
マリア・グラツィアがコレクションの発表の場を京都に選んだ理由を紐解きながら、ディオールがいかにして日本の伝統文化の継承に一役買っているのか、についても触れていきたいと思います。
私たちプレスが体験した、「ディオール 2025年フォール コレクションの世界観」を時系列でお伝えしていきます。
15日、早朝発の新幹線に揺られること2時間半。10時半すぎに京都駅に降り立った私たちプレスは、京都の冬並みの肌寒さにおおのきながら東寺へ。到着後、靴を脱いでプレスカンファレンスの部屋へ。

この日の夜に開催されるコレクションについて、五代龍村平蔵氏や京友禅 五代目・田畑喜八氏、福田工芸染繍研究所・三代目福田喜久氏らの話を聞き、マリア・グラツィアが京都の伝統工芸に魅了され、ムッシュ ディオールの足跡を辿りながら今回のコレクション制作に至った経緯など、あらゆる角度から説明がありました。現在、東京オペラシティアートギャラリーで開催中の「LOVEファッションー私を着がえるとき」展の京都国立近代美術館開催時に足を運び、そこからもインスピレーションを得たことにも触れ、1時間のカンファレンスは終了。
そのあと私たち一行は、東寺の「小子房」と呼ばれる、天皇や皇室をお迎えする迎賓館内を案内してもらいました。総木曽ひのき造りの部屋は6室あり、ふすまや壁画には堂本印象の絵が描かれています。
今回のマリア・グラツィアが(もちろんムッシュ ディオールも!)魅了された生地の製造元・龍村美術織物を創設した初代龍村平蔵のもと、学生だった堂本印象は織物生地の下絵を描いていたそうです。東寺と龍村美術織物、そこでショーを開催するディオール。三者が時空を超えて繋がった瞬間でした。
日本の浮世絵や織物などの文化に興味を持っていたムッシュ ディオールと、昨年130周年を迎えた龍村美術織物の初代・龍村平蔵とは、対面で会うことは叶わなかったものの深い関係がありました。
コレクションを見た翌日、今まで公開したことがない龍村美術織物の工場内を特別に見学させていただくことに。こちらには36台の織機と11人の職人/織方(おりかた)が在籍しています。(印象的には若い人がとても多かったです!)
龍村美術織物は江戸時代から皇室に製品を献上してきた由緒正しい織物工芸の生産者。1959年の上皇后美智子さまのご成婚時に始まり、1990年の紀子殿下、さらには1993年の皇后雅子さまのご成婚時にも龍村織物の「明暉瑞鳥錦(めいきずいちょうにしき)」という織物生地でローブデコルテ(ウエディングドレス)が作られたそうです。

「明暉瑞鳥錦」は絹の白地に鳳凰(ほうおう)や龍の図柄が金糸や銀糸で描かれている織物ですが、上皇后美智子さまがお召しになられたのは金糸の明暉瑞鳥錦。ちなみに上皇后美智子さまのローブはクリスチャン・ディオールの型紙を使って仕立てられたそうです。ムッシュ ディオールが日本の生地や織物に敬意を表していた証ですね。

紀子妃殿下は銀糸の明暉瑞鳥錦。

皇后雅子さまは金と銀のグラデーションで織られた明暉瑞鳥錦だったそうです。 皇室の“晴れの儀”を担われているのは、龍村美術織物が素晴らしい技術と信頼を得ている日本ブランドという証ですね。
1953年、日本からディオール社へ送られた多くの生地見本の中から、ムッシュ ディオールの目に留まったのが京都の龍村美術織物が仕上げた見本帳。
ヨーロッパ向けに作った図案ではなく、一緒に持参したこちらの見本帳が目に留まり、以下の3点を選ばれ。ディオールのコレクションに仕上げられました。
左から「Utamaro」「Rashomon」「Tokio」
金糸・銀糸で仕上げられた上品かつ艶やかな光沢を持つ絹織物「早雲寺文台裂」との出合いで、さらなる日本の織物の美しさに魅了されていったそうです。1954年、当時のディオールのクチュリエたちによって龍村織物美術の生地を使った「Utamaro」「Rashomon」「Tokio」の3作品が生まれました。
以前、ムッシュ ディオールが採用し、コレクションが仕上げられた生地。
その生地から、さらにマリア・グラツィアの意向を汲んで生み出された生地を使って、今回のコレクション2点が仕上げられました。拡大してみていただくと、現代的な風合いに変化しているのがわかります。
こちらは創業90年の福田工芸染繍研究所の引き染めの技術で染められた生地を使って、マリア・グラツィアがルックに仕上げたもの。着物で使う反物の幅より大きめに制作。水が豊富にある京都ならではの独特の染色技法だそうですが、合わせ部分がピッタリ合うように描くのが難しかったと、カンファレンスでご説明くださいました。美しいですね。
京友禅 五代目・田畑喜八により描き染められたルックは、オープニングにヴァイオリンを弾いていたLiliyoさんが着用されました。

ここからはちらりと龍村美術織物の工場内を案内しますね。
カイコから糸の束に仕上げ、染料をつかって鮮やかな糸束に。それを糸車で巻いて、糸に仕上げるまで、すべて手で行っていきます。
その昔、日本にもジャガードマシーンと同じ機織りの技術はあったのですが、とても大きく、上の人が今でいうジャガード装置。人力で2人1組で声を掛け合いながら行っていました。フランスの産業革命のころにできたジャガード織機では、上の人に変わって「紋紙」とよばれる穴の空いた台紙を使って、均等に柄を生み出すことができるようになったのだとか。
こちらのパンチカードのようなものが「紋紙」。柄によって穴の位置が異なります。人智とはすごいものです。
龍村美術織物には若い職人さんもたくさんいらっしゃいました。日本の伝統文化を支える、これからの若い職人さんに期待しつつ、職人に脚光をあてる伝統工芸への理解とリスペクトには脱帽です。今後も、ディオールと京都は、時空を超えて、そのヘリテージを塗り替え続けていくのでしょうね。
最後に、宿泊したホテルについて。今回の宿は、自然豊かな洛北に佇むラグジュアリーなホテル「ROKU KYOTO」でした。あまり写真がたくさんないのでサイトをご覧ください。
部屋に入るとディオールからのギフトがずらり。重ためのストールは、当日の気温が冬並の寒さであろうことを予想して、2週間前に手配してくださったものだそう。この大判ストールにくるまって、ショーを観覧していた人も多かったです。
私もそのひとり。 ショーを見た翌朝は素敵な朝食をいただき、龍村美術織物を見学し、KYOTOGRAPHYを数箇所巡って帰路へ。お疲れ様でした!!
Profile
Twitter: @akotanaka Instagram: @akoakotanaka