最上もが、赤裸々に語る。本当の“僕”と揺れ動く心
アイドルグループ・でんぱ組.incを脱退後、新たな道を歩み始めた最上もが。ポップアイコンとして今もなお注目を集める彼女に、今の心境を聞いた。(「ヌメロ・トウキョウ」2018年5月号掲載)
先日、自身のSNSで29歳という年齢を公表した最上もが。5年間在籍した、秋葉原から生まれたアイドルグループ「でんぱ組.inc」を2017年8月に脱退し、新しい“最上もが”として転換期を迎えるいま、モードな撮影に初挑戦してくれた。「生きるためにでんぱ組に入ったけれど、心身ともにバランスがとれなくなって離れました」と、いま笑顔で話せる彼女に訪れた変化とは?日本のポップなアイコン、新生・最上もがのアップデートされた魅力に迫ってみた。
──この仕事を始めたきっかけは、なんでしたか?
「最初のきっかけは親のリストラなんです。学生の頃は地味なタイプで自分に自信がなく、アイドルに憧れたこともなく――。それ以前に、ああいうキラキラした世界というのは、生まれた頃から恵まれてる人がなるものだと思っていて。自分がそこに憧れたり、なりたいと思える権利があると思っていなかったんです。でも、妹が高校受験の時期に父が失業して、兄は引きこもりで、母は専業主婦――。僕はそのとき、学生だったんですけど、人間関係を築くのが苦手でネットゲームにハマっていて。そういう生活にいつか終わりが来るなんてことも想像すらしたことなかったんですけど、現実問題、家にお金がない――となったときに、家庭の空気が少しずつ悪くなっていって『働かなきゃいけない』と思い立った。だけど、それって人と関わらなきゃいけないから、バイトが全然続かない(笑)」
──それまでバイトをしたことなかった?
「あまりしたことがなかったんです。まず電話も面接も嫌、人と話したくない。だけど、身分証明をしないとまともな仕事はないので日雇いの仕事を転々としていたら、でんぱ組.inc(以下、でんぱ組)のイベントの受付でどら焼きを渡すバイトがあって――。そのとき、すでに金髪ショートだったんですけど、それが目を引いたのか、声をかけられたんです」
ニット¥128,000 ニットパンツ 参考商品/ともにSonia Rykiel(ソニア リキエル ジャポン 03-6447-5573)
──人と関わりたくないのに、そんなに目立つ風貌だったの?
「当時は親への反抗もあって金髪にしてたんですが、なんか目立つほうがあまり話しかけられないですね。怖そうに見えるのかも(笑)。でも、それが当時でんぱ組のプロデュースをしていた“もふくちゃん”という方の目に留まり、『ちょうど今いるメンバーの一人が抜けるので新メンバーを探してるんだけど、いま何してるの? 何が好きなの?』って話しかけられたんです」
──なんて答えたのですか?
「ニートでネットゲームにハマってて、外には全然出ませんって正直に言ったら『じゃあ、ぜひウチに来てほしい』って(笑)」
──「どうしてそうなる!?」っていう急展開ぶりですね!
「でも、最初は断ったんです。そもそも、歌も踊りも下手ですし、人前にでるのもニコニコするのも苦手なので、アイドルなんてできないです、と。だけど、このグループはアイドルというよりもオタク集団だし、まだ何をするとも決まってないから、まずはでんぱ組の活動拠点・秋葉原のディアステージというお店でバイトをしながらダンスレッスンなどもしてみて、あまりにも成長が見られなかったら断るので――と。そう言われたとき、いちばん最初に浮かんだのが『面接なし、履歴書も出さなくていい!』ってことだったんです。何より働かなきゃいけないという状況にあったので、好都合かも!って」
──確かに(笑)。
「それと、もふくちゃんが気さくな女性だったのも大きいですね。今でも大好きなんですけど、人柄に惹かれたんだと思います。この人に付いていってみようって――。結果的にその2カ月後にワンマンのファーストライブがあって、サプライズで加入しますっていうのが経緯ですね」
──人生って、どこでどうなるかわからないものですね。そこから脱退までの5年間はどんなものだった?
「最初は、とりあえずアイドルという肩書を考えずに、仕事として捉えようと――。切羽詰まってましたし、お金を稼がなきゃっていう思いが強かったので。最初は“生きるために”と言ったら大げさかもしれないけど、そこが大きかったですね」
──最初は生きるためであっても、今もこの世界にいるということは、どこかで何かが変わったということ?生き方としては他の選択肢もあるじゃない?
