『ヌメロ・トウキョウ(Numéro TOKYO)』200号(2026年10月号)では、ファッションからカルチャーまでさまざまな角度から絶えず姿を変え、蠢き続ける“トウキョウ”に迫った。インタビューでは、東京を拠点に活躍するアーティストやクリエイターたちに彼らにとっての東京の姿を聞いた。この街から生まれるクリエイティビティやコミュニティ、ここだからこそ描ける未来とは。第七弾は、第51回トロント国際映画祭でオープニング上映という日本初の快挙を遂げた映画『わたしの知らない子どもたち』を手がける西川美和監督と教師役を演じた二階堂ふみ。彼女たちは東京カルチャーシーンでどのようにコミュニティを築いてきたのだろうか。(『Numero TOKYO(ヌメロ・トウキョウ)』2026年10月号掲載)

子どもたちとだからできた映画づくり
──現在と地続きで戦争と向き合える、苦しいけれど希望のある作品でした。何より戦後の日本で生き抜く子どもたちが魅力的ですが、彼らと長い時間を共に過ごすなかで、感じたことはありますか?
西川美和(以下、西川)「子どもがここまでたくさんのボリュームで出てくる作品は、私も初めてでした。しかも、彼らが実際に体験している日常ではない役を演じてもらうことも。私の世代頃までは、親や祖父母の世代に戦争の経験があって、わりと身近なものとして暮らしてきましたが、オーディションに来てくれた小・中学生、特に東京近郊に暮らす子どもは、上の世代から話を聞く経験もないまま、戦争のことをほとんど知らずにいる。ただセリフだけ言えばいい、とすべきなのかと考えた末に、演じる子どもたちが何を体験したのか、この映画が語ろうとしていることは何なのかを一通り学んでもらいたい、と思ったんです。そこで、若い助監督たちと一緒に、しっかり時間をかけてベースづくりをしました」
二階堂ふみ(以下、二階堂)「監督や助監督の方々が設けてくださったリハーサルが最初の対面でしたが、主演の⼩⼋重葵美(こやえ・あみ)ちゃんも、周りの子どもたちも、現場で会うたびにどんどん顔つきが変わっていく。それを見て、きっとこの子たちは、それぞれの感覚でこの時代に向き合っているんだな、と感じました」
西川「一人ひとりが本当のところどう感じたかはわかりませんし、なかなか言語化できることでもないと思いますが、そのうえで、自分がどういうものを背負っている役なのかを感じながら臨んでくれたはずです。反面、そういう重たいものを背負わせながら映画を作ることのリスクもある。映画づくりという体験の楽しさと、重たい背景を引き受けてもらうこと。常にその両方に気を配りながらの撮影だったので、大人の俳優さんと作る映画よりも10倍疲弊するというか(笑)。私は体験していないけれど、これはたぶん、子どもを育てるということに近いんだろうな、と思っていました。こんなに心配で、すべてがゼロからなんだなと」
──良くも悪くも、影響を与えてしまう責任がありますもんね。
西川「そうですね。毎日、怖さと、うまくいくかという心配ごとの連続でした。でもそういうなかで、二階堂さんのような俳優さんが、しっかりと中心軸にいてくださって。子どもたちと一緒に演じるシーンがそれほど多いわけではなかったのですが、間を空けて撮影に来てくれたときに、気持ちがリセットされるんですよね。それに、二階堂さん自身の子どもへの接し方が、本当に堂々とされていて。さすが10代の頃からお仕事をされてきた方だな、と」
二階堂「デビューしたのがちょうど12歳ぐらいだったので、葵美ちゃんを見ていると、自分が初めて映画の現場に行ったときのことを、たまに現場で思い出したりしていましたね」
西川「私にとっては、俳優の子どもたちでも、二階堂さんにとっては後輩なんだ、という感じ。アプローチが私とは違って、すごく頼もしかったです」
二階堂「お芝居をすることも、映画づくりに参加することもそうですけれど、この作品が持つ強さは、子どもたちみんなが『演じる』ことで戦争を追体験していることだと思うんです。演じながら、あの時代や歴史が持つ悲しみや痛みを、全身全霊で受け止めている。大人なら、あらゆる言葉を使って自分のなかでなんとか消化させていくものを、受け止めきれないまま、現場で体現している。自分ももしかしたら、12、3歳の頃はそういうふうにお芝居をやっていたのかな、と振り返ったりもして。現場で監督や、撮影部をはじめそれぞれの部署の方が投げかける言葉を、みんなが一心に聞いている姿もすごく素敵で。心が清らかになる時間でもありました。ただ、私は最初の時間以外、ほとんど赤ちゃん役の叶要くんと一緒だったんです。彼は本当に救世主みたいな存在で」
