Numero TOKYO おすすめの2020年6月の本
あまたある新刊本の中からヌメロ・トウキョウがとっておきの3冊をご紹介。
『コロナの時代の僕ら』
著者/パオロ・ジョルダーノ
訳/飯田亮介
本体価格/¥1,300
発行/早川書房
非常事態下のローマで綴られた、叡智あふれるエッセイ
イタリア文学界において最も権威ある文学賞とされるストレーガ賞を、デビュー長編『素数たちの孤独』で受賞したパオロ・ジョルダーノ。実に8年ぶりの邦訳作品となる本書は、新型コロナウイルス感染症拡大抑止策による自宅隔離の中で生じた「空白の時間」を使って綴られた感染症にまつわる27編のエッセイと、3月20日付で現地紙に寄稿した記事を収録している。
時節柄、感情を煽り立てるような内容を想像する人もいるかもしれないが、その先入観は確実に裏切られる。誰にでも起こり得る現象として感染症をわかりやすい比喩とともに数学的に解説しつつ、変容する社会との関わりを繊細ながらも平静な眼差しで綴ったエッセイは、かつては素粒子物理学の研究者だった作家だからこそ書けた、科学と人文学の叡智が融合した単なる随想以上の内容となっている。
4月末に日本で緊急刊行されてから既に1カ月ほどの月日が経過しているが、本書の魅力と読むべき価値は一切損なわれていない。むしろ感受性や危機への意識が鈍磨しつつある現在、緊迫した日々に感じていたことを忘却しないために、そして「『まさかの事態』に、もう二度と、不意を突かれないために」手元に置き続けるべき一冊。
『イエスの学校時代』
著者/J・M・クッツェー
訳/鴻巣友季子
本体価格/¥2,300
発行/早川書房
寓話的な物語で不条理を問う、ノーベル賞作家の新境地
『イエスの幼子時代』から始まる三部作の第二作となる本書。海を渡り、過去の記憶を捨てた人々が新しい人生を送る奇妙な街で出会った、初老の男・シモンと孤児の少年・ダビード。少年の母親となるイネスと犬が加わり、疑似家族の関係を築き上げた彼らが、ダビードを〈特別学習センター〉へと寄宿させようとする教育機関の手から逃れるために田舎町へと辿り着いたところから物語は幕を開ける。
果樹農園での住み込み生活を経て、数字神秘主義めいた〈ダンスアカデミー〉に入学することになるダビード。新たな暮らしのパターンが定まりかけた矢先にアカデミーで殺人が起こり、シモンたちは思わぬ形で事件に巻き込まれていく。“正しさ”とは何かと随所で問いかけてきた前作に続き、何かしらを“測る”ことで物事を統(す)べようとする仕組みへの疑問を投げかけてくる今作。前作よりも疾走感が増した不条理な物語は、社会的制度から逃げ続ける疑似家族の旅路の終わりが第三作『The Death of Jesus(イエスの死)』でどのように描かれるのか期待を高めてくれる。
また訳者あとがきで詳しく触れられているが、男性登場人物による女性の性の捉え方が、著者の過去作と明らかに違っているのも今作の特色のともいえる。これまでの著作の中で違和感や相容れなさを覚えた人にこそ、この変化を見届けてほしい。
『おおきな森』
著者/古川日出男
本体価格/¥4,000
発行/講談社
多元的な読書体験をもたらす、未曽有の“ギガノベル”
6つの“木”が組みあわさった漢字一文字の正式タイトル、辞典と見紛う厚みとなった単行本など、視覚的なインパクトが先行して注目されている古川日出男の最新作。900弱のページに綴られた壮大な物語は、異なる世界に存在する丸消須(まるけす)ガルシャ、坂口安吾、小説家である「私」の3人が軸となり駆動する。
列車の中で目覚めた記憶を持たない丸消須ガルシャは、車内で乗客が溺死する不可解な事件に遭遇する。薬物中毒の睡眠治療から覚醒したのち文士探偵となった坂口安吾は、失踪した高級娼婦の調査を依頼される。2011年の大震災によって物語が転換してしまった過去作を再執筆するために京都へと移り住む「私」は、執筆の合間に陸軍軍医だった伯父らしき人物の足跡をたどりはじめる。それぞれの世界の理に則りながら個々に抱えた謎を究明しようとする3人だが、互いの世界が干渉し始め、時空間を超越した異次元世界が出現していく。
ミステリでもあり、幻想小説でもあり、思弁小説でもある本作は決して単純明快な作品ではない。だが読む行為を妨げるノイズがない純一無雑の作品世界を一巡することに、思いのほか苦労を感じないはずだ。また、いくつもの文芸作品を包含し、物語が生まれる瞬間をも描き出す本作は多元的な読書体験をもたらしてくれる。稀有なボリュームがもたらす物理的な手触りとあわせて、小説家たちが創出させた世界を愉しんでほしい。
ヌメロ・トウキョウおすすめのブックリスト
Text:Miki Hayashi Edit:Sayaka Ito