「生きるためにでんぱ組に入り、そこででんぱ組に救われ、でんぱ組のために頑張ろうって気持ちにどんどんなっていたんですが、精神的にも体力的にもすごくキツイ日々が続いていて――。2014年のツアーをやりながら、僕ひとりだけドラマの撮影を並行してやっていた時期がピークだったんですけど、その状況を理解してくれる人がいなかったり、いろんな風当たりも強く感じてしまったり。自分自身も悪循環で、眠れないことでどんどん余裕がなくなって、カメラを向けられても全く笑えないとか。笑ってと言われても『僕、笑うキャラじゃないんです』って突っぱねてしまったり」
ドレス¥160,000 ピアス¥25,000/ともにN°21(イザ 0120-135-015)
──メンタルのバランスが崩れちゃったんですね。
「その頃からお仕事も休みがちになって、それがきっかけでメンバーとも距離ができてしまったり。ワガママと思われても仕方ないけど、僕からしたらいっぱいいっぱいで、どうにもならない。そんな状況が2、3年続いたときに、もうダメだと――」
──もしかして、目標などなかった?
「なくなってましたね。入ったときは目標というよりも、自分が何もできないことを知ってたから、ダンスも歌もとにかくがむしゃらにやらなきゃ!と。他のお仕事もすべてが初めてのことばかりなので、全部一生懸命にやろうと決めて、徐々にメンバーともどんどん近くなってきて、大好きになって――。そういうなかで、僕自身がすごくでんぱ組に救われたと思ったから、何か恩返しがしたいと思った。いちばん最初に武道館に立ったときに、グループとしての一つの大きな目標が達成できたと思うんですけど、僕はあのとき、次はこのグループで東京ドームに立ちたいと思ったんです。そのためにも、もっと多くの人に知ってほしい。『でんぱ組のために何ができるんだろう?』って――。だから一人の仕事も引き受けましたし、グラビアも本意じゃなかったけど客層がまるで違うので、グラビアをやることで、でんぱ組の集客が増えればいいっていう思いだけだった。『どうしたら広がっていくだろう』ってことに、ただただ必死だったんです」
──仕事が好きというよりも「グループのために」という思いだったんですね。
「インドア派な僕がジムに通っていたのもライブの体力づくりのためだし、その時間がなくなってきたら、自宅にマシーンを買って毎日走ったり。それが自分のためだったら、絶対にやってない(笑)」
──仕事との向き合い方も人それぞれだったりしますよね。
「あるときメンバーに言われたんですよね。好き嫌い関係なく、仕事だからやるべきだって。だけど、それだったらやりたくないって思ったんですね。なぜココにいるのかって、途中から愛情が芽生えて、グループに役立ちたいからやりたいっていうのがいちばんのモチベーションだったし、そうじゃなく自分のためだとしたら、とっくに辞めていたと思います。それに、脱退を決めたときは、ソロ活動する予定もなかったんです」
──先のことは未定のままの脱退だったということ?
「そうなんです。なのに、なぜ今ココにいるかというと、何をして生きていくかの選択肢は現実的には他にもあると思うんですけど、僕の中ではもう他にないんですよね。脱退したときも1カ月くらいすごく無気力状態で、できればこの世から消え去りたいと思っていました」
──メンタルのバランスが崩れたから脱退したのに、脱退しても生きてるか死んでるかわからない状態だった。
「そうなんですよね。脱退を決めたいちばんの理由は、生きたいと思ったからというよりは、親に止められたんです。そんな状態でやってるならもう辞めてほしいって言われて」
スイムウェア¥32,000 ウインドブレーカー¥120,000 シューズ¥124,000/すべてIsabel Marant(イザベル マラン 03-5772-0412) ソックス¥556/Calzedonia
(H3Oファッションビュロー 0120-86-6201)
──それって、よっぽどですよね。単なる不機嫌のレベルじゃない。
「毎日泣きながら電話したりとか、体調を崩して動けなくなることもしょっちゅうありましたし。食欲もなく何のやる気も起きない。親がご飯を作りに来てくれても、ずっと寝たきり。そんなことが続いて、見ていて痛々しいっていうのがあったんだと思います。眠るために睡眠導入剤が必要だったんですけど、そうすると精神的にもどんどん不安定になってしまって。妹からも『お姉ちゃんをどう助けたらいいのかわからない』て言われたくらいで――」
──でんぱ組を辞めて、あらためて思うことってどんなことですか?
