辞書で一度見たことあるか無いかくらいの言葉が、いつの間にか一般化していることって意外とよくある。
「ボタニカル」もまさにそんな言葉の1つ。「ボタニカル飲料」「ボタニカルシャンプー」・・・
「ガーデニング」、「グリーン」・・・と雑誌のコピーは手を替え品を替えしているけれど、
自然との共存は人間誰しも潜在的に持っている、普遍的な関心事なのだと思う。
しかし、やはりTrend wordには時代のmoodが反映されるもので、
あえて’Botanical’という言葉を謳って植物との暮しが描かれる背景には、それなりの現代人の欲求があるはずだ。
この展示に来て、その答えが解ったような気がする。
technologyの発展に従って、私たちのlifestyleは大きく変わってきた。
iphoneがあれば何でも出来ちゃう?時代。
私たちのidentityは膨大なデータの集積として、iphoneという片手サイズに納まっていると言っても過言ではない。
便利になった反面、急すぎるtechnologyの発展にcatch upするのに必死だというのも正直なところ。
現実(analog)世界で生きる人間の1人として、digital世界の何が違和感かって、
実態が無いこと、過程が見えないこと、時間を操作し得ること。
CGやVRを体験できるようになって、当たり前だけど人間が2Dになって画面上に入って行けないことがわかった。
でも、だからこそ逆に3Dのプレゼンスが際立ってきた。
相手が自分と同じ次元に「存在している」ということ、その存在を手で触って確認できることが大事なのだ。
そして、相手がそこにいる理由:生き様やストーリーを知りたい。というか、想像したい。
そこで、なぜ今「ボタニカル」なのかという話に立ち戻る。
個人的に「ガーデニング」とか「グリーン」とかは植物の集合体で、「ボタニカル」=「個々」のイメージ。
エルンスト・ヘッケルの描く図版のように、1つ1つの個体に深入りしたい気分。
これだけtechnologyが発達しているのに、人間の手では作ることのできない植物の複雑なかたちや機能。
1対1で真剣に向き合わないと、何も分からない知らないことだらけ。
本来、人間と自然は時間と環境を共有する運命共同体なのだから、
原初に立ち戻って植物との関係性を再構築したいという欲求が「ボタニカル」という言葉の背景なのかも。
プラントハンターの西畠清順さんが世界中から集めてきた愉快な植物たち。
白い布で覆われた台の裂け目から植物が顔を出す様は、殻を破って新しい生命が誕生する様を彷彿させる。
私は、「いかに植物をセクシーに撮れるか」というテーマで植物と向き合いました笑
「希少性」という価値もあるけど、個性から滲み出る魅力って単純な物差しでは測れない大事な「価値」だと思うんです。
人間も植物も・・・
Opuntia spp.
Lodicea maldivica
Fockea edulis 思わずこれはタイトルをつけたくなった。「まどろむ火星人の女」
Argania spinosa
Amorphohallus paeoniifolius 本当に臭いらしいです。
Philodendron florida ‘Osameyuki’
Bismarckia nobilis
Nepenthes truncata
Citrus medica ‘Sarcodactylis’
吸い寄せられるように会場に流れ込んでくる人の多さと、
中央に置かれたこの果実に集る人間を見ていると、何だか原始的な風景を見ている気分になるのでした。
POLA MUSEUM ANNEX
2015.07.03 FRI-08.16.SUN
11:00-20:00