ジェーン・エヴリン・アトウッド インタビュー「写真は、自分が知りたいことに近づかせてくれる」
70年代より国際的に活動を続けてきたフォトグラファー、ジェーン・エヴリン・アトウッドによる日本初の個展が、シャネル・ネクサス・ホールで開催中だ。パリの路上に立つ娼婦ブロンディーヌとの出会いをきっかけに本格的に写真の道を歩みはじめた彼女は、その後も盲学校の生徒、女子刑務所の収監者、紛争地域の地雷の犠牲者など、社会の周縁にいるとされる人々にカメラを向け続けてきた。阪神淡路大震災の被災地の取材で日本を訪れたこともある。半世紀近いキャリアから厳選されたアトウッドの写真たちは、人間の残酷さと強さについての黙想を促す。来日した彼女に、これまでの歩みと今回の個展について聞いた。
ダイアン・アーバスの写真に心奪われて
──ご自身の表現手段として写真を選んだのは、どんな経緯でしたか?
「選んではいませんね。私は知識階級の科学者の家庭に育って、父親は写真や映像の仕事している人々は知性に欠けていると思っていました。知的な人間ならば文章を読むべきだと。だからその頃、最高のフォトジャーナリストを雇っていた雑誌『ライフ』も、うちでは購読していませんでした(笑)。
けれどある時、姉妹でダイアン・アーバスの展覧会を観に行ったんです。なぜかというと彼女が自殺したと聞いたから。私たちの家族に自殺した人がいたこともあって、彼女のような有名なアーティストがもう生きていたくないと決めたことに興味を持ったんです。写真ではなかった。
でも、彼女の作品を見るやいなや、そこに写っている人々に心を奪われました。あの人たちのことを決して忘れない。彼女は“ノーマル”とされているけれど、どこかが少し違う人々をよく撮影しています。私はそうした人々に惹きつけられるんです」
──70年代のはじめ、20代前半の頃にパリに移住して、ずっとフランスを拠点に活動しているそうですね。
「ニューヨークで生まれて、アメリカのあちこちを転々として育ちました。67年から68年、両親が1年間パリに住んでいたときに訪ねていって、私もパリが大好きになったんです。なので絶対に戻って来ようと思いました。最初は住むつもりはなかったのだけれど、忙しくしているうちに今に至るという感じです。
大学を卒業してパリに来て、スナップショットを撮り始めました。カメラが壊れたのを修理に持っていったら、『これじゃだめだよ、本物のカメラを手に入れないと』と言われて、ニコマート(ニコンの一眼レフカメラ)を手に入れたんです。あの店員がいなかったらフォトグラファーにはなっていなかったかもしれませんね(笑)。最初はダイアン・アーバスを真似しようとしていました。
1975年の終わり頃、被写体になりそうな人を探してギャラリーのオープニングに行くようになりました。面白い人に出会えないかと期待していたのだけれど、退屈な人ばかりでした。いくら奇抜な格好をしていてもね。でも、そのうち娼婦の知り合いがいるという女性に出会ったんです。私はそれ以前に路上の娼婦たちを見かけたことがあって、興味を持っていました。通り過ぎる男たち、彼らに囁く彼女たちの華やかな装い、ジュエリー、メイク、髪型、巨大な胸、時には丸出しで(笑)。それまで見たことがなかった光景でした。それでロンバール通りへ連れて行ってもらって、ブロンディーヌに会ったんです。私は若くて世間知らずのアメリカ人だったから、すごい世界だと思った。あの夜、彼女たちを撮りたいと確信しました。そうして私はフォトグラファーになったんです」
彼らはどのように生きているのかを知るために
──人との出会いに導かれてきたのですね。パリの娼婦たちのプロジェクトの後も、囚人、盲目の人々、地雷に傷つけられてしまった人々など、一般に社会の周縁にいるとされる人々を被写体としています。
「なぜかはわかりませんが、私はいつもそういった人々に心惹かれるのです。私は彼らがどのように生きているのかにすごく興味があります。脚を失い、腕も一本だけの女性が、毎朝起き上がり、彼女の人生を続ける。私は彼女たちを知ることで、もっと深く理解できるはずだと思う。写真は矛盾をはらみつつ、自分が知りたいことに近づかせてくれます」
──1987年にヨーロッパで初めて自分がHIVポジティヴだと実名で公表した方を撮影しています。この病気に関する当時の社会の偏見や差別がいかに苛烈なものだったかを考えると、とても意義深いお仕事です。
「ヨーロッパではもう既に何千人もの人々がAIDSで亡くなっていましたが、そうした人々を撮影した写真はありませんでした。彼らはたしかに存在していたのに。アメリカの写真は少しあったけれど、ヨーロッパは全然。もしこんな状況が続くなら自分がやらなければならないと思ったんです。あれは私にとって、初めての本当に闘争的な主題でした。私は常に闘争的なわけではありません。よくそうだと言われますけど。
不幸なことに状況が変わらなかったので、撮影に取りかかりました。AIDSに感染した人々、AIDSと共に生きている人々の記事を世に出そう、と。狙いは、この病気にまつわる先入観を変えること、『無知な一般大衆に知らせる』こと。それまでのプロジェクトとは違って、好奇心からというのではありませんでした」
ただ最高の写真を撮ろうとしているだけ
──今回の個展では、長いキャリアからさまざまな作品が選ばれています。また、シリーズ別や年代順といったスタンダードな構成ではなく、時代も場所もばらばらの順番で展示されています。このような形にしたのはなぜでしょう?