西川「設定上で泣かなきゃいけないときは泣いてくれるんですよね。『本当にありがとう!』と思ってました」
二階堂「そうなんです」
西川「すっごく上手なんですよ。カットをかけたら泣き止むような、そういう子だったんです。とはいえ、赤ちゃんをずっと背負い続けながらお芝居をするのはとても大変ですし、赤ちゃんが出てくる撮影は、どうしても赤ちゃん合わせになっていくものです。俳優のお芝居が良かったかどうか以前に、赤ちゃんの状態に集中するから、大人の俳優もスタッフも、そのタイミングを逃さず、常にベストを出せる状態を保たなければならないんですけど、こういう脚本を書いてしまったんだから、もうそこはみんなで頑張ろうと(笑)」
二階堂「むしろ私は、叶要くんに救われることがすごく多くて。生徒を棄てても自分の子どもと自分を守るというところから始まった話でもありましたから、出産や子育ての経験がない私にとっては、叶要くんという存在が、身重の状態から母親になっていくところまでの気持ちの面をすごくカバーしてくれたなと思います」
──成長の重みを背中で実際に感じながら、演じられていたわけですもんね。
二階堂「はい。どんどん重くなっていくんです。撮影は3ヵ月間だったので、叶要くんにできることがどんどん増えていき、最後はもう動き回るようになっていました。そういう成長も、やっぱりすごいなと感じましたし、徐々にこちらを認知して、安心できる大人として向き合ってくれるようになったんですよね」
西川「ダンスホールに働きに行った曽根が、赤間麻里子さん演じるダンスホールの女将さんと二人で芝居する場面は、面白かったですよね。赤間さんが二階堂さんを攻撃するセリフを言うと、叶要くんが必ず泣き始めるんですよ。声が大きすぎてセリフが聞き取れないくらい(笑)。あの頃にはもう、二階堂さんの心情と連動していたのかもしれませんね」
二階堂「つながっているのかなって思います。こちらも(笑)」
西川「ね。やっぱり感じちゃうんですよね」
被害者性と加害者性を両面描くこと
──この作品では、被害者性と加害者性を、誰もがどちらも持っていることが描かれています。戦争で一番最初に被害に遭うのは子どもであるけれど、子どもも加害者になり得る。そうした両面性や複雑さと、お二人はどう向き合っていますか?
西川「被害者の語りは、日本でも多くつながれてきたはずなんですね。体験者のほうが実感を持っているし、それによって、『戦争って嫌だな』とか『この人たちが受けたような傷を自分も負いたくない』という意味での、『もう二度と戦争をしません』という非戦の誓いにつながる語りは、今までも多くあった。でも、同じ温度感で私たちの世代が被害者の立場でこの戦争を語れるかというと、その実感は持てないし、我が身に受けた傷のように叫ぶのははばかられます。だから、大切なのは、体験していない世代がどうしたら同じことを繰り返さなくて済むのかを考えることで、それが体験しない世代の語りの工夫だと思うんです。子どもですら、加担してしまうようになるのはなぜなのか、ということも、日本国内でも、日本国籍の人だけではなく、いろんな人がひどい目に遭って悲しんだのだ、ということも含めて。その両面は絶対に描きたいと思っていました」
──曽根先生も、まさにその両面を背負った人物ですね。
西川「二階堂さんが演じてくださった曽根先生は、そうするしかなかったという流れのなかに巻き込まれ、子どもに対する加害性を持ってしまった普通の良識人です。戦時中は、国のためを思ってやったことなのに、自分たちが守らなければいけないはずの子どもたちをも加担させてしまった。その怖さも含めて客観的に描いていくことが、自分たちにできることだと思います」
二階堂「戦争はどうしても、国対国、人種観、宗教観における『どちら側か』でしか語ることが難しいものだなと。でも、自分たちの被害性と同じぐらい、加害性というものを認知していかなければいけないんですよね。私たちは教科書で習う範囲でしか戦争を捉えられなかったりするけれど、日本が戦前から戦中にかけて、日本の領土と言われるところ以外で、もちろん国内でも、どういうことをしていたのか。そういう歴史観だけではなくて、今を生きていても、常に被害者になる可能性があるし、加害者になる可能性もある。それをどこまで自分ごととして捉えられるのか。今回は特に、すごく考えさせられました」
──自分ごととして捉えるためには、何が必要だと思いますか?
