ヴェネチア・ビエンナーレ日本館の代表作家に選ばれた岩崎貴宏とは
現在行われている第57回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展(2017年5月13日〜11月26日)の日本館代表に選ばれた現代美術作家・岩崎貴宏とは?「Numero TOKYO(ヌメロ・トウキョウ)」2015年10月号に掲載されたインタビューを振り返る。
山口県にある瑠璃光寺の国宝、五重塔をディテールまで細かく模し、そしてそれが水面に映る姿までを立体化した作品。檜とシナベニヤで制作。全高は約3m。《リフレクション・モデル(瑠璃)》2014年
歴史的建造物や鉄塔、クレーンに魅せられ、それを器用に再現する。しかも逆さまに、あるいは髪やブラシの毛、タオルの繊維を使って……。見る人をここではない世界へ誘う現代美術作家、岩崎貴宏とは。
生地で育まれた岩崎貴宏の視点
──出身地である広島をいまも拠点とされていますが、これまでどんな道を歩まれたのでしょう。
「大学の専攻は美術ではなくデザイン科の空間造形でした。ところが、クライアントのいるデザインが面白くなくなってきて、建築模型で美術作品を作ろうと、2000年頃から平等院鳳凰堂など歴史的建築物が、水面に映り込むように上下に一体化させた『リフレクション・モデル』を作り始めました。当時はコンセプチュアルアートのような、頭で理解するアートが周囲では流行っていたのですが、それとは違う、手を動かす技術が結晶化したものをやりたいと思ったんです。でも日本の美術業界には、これは工芸だといわれ評価をしてもらえなかった」
──2004年から留学したエジンバラで変化があったということですか?
「『リフレクション・モデル』はそもそも水を表現したもので、枯山水の庭の石の波紋表現や海と島のジオラマに対する僕の解答でした。留学先でイギリス人に、『貴宏の作品は、なぜフリーズした時間を持とうとしているんだ?』と聞かれ、自分では水の表現のつもりだったものが時間に転換されたことにハッとしました。その時ふと、僕が広島で生まれ育ったからだと気づいたんです。都市自体が世界遺産で、500年前から一切変わらないエジンバラの人と、戦争と原爆によって1945年8月6日8時15分に一度リセットされた街で生まれ育った僕とでは感覚が全然違うと、広島人としての自分のアイデンティティを認識したんです。それまでは大本営もある軍事都市だったのが、ボツダム宣言受諾後は一瞬で平和観光都市にステータスチェンジした。秒針の『カチッ』という瞬間のような、楔くさびを打たれた時間があったんです。枯山水が室町時代からほとんど変化せず、同じ波紋がずっとあるように、そこには固着した時間があった。僕は水を表現しようとしていたのではなく、水を通して固着した時間に興味を持っていたんだと気づいた。『リフレクション・モデル』の水面の建築物は、凍結した時間の表象なんです」
布団を山脈と山崩れ防止のためのネットに見立てて、糸で作った鉄塔を設置。《アウト・オブ・ディスオーダー(布団)》2010年/2015年。
タオルの山に、タオルの糸で作った鉄塔を建てた。タオルを山水画の山のように見立て、色と配置の関係も絶妙に計算。《アウト・オブ・ディスオーダー(コンプレックス)》2013年。
──一方で、糸などの日用品でフラジャイルな鉄塔やクレーンを作り、風景として見立てる「アウト・オブ・ディスオーダー」シリーズがあります。
「ある日、適当に投げたバスタオルが山に見えたんです。『コンプレックス』は、一見洗濯物のタオルが無秩序に置かれているように見えますが、実際は僕が形を厳密に作っています。その上に小さな鉄塔を置くことで、突如としてタオルが山脈に見える瞬間がある。秩序と無秩序を行き来する感覚に『無秩序の外側=アウト・オブ・ディスオーダー』と名前を付けたんです」
Photos:Seiji Nomura
Interview & Text:Hiroyuki Yamaguchi
Edit:Sayaka Ito