「キュレーターのインディア(・ダルガルカー)に55〜60枚を展示できる空間だと聞いて、これまでの作品を見直しました。最高の中の最高の写真を選ぶというのが第一です。盲目の子どもが娼婦の隣に、その隣にまた別のテーマの写真が並ぶというように全部を混ぜました。1枚1枚、横に並んだときにヴィジュアル的にマッチするように選んでいます。キャプションで場所と年代しか示さないのも敢えてです」
──それぞれの文脈から離れて、ひとつひとつのイメージに向き合うよう促す構成ですね。展示空間の壁の色は、一般的な白ではなくプラム色とトープです。こちらもご自身で指定したとお聞きしました。
「パリのヨーロッパ写真美術館で初の回顧展を開催したとき、壁を塗るように頼んだんです。なぜかというと、常に白い壁ばかりでうんざりしていたから。白い壁はある意味、視線が写真に到達するまでによじ登って乗り越えなければいけない感じがします。まるでマスクのように重要なことを奪ってしまう。なので色を使うことにしました。今ではみんなが真似しています(笑)。
今回の展示空間の色合いはとても気に入っています。会場デザインを担当したおおうちおさむさんは天才ね。あたたかく写真を引き立てていると思います」
──ご自身の中でジャーナリスティックな作品とアーティスティックな作品のあいだに区別はありますか?
「“アーティスティック”という言葉は好きではありません。私はフォトグラファーです。私が携わってきた仕事はフォトジャーナリズムということになるのでしょうけれど、私はただ最高の写真を撮ろうとしているだけです」
──世界的なパンデミック、またロシアによるウクライナ侵攻で不安定な状況が続く中、来日が実現しました。この不安な時代を生き抜くためには、何が必要だと思いますか?
「その手のアドバイスはしたくないですね……。なんとお答えしていいか私にはわからない。ただ、大切なのは誠実さ、正直でいること、お互いを尊重することです。全世界がそうしなければなりません。しかし、常に強欲な人々が存在しています。プーチンをはじめ、人を殺して利益を得ようとする人々が後をたたない。どうしてそんなことになってしまうのか不可解ですけど。いま起こっていることは本当に恐ろしいです。昔以上に武器がすごく危険になっているでしょう。全世界を吹き飛ばせる力がある。そして、お金を持ってさえいれば何でもできるような風潮も深刻な問題です。しかし、私たちはいいお手本を示すよう努力することができるはずです。子どもたちに正直さ、誠実さ、幸せな生き方を見せられるように」
Soul ジェーン エヴリン アトウッド展
会期/2022年3月30日(水)〜5月8日(日)
会場/シャネル・ネクサス・ホール
住所/東京都中央区銀座3-5-3 シャネル銀座ビルディング4F
開館時間/11:00~19:00 (最終入場18:30)
会期中無休・入場無料・予約不要
TEL/03-6386-3071
https://nexushall.chanel.com/
Photos:Ayako Masunaga Interview & Text:Momo Nonaka Edit:Sayaka Ito