境界を超えていく音楽。井上由紀子が読み解く、ボーダーレスな時代を切り拓くアーティストたち | Numero TOKYO
Culture / Feature

境界を超えていく音楽。井上由紀子が読み解く、ボーダーレスな時代を切り拓くアーティストたち

世界中で対立と分断が深まり、混迷を極めるいま。私たちは、価値観の異なる他者とわかり合うことはできるのだろうか。カルチャーの最前線から、国境、言語、ジャンルといったさまざまな“ボーダー”を見つめた。ボーダーがやわらかに交わるその先に、新しいつながりのかたちが見えてくる。(『Numero TOKYO(ヌメロ・トウキョウ)』2026年7・8月合併号掲載)

境界を超えていく音楽

ジャンルも、国境も、言語も、もはや音楽を定義するものではない。アルゼンチンのデュオ、カトリエル&パコ・アモロソを筆頭に、既存のルールやカテゴリーをものともしないミュージシャンたちが、いま世界の音楽シーンを塗り替えている。常に最前線をウォッチしてきた音楽誌『N.E.R.O.』編集長、井上由紀子が、その現在地を探る。

時代を更新する新ポップスター、カトリエル&パコ・アモロソ

2025年、ミニアルバム『PAPOTA』ツアーにて。(左)カトリエル(右)パコ・アモロソ
2025年、ミニアルバム『PAPOTA』ツアーにて。(左)カトリエル(右)パコ・アモロソ

アルゼンチン・ブエノスアイレスから現れたカトリエル&パコ・アモロソ(CA7RIEL & Paco Amoroso)a.k.a.カトパコを初めて観たとき、多くの人は「これはいったい何なのだろう」と、言葉になる前の高揚に包まれるだろう。彼らには激しさとユーモア、セクシュアリティと洗練、猥雑さとポップさが矛盾なく同居している。そして、そのサウンドは、ヒップホップ、ラテン、ロック、クラブ、ファンク、ジャズetc.。あらゆる要素を吸収しながらも、どこにも収まることがない。

カトパコは、いま最もボーダーレスなポップ・アクトのひとつだ。マッチョさとキュートさ、ローカルとグローバル、アンダーグラウンドとメインストリーム。そうした本来なら分けられてきた感覚が、彼らの中ではごく自然に同時に存在している。

例えば、その話題のパフォーマンス。パコ・アモロソのパフォーマンスには、ラテン圏に根強く存在するマッチョ性へのアイロニーがある。誇張されたセクシュアリティ、ユーモラスなナルシシズム、道化がかった身振り。それらは“男らしさ”をなぞるのではなく、その記号性を軽やかに遊びへと変えている。一方、カトリエルはロックギタリストとしての技巧を持ちながら、その演奏はジャンルの枠に収まらない自由さを持っている。また、その振る舞いには中性的でクィアなニュアンスを帯びた仕草や身体性が差し込み、ジェンダーの枠組みそのものを自然にすり抜けている。

彼らの革新性は「ラテンを世界に広げたこと」ではない。それはラテンという枠そのものを、ひとつの固定された意味から解放してしまった点にある。

ストリーミング以降、音楽は国や言語の境界を超えて同時代の感覚として聴かれるようになった。その中で彼らは、南米というローカルな地域の湿度や猥雑さ、ユーモアを削ることなく、そのまま世界へ投げ返している。にもかかわらず、その奇妙さや不可思議さごと、人々は彼らに惹かれてしまう。なぜなら彼らの音楽は違いを消してつながるのではなく、違ったまま響き合うものだからだ。

「フジロックフェスティバル’25」にて。Photo:Kazumichi Kokei
「フジロックフェスティバル’25」にて。Photo:Kazumichi Kokei

ファッションもまた、その延長線上にある。昨年のフジロックで話題になった日本が世界に誇るデザイナー、森永邦彦の「アンリアレイジ」の空調服(写真右)は彼らの固定されない感覚を視覚化しているかのようだ。
 
ライブではその自由さがオーディエンスの身体に伝染していく。ロック、クラブ、ラテンポップ、それぞれに存在していた“正しい楽しみ方”は彼らの空間では意味を失っていく。

モッシュも起きる。ダンスも起きる。笑いも起きる。スペイン語の大合唱も起きる。そこでは国籍も、ジェンダーも、年齢も、どうでもよくなる。最高にファンキーなサウンドの中で、知らない他者と同じ時間を生きてしまう。分断が深まる時代において、彼らの音楽は不思議な解放感を放って響く。違うままでいい。理解しきれなくても、同じ場所で踊ることはできる。カトパコは、そのすべてを言語ではなく、身体の出来事として提示してくれる。

人と人が熱を交換し合う、その原初的なコミュニケーション。音を重要視した無邪気な言葉遊び。メンバー同士の視線や笑い合う空気。観客へ真っすぐ返される愛情や感謝。

彼らが本当に鳴らしているものは、ジャンルを超えた音楽というよりももっと根源的なものかもしれない。それは、言葉や国境の前にあったはずの、人と人が通じ合う感覚そのものだ。アルゴリズムが関係性を細分化していくこの時代において、カトパコはその真逆を体現している。