二階堂「そういう感度を持って物事を見るためには、ある程度の歴史的な背景と、自分たちが属するコミュニティの過去の加害性も、同時に学んでいかなければいけないのではと考えていて。さっき、要くんが赤間さんのセリフのたびに泣いたという話がありましたけど、あの場面には、『自分たちがこういうところで体を張っているから、守られているものがあるんだ』というセリフがあって。本当にそういうなかで、声も届かず、声も出さずに亡くなっていった人たちがいっぱいいた。そうなってくると、誰が加害者で誰が被害者かは決められない。だからこそ、いろんな視点で、自分たちの過去と向き合う必要があると思いました」
戦後の東京と、今の東京
──映画の中の戦後の東京の描写に、過去を忘れながら、変化し続ける東京を感じさせられました。お二人は、東京をどんな街だと捉えていますか?
西川「私も東京の人間ではなくて、30年ぐらい暮らしているんですが、なかなか『我が街』という感覚にならないんです。暮らしている人の多くが、仕事の都合といった理由で地方から来て住んでいるからかもしれない。だからおそらく、これだけ大きな被害があったのに、土地の戦争の継承のようなものに実感を持たれづらいのかもしれません。その感覚は、沖縄や広島・長崎とはちょっと違うんだろうな、ということがわかったんですね。子どもたちも東京大空襲のことを知らないし、被害がどんなにひどかったかという記憶の継承に、今後どのような意義を持たせるのかの議論はあると思うけれど、まず、東京はそういう街なんだな、と」
二階堂「私は沖縄出身なので、東京は常にフレッシュなものがたくさんある街だと感じていました。でも実は、戦火を免れて残っている建造物や、戦前からの街並みも結構あって、当時の写真と比べて『ここは意外と変わらないんだ』と思ったり。生活する日常のなかに急に戦争の名残みたいなものが現れる場所で育った身としては、『忘れていく』ということは、たしかにあったのかなと。だけど、忘れることで傷を癒やしていた当事者の方々がいたのだとしたら、知らない私たちは、口にしないこと、忘れることでしか傷を癒やせなかった人たちの思いもちゃんと汲んで、東京という街と向き合わなきゃいけない、と監督のお話を聞きながら思いました。私は戦争を体験した当事者ではないけれど、当事者を知る世代ではある。だから、忘れることでしか乗り越えられなかった人たちの思いというバトンを受け継いで、代わりに代弁していかなきゃいけない、と思うんです」
──忘れていく、というある種の冷たさと、誰もが平等にいられる空気が同居しているのが東京ですよね。
西川「いいことも悪いことも、どちらもあるんですよね」
二階堂「それが、いろんな人がいる東京の魅力なのかな、と」
──未来には、どんな東京を残したいですか?
