女性監督初のアカデミー賞モロッコ代表マリヤム・トゥザニが語る、映画『モロッコ、彼女たちの朝』
2019年のカンヌを皮切りに世界中の映画祭で喝采を浴び、女性監督初のアカデミー賞モロッコ代表に選ばれるなど、快進撃が続いている映画『モロッコ、彼女たちの朝』 が8月13日(金)に公開となる。日本でモロッコの長編劇映画が劇場公開されるのは初めてのことだ。カサブランカの旧市街にある小さなパン屋を舞台に描かれた本作を、監督自らの言葉とともに紹介する。
モロッコの日常と、社会の片隅で生きる女性たち
舞台はモロッコ最大の都市、カサブランカの路地。美容師のサミア(ニスリン・エラディ)は臨月のお腹を抱えながら、仕事と寝る場所を求めてさまよっていた。モロッコでは未婚の母はタブー。すべてを失ったが、故郷で暮らす両親に頼ることはできない。行く宛のないサミアは、市場の歩道で眠りにつく。そんな窮状を見かねて家に招き入れたのは、小さなパン屋を営むアブラ(ルブナ・アザバル)だった。
アブラは夫の亡き後、女手ひとつで店を切り盛りし、娘のワルダ(ドゥア・ベルハウダ)と暮らしていた。ささやかな家庭を守るため、自らを律するように笑顔はしまい込んでいる。居候を許されたサミアは、得意のパン作りで恩返しをする。生地を薄く紐状に伸ばして作るモロッコの伝統料理「ルジザ」をサミアが手作りし、アブラが試しに店に出してみると、客の反応は上々で即完売に。サミアとの暮らしをきっかけに、孤独だった親子に光がもたらされてゆく──。
悲しみと諦めにとらわれていた女性たちが新しい道へ踏み出すストーリーを紡いだのは、マリヤム・トゥザニ監督。物語は、彼女自身が家族とともに世話をした未婚の妊婦との思い出をもとに作り上げられた。主人公の二人の女性たちが直面する困難や連帯が、女性が生きづらい社会、家父長制への批判を浮かび上がらせながらも、モロッコの市井の人々の暮らしぶりや二人の揺れる感情が丁寧に美しく映像化され、また、言葉よりも何よりも彼女たちの静謐な姿が、声をあげることに手応えを感じ始めたいまの私たちには、ことさら強く印象に残る。
マリヤム・トゥザニ監督インタビュー
──サミアのモデルとなった女性についてお話を聞かせてください。
「出会いは私が22歳のとき。見知らぬ妊娠8カ月の女性が実家にやってきたのです。父親が弁護士だったため、未婚の妊婦が病院へ行けば当時のモロッコの法律によって警察を呼ばれてしまうことを知っていました。彼女は行く宛もなく、このまま放置してしまえば歩道で赤ちゃんを産んでしまうかもしれないし、知らない人に赤ちゃんを渡したり売ったりしてしまうかもしれない。彼女とその赤ちゃんを守るために両親が家に招き入れ、一緒に過ごすことになり、目の前で彼女は母親になっていったんです。
彼女が赤ちゃんを養子に出すときも一緒について行きました。赤ちゃんを手渡さなければいけない状況でも、彼女自身は尊厳を保ち、感情を外に出さず押さえていました。その姿に私は深く感動し、何年か経って自分自身が妊娠し、赤ちゃんがお腹の中で動き始めたときに彼女を思い出すようになりました。赤ちゃんを愛してはいけない、育ててはいけないということが、どれだけ暴力的なことか改めて感じたのです。
この女性が自分にとってどんな存在なのか、どんな意味を持っているのかは映画にすべて入っていると思います。『ADAM』(英題)という作品の起源の全てが彼女だった。だから映画が公開される前に彼女へオープンレターを書きました(オープンレターはこちら)。それほど彼女との経験は私に大きく刻まれ、私を変えました。彼女は私の人生にとって重要な存在で、そのことを彼女に伝えたかったんです。彼女がいなければこの映画は生まれてきていません。また、映画を通して同じような経験をしている女性たちに勇気を感じてもらえたら嬉しいです」
──長い間ご自身の中であたためられてきた物語を、このタイミングで初の長編映画として発表されたのはなぜでしょう?
「本能的に自然に長編のフィクション映画になりました。ドキュメンタリーにする考えはなくて、『今書かなければ。この物語を語らなければいけない』という強い気持ちに突き動かされ、脚本を書きました。例えば母性や母親について、誰かを失うことと誰かを悼むことなど、サミアのモデルとなった女性の経験と私自身の経験をミックスしています。頭で考えるよりも『親密な体験を描かなければ』という自分の感情に引っ張られて書いた結果、サミアとアブラという二人のキャラクターが生まれました。映画を見ているあいだ、彼女たちの体験をまさに自分がしているかのように経験してほしい。1時間半だけ、彼女たちになってみてほしい。それがとても重要なのです」
──静かで詩的でありつつ、登場人物それぞれの心の機微を豊かに感じられる作品でした。役者の表現力も鍵になると思いますが、キャスティングはどのように行いましたか?