心を開き、熱と愛を交換すること。その人間的で原始的な喜びを、最も現代的なポップカルチャーとして更新しているからこそ、彼らは単なるトレンドではなく、“時代の感覚そのもの”を更新する存在になっている。

ルールなき時代を切り拓くミュージシャンたち

2020年代の音楽シーンでは、ジャンルや国籍という区分そのものが急速に意味を失いつつある。いま起きているのは境界の消失というより、境界という前提そのものが必要とされていないという状態だ。

ジャンルの解放とリアルタイムの身体性

かつてジャンルとは、それぞれ固有のルールやコミュニティーによって成立していた。ハードコア、クラブ、ヒップホップ、それぞれには閉じた美学や作法が存在していた。

しかしいま、その境界は急速に開かれつつある。重要なのは、ジャンルが消えたことではない。むしろ、それぞれのカルチャーが持っていた熱や身体感覚が、より自由に共有され始めていることだ。
 
その象徴のひとつが24年に次いで今年再びフジロックに出演予定のアメリカ・ボルチモアのハードコア・バンド、ターンスタイル(Turnstile)だ。

ターンスタイル(Turnstile) Photo:Getty Images
ターンスタイル(Turnstile) Photo:Getty Images

ハードコアという攻撃的なスタイルに属しながら、彼らの音楽にはメロウな浮遊感やダンスミュージック的な快楽が共存している。そこには暴力性と祝祭性が矛盾なく同居している。従来のハードコアには閉鎖的で排他的な側面があったが、ターンスタイルはそれを更新し、限られたコミュニティーの音楽を誰でも参加できる熱狂へと変えてしまった。

ファッカーズ(Fcukers)は、ニューヨークのナイトカルチャー以降のムードを引き継ぎながら、クラブミュージック、インディーロック、レイヴ感覚を縦横無尽に往来している。

ファッカーズ(Fcukers)Photo:Boris Halas
ファッカーズ(Fcukers)Photo:Boris Halas

反復するビートと独特の気だるさ、高揚感が同時に漂い、ジャンルというよりその場の空気そのものが轟いている。そんな彼らはターンスタイルがロックの側で開いた身体的な熱狂を、クラブ以降の感覚で再構築している存在だ。

アトランタ出身のプレイボーイ・カーティ(Playboi Carti)は、即興的なレコーディングや断片的な言葉を通じて、完成された楽曲よりもその場で発生する熱、瞬間のエネルギーを優先している。声はメロディーとノイズの間を漂い、ヒップホップをより身体的でリアルタイムな表現へと変化させた。

プレイボーイ・カーティ(Playboi Carti) Photo:Aflo
プレイボーイ・カーティ(Playboi Carti) Photo:Aflo

 
ここで起きているのは単なるジャンルの融合ではない。むしろ、カルチャーごとに閉じていた熱狂や身体感覚が解放され、リアルタイムの感情として共有され始めている。

ジェンダーの境界線が意味を失うとき

 
かつて音楽は「男性的/女性的」という記号で語られてきた。しかしいま、その前提は崩れつつある。ウェット・レッグ(Wet Leg)は、インディーロックに残っていたジェンダー的ロールやクールであることの規範を、ユーモアと脱力によってしなやかにはぐらかしていく。近年の楽曲では、男女の関係性や欲望の主導権を逆転させるような視点も立ち上がり、固定されたロックスター像や女性像そのものを更新している。

ウェット・レッグ(Wet Leg) Photo:Alice Backham
ウェット・レッグ(Wet Leg) Photo:Alice Backham

 
ここで起きているのはジェンダーの超越ではなく、属性で分ける必要のない状態そのものへの移行だ。

断片化する感情とイメージ

インターネット以降の音楽は、単なるジャンルの変化だけではなく、“感情そのものの在り方”を変え始めている。整理されたメッセージや完成されたスター像ではなく、不安定さ、曖昧さ、断片性。その揺らぎごと共有される感覚が、いまのユースカルチャーのリアリティーになっている。
 
日本を代表する次世代アーティストとして紹介したいのがピーターパーカーシックスナイン(Peterparker69)だ。

 ピーターパーカーシックスナイン(Peterparker69)
ピーターパーカーシックスナイン(Peterparker69)

彼らの音楽には、現実とインターネットの境界になった時代特有の空気が漂っている。断片的な言葉、浮遊するメロディ、深夜の都市の気配、そしてどこにも行き切れない切なさ。ピーターパーカーシックスナインは、未完成な青春そのものを鳴らしている。さらに特徴的なのが、日本語と英語が自然に混ざり合う独特のフローだ。意味よりも先に響きやリズムが感情として身体に入り込み、その言語感覚そのものが、国籍やカルチャーを超えて共有される、新しい世代の共通語になりつつある。

