アーティストそれぞれの“探究の道” vol.2 会田誠
何かに魅せられ、意味を突き詰め、創意を凝らし、全霊を傾けて表現する。アートとは尽きせぬ問いの繰り返し。なぜやるのか、その先に何があるのか——。アーティストそれぞれの探究心、その飽くなき軌跡を、たどりながら見ていこう。(『Numero TOKYO(ヌメロ・トウキョウ)』2023年12月号掲載)
会田誠インタビュー「梅干しを見つめ、日本を見つめる」
油断大敵。絵画からパフォーマンスまで、痛烈な批評性と表現性で度肝を抜き続ける会田誠。その彼が近頃、梅干しの絵ばかり描いていた。一体なぜ!? 梅干しの悲哀、日本の美術——探究の真意が語られる。
梅干しに心惹かれたわけ
──「梅干し」シリーズを描いたきっかけは?
人生の終盤に近づいたこのタイミングで、中学から高校にかけてやっていた写生的油彩画を、もう一度描いてみたくなりました。イーゼルにキャンバスを立てて、目の前に置いた現物を素直に見つめて描くやり方ですね。美大受験のため東京の美術予備校の夏期講習に参加した高校3年以降、そんなピュアさは失われていき、いまやすっかり穢(けが)れてしまったという自己認識があるのです。
そして僕はこの体験を、明治時代にいち早く油彩画に取り組み『豆腐』などの写実画を描いた高橋由一と、つい勝手に重ねてしまう。『豆腐』の魅力は、由一が初めて油絵の具を手にして「おお、こんな本物らしく描けるのか」と感動しているのが、ありありと伝わってくるところ。僕も中学の美術部で初めて油絵の具を使ったとき「リアルに描ける!」と驚喜しました。その感情は時代を超え、由一と相似形をなしていただろうと想像します。
──写実画のモチーフに梅干しを選んだのは、なぜでしょう。
まずは単純に梅干しが大好物なので。コンビニでおにぎりの種類を選ぶときは、梅干し一択です。ただし、そのおいしさは寿司や天ぷらとは違って、国際的にほとんど通用しないのもまた事実。最近は日本の中でも、若い人には理解されにくくなっていますね。そうしたありようは、美術家としての僕の姿と重なる。作品を海外で見せたとき、露骨に拒絶されたり無視されることも何度となく経験していますから。
また、梅干しを画面の真ん中に描いて背景を白にすれば、日の丸の構図になります。梅干しを具象的、立体的に描きながら、日の丸という平板なサインも想起させる二重性は狙っていますね。ジャスパー・ジョーンズが米国旗をそのままペインティングにした「旗」シリーズは、現代美術におけるクラシックというべき作品ですが「梅干し」もその系譜に連なる作品にできるんじゃないかと考えました。このようにコンセプトを整えることは、現代美術を制作する上での最低限のマナーですから。
自分なりの探究の日々
──制作はいつ頃、どのように進んだのでしょうか。
制作したのはコロナ禍の真っただ中、あまり人にも会えない時期でした。朝起きると、冷蔵庫から梅干しを一つ選んで白いまな板の上に置き、光の当たり具合を調整して、あとはひたすら写生する。調子がいいと一日一枚、遅くとも3日以内に描き終えるペースで続けました。
習慣ができてそれに従っていると、煩雑な考えが消えて心がシンとしてきます。無の境地に少し近づけたように思えました。こんな落ち着いた心持ちで制作したことなどなかったので、いいものだなとしみじみ感じました。かといってさすがに一生涯、梅干しだけを描く画家になろうという気持ちを固めるには至らず。単一のモチーフを追求する画家としての振る舞いは、2021年に個展を開くまでの約2年間という期間限定のものになりました。
──梅干しを描き続けて、何を表現しようとしたのでしょうか。
日本で油絵を描いたり、国際的な美術を指向することに含まれる、根本的なねじれについて、作品に込めたつもりではあります。僕は東京藝術大学の油画科から大学院で技法材料研究室へ進んだという保守的な経歴なこともあって、水と油のように相容れぬ日本の伝統的美術と現代美術が常に同居し喧嘩(けんか)する状態を、自分の内側に抱えてきました。「梅干し」シリーズも、基本的には同じ問題に取り組んだことになりますね。
この時代に生まれ落ちた日本人として、いかなる美術表現ができるのか、またするべきなのか…。僕が約30年のキャリアで探究してきたことは、言葉にすればそうまとめられるかもしれない。探究はもちろん道半ばで、達成感などまるでないですが。“成功”を目指しているわけでもないので、これからも自分なりの探究がただ続いていくのでしょう。
Interview & Text:Hiroyasu Yamauchi Edit:Keita Fukasawa
Profile
https://mizuma-art.co.jp/artists/aida-makoto/