「キャスティングをするとき、初めはすごく不安でした。それだけキャラクターたちを愛していましたし、キャラクターたちが自分自身に住み着いていたので、キャスティングをすることでキャラクターたちに肉体を与えるのが怖かったわけです。しかし幸運にも二人の役者を見つけることができました。彼女たちに決める前にはたくさんの方に会ったんです。求めていたのは俳優の中にこのキャラクターたちの真実があるかどうかでした。そして二人とは、実際にそれぞれのキャラクターを見出すための作業をともにしました。ルブナ・アザバルはカサブランカのメディナでアブラのような女性たちとたくさんの時間を過ごしてくれました。ニスリン・エラディは未婚の母親たちにたくさん会い、彼女たちのストーリーに耳を傾け、観察してくれました。また二人ともパンやお菓子づくりを学び、例えば生地を捏ねる作業においても、ただ生地を捏ねるのではなく、捏ねることでどんな気持ちになるのかを感じ取ることができるまで毎日練習してくれたのです」
──サミアの衣装がとても素敵でした。ジュラバ(ローブ)の色によってヒジャブやスカーフの色柄を変えたり、またその組み合わせも洗練されていて、繊細でアーティスティックなパーソナリティを想像しました。スタイリングのこだわりは?
「サミアを光を纏ったような人物にしたかったので、それを表現するための衣装選びにこだわりました。彼女は未婚の妊婦という重いものを背負ってはいますが、生きる喜びを持っている女性。子どもが生まれる瞬間までは、その生の喜びを消すことのないように、独特なエネルギーを常に感じさせるようなジュラバを意識していました。最初にサミアが登場するときも光を纏っているような色のライトブルーの衣装ですよね。スカーフもイエローや花柄などカラフルなもので、サミアの個性を見せたいという想いを反映させています。
物語の中でサミアの衣装はどんどん変化し、赤ちゃんが生まれた際には色を押さえたものに。着替えもせずにナイトガウンを身につけています。その時にサミアの生の喜びは消えてしまうのです。そして最後は明るい衣装を身につけて、街へ出ていく。そういう衣装の設計をしました。サミアだけでなく、特にダンスのシーンなどはアブラの衣装にもこだわっています。映画を通してサミアが浮かび上がるところもあればアブラが浮かび上がることもある。衣装だけではなく、背景がどのようにマッチするかも細かくチェックしたました。まるで絵画を描くように、衣装と背景のテクスチャーを合わせて何度もテストしました」
──全編を通じて、光の捉え方の美しさも印象的でした。フェルメールの絵画のように柔らかな光が差し込む穏やかなシーン、カラバッジョやジョルジュ・ド・ラ・トゥールのように、夜の闇に浮かび上がる人の表情など、光の濃淡と感情がリンクしているように見えました。その演出について教えてください。
「フェルメール、カラヴァッジョ、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールはとても好きな画家。この素晴らしい画家たちは私自身のものの見方を育んでくれました。ただ映画のことを考え始めたときにそのことを頭に描いていたわけではありませんでした。人は自分をインスパイアしたものが自分の血となり肉となっていくもの。今まで自分が見てきたものが無意識に自分に刻まれているから、自然に似ていったのです。実は撮影し始めてから、初めて影響を受けていることに気が付いたくらいなのですが、今作では内面を見せるためにたくさんの光を取り入れています。キャラクターの内面や、二人の女性の出会いに伴うように光を扱いたかったのです。撮影監督と話し合い、物語が進行していく中で光が存在感を強めていったり、女性たちにだんだん光が当たるように考えました。女性たちの心の内側の旅に寄り添い、私たちを導いてくれるような光の使い方をしたのです。なので、光が感情に直接関係しているのです」
『モロッコ、彼女たちの朝』
監督・脚本/マリヤム・トゥザニ(長編初監督)
出演/ルブナ・アザバル、ニスリン・エラディ
製作・共同脚本/ナビール・アユーシュ『アリ・ザウア』
2019年/モロッコ、フランス、ベルギー/アラビア語/101分/1.85ビスタ/カラー/5.1ch/英題:ADAM/日本語字幕:原田りえ
https://longride.jp/morocco-asa/
©︎ Ali n’ Productions – Les Films du Nouveau Monde – Artémis Productions
8月13日(金)、TOHOシネマズ シャンテほか全国公開
Edit & Text:Chiho Inoue