「ソロをやりたかったのではなく、グループに貢献したかった。でもだから頑張れたんだと思います。でもその一方で、それが自分のキャパを越えてしまっていることに気づきながらもどうにもできない。結果的に精神的に不安定になってしまって、現場の人に迷惑をかけることもたくさんあったんです。そういう自分の悪い部分もたくさん知っていたし、年に一回くらいは爆発してしまって、そのたびにマネージャーさんやメンバーに謝るってことを何度かしていたので、自覚もあったんですよね。自分、態度悪いな、ワガママだなって。忙しければ忙しいほど、睡眠時間を確保するためにどうすれば効率的にできるかを考えてしまって、だから現場が押すのがすっごく嫌で。ちょっとでも押すと、イライラしちゃう。でも、他の子たちはゆったりマイペースな子も多くて『もがちゃんは、押すとすぐ不機嫌になるよね』って言われてました(笑)」
──感覚は各々違いますからね。明日の仕事がある人とオフの人でも時間の捉え方って違ってくるだろうし。
「いま思うと、すごく焦っていたんです。一度、映画の撮影現場で不意に寝てしまったことがあって、自分で制御できない眠気に襲われた経験があるから怖かったんです。だけど、スケジュールが厳しいからこの仕事はしたくないですとも言えない。よく言われていたのが『ほかのアイドルグループのほうが忙しい。あなたはまだマシだから』って――。そっか、じゃあ、これに耐えられない自分はこの業界に向いていないんだなってことを何度も思って、何度も辞めようとしたんですけど、結局、辞めるのもすごく勇気が必要だった。メンバーのことは好きだったからその形を崩したくなかったし、脱退も親から言われたり、他の第三者からの決定打がなければ決断できなかったと思います」
──これまではグループ貢献だったけど、今後の活動のモチベーションはどんなものになっていくと思う?
「辞めるとなったときに、気にかけてくださった人たちがいて――。じゃあ、もう一回、自分を信じてくれる人たちのために頑張ってみようかなって。そこからのスタートですね」
──やっぱり自分のためではない?
「昔から自分のために何かすることがすごく下手なんですよ。だって『自分のために何かしたところで、何になるの?』って思っちゃうんですよ。他人が喜んでくれて満足感を得るタイプというか」
──なるほどね。
「突き詰めれば、誰かのためにやることで自分が嬉しい、自分のためにもなるっていうことでもあるんですけど。あと、ファンのみんなとの距離が近いんです。一人一人の人間として見てるから、名前を憶えている方も何百人といて、プライベートでどんな仕事をしてるってことを知っている方も多いです。僕自身、手紙に助けられたこともたくさんあったり、そうして関わってきた人たちと二度と会えなくなると考えたときに、すごく申し訳ないなと思いました。それに『グループを抜けても、絶対に応援し続けるから表の舞台に立ち続けてほしい』って、ホントに一部の人たちですけど、そういう言葉をくれる方たちもいて。自分が消え去るということは、そういう人たちをまた裏切ってしまうことになるのかなって――。だとしたら、他の仕事で人生をやり直すとかじゃなく、この業界でまた頑張るか、何もしないで無の状態でいるかの二択しかなかったんです。ニュースでは女優になりたいから脱退したって書かれていたりしたけど、それは事実じゃなくて。それを伝えたくてブログに書いたりしたけど、結局、多くの人はブログよりもメディアに出る情報に納得してる人が多いこともショックでしたし、復帰後に初めて頂けた仕事が香港のドラマだったことで『やっぱりね』って言われたり。そういうことにも最初は苦しんでましたけど、そこから半年たってやっと前を向きだした今って感じなんです」
──今後の具体的な目標はなんですか?
「そう聞かれてしまうと『ない』というか、ただ昔から言ってるのは、売れたいんですよ。なぜなら叩いてくる人が多くて悔しかったから。とにかく自分に自信が持てるくらい売れたい――。女優なのか、タレントなのか、モデルなのかもあやふやだけど“売れたい”“見返してやりたい”っていうのはすごくある。基本的にはざっくり『いつか幸せになれたらいいな』ってくらいで、結婚願望も特にないし、誰かに幸せにしてもらおうとかも全く考えてないけど、自分自身が自分を認められるようになればそれがいちばんいいなって思ってる。それをいま模索中という感じですかね――。きっとこの考え方に納得いかない人も多いと思います。でも、僕も明確なものがないからこそ悩んできたし、あったほうがいいのかもしれないけれど――、それよりも必要とされなきゃ残っていけない世界。使ってもらうからには、結果をどう残していけるか――。それが自分の未来になる。その自覚と覚悟があればいいのかなって――」
Photos:Kisimari Makeup : Yuka Washizu Hair : Kazuki Fujiwara Styling : Aya Kato Interview & Text : Takako Tsuriya Edit : Hisako Yamazaki