッセイ、最果タヒの新刊、異色の時代物ミステリまで。
『きらめく拍手の音』
著者/イギル・ボラ
訳/矢澤浩子
本体価格/¥1,800
発行/リトルモア
静かにきらめく世界の存在を伝える、珠玉のエッセイ
ソウル国際映画祭や山形国際ドキュメンタリー映画祭など、さまざまな映画祭で賞を獲得した長編ドキュメンタリー映画『きらめく拍手の音』(2014)。その監督であり、音の聞こえないろうの親を持つ聴者〈コーダ(CODA。Children of Deaf Adultsの略)〉であるイギル・ボラ氏によるエッセイ。
ろう者の両親のもと手話言語を母語として育ち、幼少時代から両親の通訳をしていたという著者。コーダという言葉との出会い、ろう文化が発展しているアメリカで体験した驚きをきっかけに着手したドキュメンタリー映画の制作を通して自身の人生を見つめ直した道のりを本書では描き出している。
日本語版あとがきの中で、映画制作と原著執筆の過程について「振り返ってみると、私にとってそれは、アイデンティティを確立する道のりであったのだ」とつづられているように、本書で描かれる内容は決して軽いものではない。ろう者と聴者の世界の境界の上に独りでいると思っていた著者が、さまざまな人々との対話と思索を重ねることによって、2つの世界をつなげる“語り手”としての自己を認識するまでの年月を記録したセルフドキュメントと表現したほうがしっくりくるくらいだ。
作中では「ろう」を「障害」としてしか見なさない社会の問題についても触れられるが、手話言語になじみのない読者が読みづらさを感じることはないと思う。むしろ優れた“語り手”である著者による「ろう者の心の奥底にある話まですべて打ち明けることができる」手話言語の豊かさを描く文章に、楽しい驚きを感じながら引き込まれていくはずだ。目に映る景色に新たな価値を与えてくれる、貴重な一冊。
『夜景座生まれ』
著者/最果タヒ
本体価格/¥1,200
発行/新潮社
言葉の宇宙から届く「私」を縁取るリリカルな光
紙面やインターネットなど文章情報を伝達する媒体にとどまらず、無数の「詩になる直前」の言葉が展示された空間の中で観客が能動的に詩を見つけ出すインスタレーションや、建築とのコラボレーションなど、既成概念にとらわれない“詩のかたち”も世に送り出しつづけている最果タヒ。彼女の第8詩集となる本書では、書き下ろしを含む43編が所収されている。
詩の中に何を見いだすかは、触れたときの心境や状況に大きく左右されるため一概に言えないが、所収された作品の中には上辺の情報だけで“私”のパーソナリティを決めつけ、“私”だけのものであるはずの感情を勝手にラベリングすることで結束できると信じきっている人々への違和感を描いたと感じられるものもある。“私”が“私”であり続けることをリリカルに願う言葉は、社会に立ち込める重たい空気をつらぬくように、凛と心に響いていく。
また、あとがきでは「自分しか自分の言葉を持っていないような感覚の中で」行う詩作は「自分を更新していくこと」であり、「それはきっと、生きることと同じです」と、誓いのような文章もつづられている。詩家人生におけるマイルストーンとなる予感を覚えずにはいられない、さらなる精彩を放つ最新詩集。
『信長島の惨劇』
著者/田中啓文
本体価格/¥780
発行/早川書房
武将たちが連続殺人の謎に挑む、異色のミステリ作品
例え歴史にそこまで詳しくなくても、一度はその名を聞いたことがあると思われる本能寺の変。織田信長の家臣であった明智光秀が反旗を翻した理由については諸説あるが、動機を明らかにする史料は現存せず、いまだ真相は謎に包まれている。
この本能寺の変における謎を題材にしつつ、アガサ・クリスティーの『そして誰もいなくなった』にオマージュを捧げた時代ミステリ作品である本書。死んだはずの信長を名乗る人物から手紙が届き「向後のことを相談したい」と三河湾に浮かぶ小島へと招かれる羽柴秀吉、柴田勝家、高山右近、徳川家康の4人を主軸に物語は展開していく。
信長に仕えていたものの、彼に対して後ろ暗さを抱える4人は手紙の最後に記された「余は知っておるぞ」という言葉に気が気でない。信長とともに死んだと思われていた森蘭丸、丹後の細川家に幽閉されているはずの光秀の三女・お玉などによる出迎えを受けるも一向に姿を見せようとしない信長に対して疑念を抱く中、蘭丸が謎の死を遂げる。蘭丸の死は自分に無礼を働いた罰だという信長による声明文が出された後も、一人また一人と童歌の詩になぞらえながら不可解な形で殺されていく。残された面々は疑心暗鬼にかられながらも、真相に迫ろうとするが……。
明智軍と羽柴軍による山崎合戦が終結し、織田家の継嗣問題を話し合う清須会議が行われるまでの約2週間のあいだに起きた出来事として描かれる物語はフィクションである。が、その後の歴史と辻褄が合う内容となっており、いわゆる歴史改変小説とは異なる面白さがある。あらゆる真相を知った後に読み返せば、初読時とは違った景色が頭に浮かんでくる、再読必至の時代ミステリ。
Text & Photo:Miki Hayashi Edit:Sayaka Ito