アメリカ、ノースカロライナ出身のグレイヴ(glaive)は、ハイパーポップ以降のスピード感の中で加工される前の感情がそのまま立ち上るような音楽を鳴らしている。ベッドルーム的な宅録感覚、エモやポップパンク以降の切実さ、そしてインターネットネイティブ世代特有の情報量が高速で混ざり合い、その不安定さごと作品になっている。

グレイヴ(glaive) Photo:Getty Images
グレイヴ(glaive) Photo:Getty Images


 
彼や北欧のエコー2k(Ecco2k)の音楽には、感情をうまく言葉に整理できないまま衝動的に吐き出してしまうような危うさがあり、その若さゆえの潔さが同世代のリアルな温度として強く響いている。

エコー2k(Ecco2k) Photo:Getty Images
エコー2k(Ecco2k) Photo:Getty Images

 

同じく北欧のヤング・リーン(Yung Lean)は、インターネット以降の孤独や空虚感を、独自の存在感そのものへと変えてしまったアーティストだ。気だるさと不遜さ、虚無感とユーモアが同時に漂うその佇まいは、従来のラッパー像やスター像とはまったく異なる。断片的な言葉や曖昧な感情、現実感の揺らいだ世界観によってヤング・リーンは“不安定なまま存在してしまう感覚”そのものを表現している。鬼才ロマン・ガヴラス監督との最新映像作品では、その危うさが暴力性を孕んだ美しさとしてさらに増幅され、彼の存在感を強烈に焼き付けている。

ヤング・リーン(Yung Lean) Photo:Getty Images
ヤング・リーン(Yung Lean) Photo:Getty Images

ここで共有されているのは、完成されたスター性ではない。むしろ、不安定なまま揺れ続ける感情やイメージ、その曖昧さごと存在してしまう感覚そのものだ。

境界のない共鳴 カルチャーが交差する場所

いま世界のメインストリームでは、ジャンルやカルチャーを細かく区分する感覚そのものが古くなり始めている。クラブ、ヒップホップ、ロック、ファッション、映像、アート。それぞれは別々に存在するのではなく、巨大なひとつの感覚として同時につながり始めている。

そして、その中心にいるアーティストたちは、単なるミュージシャンではない。彼らは現代のカルチャーそのものを更新している存在だ。
 
ロンドン出身のデヴ・ハインズによるプロジェクト、ブラッド・オレンジ(Blood Orange)は、R&B、クラシック、アンビエント、そして最新作ではネオアコースティックを横断しながら、黒人性、クィア性、移民性といった複数のアイデンティティを、極めて繊細な音像の中に共存させている。そこではジャンルやルーツは切り分けられるものではなく、記憶や感情のレイヤーとして静かに重なっていく。最新作ではターンスタイルのブレンダンと共演、一見遠く見えるハードコアとアート性の高いR&Bが自然にコネクトされてしまうところにも、現在の音楽シーンのボーダーレスな感覚が表れている。

ブラッド・オレンジ(Blood Orange)Photo:Aflo
ブラッド・オレンジ(Blood Orange)Photo:Aflo


 
また、いま最も境界を横断するというより、“境界のない状態”を音楽にしているアーティストの一人がフレッド・アゲインFred again..)だろう。その交流圏には、カトリエル&パコ・アモロソやダフト・パンクのトーマ・バンガルテルのような存在も含まれている。
 

フレッド・アゲイン(Fred again..)
フレッド・アゲイン(Fred again..)

イタリア出身のアニマは、テクノやメロディックハウスを基盤にしながら、巨大な映像演出、3DCG、AI的な身体表現を融合させ、ライブを没入型の体験へと変化させている。そこでは音楽、映像、テクノロジーの境界が曖昧になり、アーティストと観客の関係性すら再構築されていく。

アニマ(Anyma) Photo:Aflo
アニマ(Anyma) Photo:Aflo


 
さらに興味深いのは、現在、世界で存在感を放つアーティストの一人であり、ハーフジャパニーズとしても知られるジョージとも自然につながっている点だろう。ジョージの音楽には、ソウルミュージック的な感情表現と、現代的なトラップやヒップホップ、クラブミュージック以降の低音感覚が共存している。

JOJI(ジョージ)Photo:Getty Images
JOJI(ジョージ)Photo:Getty Images

 
アニマはそうした感情性とフィジカルな高揚感を、巨大な映像空間の中でシームレスに接続してしまう。ジャンルだけでなく、“感情”と“没入体験”そのものの境界が曖昧になっているところに、現在のシーンにおけるボーダーレスな感覚が表れている。


 
違いをなくすのではなく、違いを抱えたまま共鳴すること。分断の時代において、音楽はその複雑さごと更新されながら、いまも新しいカルチャーを前進させ続けている。

Text:Yukio Inoue Edit:Mariko Kimbara

Profile

井上由紀子 Yukio Inoue 音楽ライター、『N.E.R.O.』編集長。バンド「フリッパーズ・ギター」のファウンディングメンバー。2010年に鮮烈なヴィジュアルのバイリンガル音楽誌『nero』を創刊。25年に新規メディア『N.E.R.O.』をローンチした。
 

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