西川「「世界でいちばん大きな都市のひとつですし、それに加えて安全で清潔。海外に行くと、みんながいかに東京に憧れているかを自覚するんですよね。また、私も東京でなければ映画の仕事はできなかったし、こんなにどこから来た人もよそ者扱いされず、平等に暮らせていた素敵な街を、これからもっと成熟させていくべきなんだろうなと。記憶の継承もそうだし、『過去のことだからもう忘れていい』ではなくて、こういうこともあったときちんとつなぎながら、街づくりや、そこに住む人の暮らしやすさが磨かれていくといいなと思います」
二階堂「この仕事をさせていただくなかで、沖縄では出会うことのできなかった、広島で生まれ育った西川監督と、東京で出会えた。そういう出会いと交差の街だからこそ、今は非常にサバイブするような感覚になる時代になってきたなと感じるときがあるんですけど、みんなが楽しく、いろんな刺激やカルチャーに触れられる街でありながら、そこで生活する私たちが、言葉を自由に交わせる場所であり続けてほしいなと思います」
今、この映画を世界に届ける意味
──現在進行形で、世界では戦争が起きていますが、お二人は、この作品と今がどのようにつながっていると考えていますか。
西川「作品を作ろうと思い始めた頃は、まだコロナ一色でした。ウクライナがロシアに侵攻される以前です。それより前から日本の法制が変わったり、きな臭さはあったにせよ、再び子どもが戦争の被害者になっていくことが大国間で行われるという実感はなかったけれど、それがあちらこちらで起こるようになった。私はそれが、すごく怖かったんですよね。非常に時代遅れな作品になりかねなかったのに、むしろ時代がそうなってしまったことが。学校や病院が爆撃されることを、誰もが口々に非難しても、止むことはない。どうしたらいいのかわからないまま、声の大きい為政者のやりたいようになってしまうことを、みんなが手をこまねいて見ているしかない。その状況を、非常に怖いと思っています」
──それに対して、映画には何ができると考えていますか?
西川「正直言って、わからないです。第二次世界大戦後の世界の映画は、ほぼみんな反戦のメッセージを探りながら描かれてきたと思うし、多くの報道や本でも、繰り返し唱えられてきたはずなのに、今こうなっていることに対して、映画にできることなどあるんだろうか?という無力感すら感じるので、楽観的なことを容易には言いたくないです。それでもやはり、大きな戦争を経験した国にとっては、その過去こそが、非常にネガティブだけれど財産でもある。加害の面も被害の面も含めて、『こういうことになるんだ』ということを、ほかの国にも伝えていく価値がある、と私は思います。この作品が海外の人にどう映るかは、国ごとの歴史背景や感覚があるから一概には言えませんけれど、子どもが戦争の被害に遭うのは大人たちの責任だし、とても怖いことだ、ということ自体は、なんとか伝わる契機にしたいと思います」
二階堂「監督のおっしゃっていることが、もう本当にその通りだなと。私は、この作品を見て感情が動くということが、非常に重要だと感じていて。今を生きる私たちがこの作品を見て、『被害者にも加害者にもなりたくない。それを背負わないようにするにはどうすればいいんだろう?』と素直に思えるようになるのがいちばんいいと思うんです。現代は、反戦を唱えると、そこに非常に論理的な言葉が続く世の中になってきて、『正義』のある言葉で、自分たちが住んでいない国や地域、違う思想を持った人たちを、ある意味攻撃してもいいかのような風潮がありますよね。それこそインターネットの中も戦争だな、と感じるときがあるし、ファイティングポーズを取らざるを得ない時代になってきてしまったというか。エンタメに関わる身として、どうしていくべきなんだろう?とすごく考えるときがあるんですね。でも、この作品に参加するなかで反戦を訴えられることに、すごく意義を感じました。そういう作品として、今の時代につながるといいなと思います」
『わたしの知らない子どもたち』
1945年に第二次世界大戦が終戦。家も家族も失った12歳の少女・琴子(小八重葵美)は、生き延びるため自らの性別を隠し、少年として生きることを選ぶ。一方、琴子の担任教師・曽根(二階堂ふみ)は、戦時中は軍国主義教育に加担した側だったが、敗戦により信念も立場も見失っていた。戦争によって人生を変えられながら懸命に生きた子どもたちと、その命を信じ、それぞれの選択で未来をつないだ人々の物語。
監督/西川美和
出演/小八重葵美、二階堂ふみ
URL/https://k2pic.com/film/wsk
全国公開中
Direction:Ako Tanaka Photo:Keiichi Nitta Styling:Eri Takayama(Fumi Nikaido), Yoshiko Kishimoto(Miwa Nishikawa) Hair & Makeup:Aiko Tokashiki(Fumi Nikaido), Asami Nishizawa(Miwa Nishikawa) Interview & Text:Tomoko Ogawa Edit:Mariko Kimbara
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