祝アカデミー賞4部門受賞! 今最も観るべき映画『哀れなるものたち』 | Numero TOKYO
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祝アカデミー賞4部門受賞! 今最も観るべき映画『哀れなるものたち』

アカデミー賞にて作品賞ほか計11部門にノミネートされ、エマ・ストーンの主演女優賞のほか、美術賞、衣装デザイン賞、メイクアップ&ヘアスタイリング賞の4部門を受賞した映画『哀れなるものたち』。作品が公開されるたび、私たちに新しい映画体験をもたらしてくれる希代の映画監督ヨルゴス・ランティモスの待望の新作『哀れなるものたち』を映画文筆家の児玉美月がレビュー。(『Numero TOKYO(ヌメロ・トウキョウ)』2024年3月号掲載)

世界の変革を願う女性の壮大な冒険

鳥の半身と豚の半身が縫合された奇妙な動物が動き回り、切断された馬の首を接合した馬車が走り抜けるヴィクトリア朝のスチームパンク的世界。あるお屋敷に、肉体は20代の女性でありながら精神年齢は赤子ほどのベラ、その傍らに天才外科医のゴッドウィン、彼の教え子であるマックスの三人がいる。理知的な男たちと知性に欠けた女という性差別的な図式から開始される『哀れなるものたち』は、あえて序盤にそれを配することによって巧妙なギミックと化し、より私たち観客を遠くへといざなってゆく。かつてベラは妊娠した身体で橋から飛び降り自殺し、ゴッドウィンは胎児の脳を彼女に移植して蘇生させたのだった。時折差し込まれる周囲が丸く塗り潰された魚眼レンズによる映像は、脳を移植された実験体なるベラを顕微鏡で観察しているかのような心象をもたらす。ベラはやがて外の広い世界を渇望するようになり、放蕩者の弁護士ダンカンとヨーロッパ横断の旅へ乗り出す。映画が進み、ベラが自己を拡大するにつれてモノクロだった世界は、豊かな色彩で染め上げられてゆく。

2023年、グレタ・ガーウィグによる『バービー』が世界興行収入10億ドルを超え、単独女性監督作品として史上初となる記録を樹立した。『バービー』では、誰もがその名を知るファッションドールであるバービーの完璧な毎日に亀裂が生じはじめ、「バービーランド」から現実界へと旅立つ。そこでバービーは性差別や家父長制を発見し、ケンによって男性中心社会へと変えられてしまったバービーランドを取り戻すために戦い、そして「人間」になってゆく。『哀れなるものたち』もまた、ベラが旅の途中で階層差や貧困などの社会の知られざる真実を目の当たりにし、変革を願いながら幼子だった精神は「大人」へと成長してゆく。ハイヒールに沿って窪んだ足で上品に歩いていたバービーと、糸で操られたマリオネットのようにぎこちなく歩いていたベラが、ともに自らの足で人生を闊歩するまでを追う『バービー』と『哀れなるものたち』は、今世紀を代表するフェミニズム映画として類縁関係を結ぶ。
 

『バービー』ではケンとバービーが結ばれるような異性愛に支えられた恋愛至上主義的結末にはならず、自己の開拓と世界の改革にこそ主眼があった。ランティモスはかつて、配偶者を45日以内に獲得しなければ動物へと姿を変えられてしまうホテルを舞台にした『ロブスター』(2015)で「普通」とされている恋愛や性愛を脱臼してみせていた。初期作『籠の中の乙女』(2009)でも、厳格な父親によって外界から遮断された家に暮らす子供たちは社会との関わりのなかで学んでゆくはずの性や恋愛に関する知識からも程遠く、したがって彼らの性行為はどこか異化的な印象を与える。これら『ロブスター』や『籠の中の乙女たち』といったランティモスの過去作の要素が融合された『哀れなるものたち』のベラもまた、肉体は大人ながら人前でも平気で食べ物を膣に挿入し快楽を覚えたりなど、「良識ある社会」から植えつけられる羞恥心や節度は持ち合わせていない。だからこそかえって、『哀れなるものたち』は性や恋愛にまつわる本質を剥き出しで暴いているともいえるだろう。

ベラは終盤、「私は新しい自分とクリトリスを大切にする」と絶叫する。この切実な叫びは、男性たる創造主によって蘇生された被造物であるベラが自身の身体を自分のものだとする主張であり、彼女を取り巻く男たちが独占欲や庇護愛を募らせ、家父長制的な結婚などそれらを正当化させる手段による支配への抵抗が込められている。そして同時に、性的快楽を手放さないという宣言でもありうる。自分で自分の身体を悦ばせ、男性以外の相手とも関係を持ち、男性主体の性の在り方を変容させてゆくベラの冒険を描く『哀れなるものたち』には、女性のセクシュアリティについての哲学がある。
 

大洋航路船で上流階級の生活を送るさなかに、ベラは人々が無惨に死んでゆくスラム街に衝撃を受けて苦しみ、しかし自分はあたたかなベッドで眠るその矛盾にまた苛まれながら、書物を手に取る。男に何度も本を海に投げ捨てられようと、とにかく知性を身につけようとする。ベラにとってそれはひとえに、世界を改善するための手立てである。私たちもこの現実で、虐殺をはじめ世界で起きているあらゆる残酷さに日々打ちひしがれ、無力を自覚しながらそれでも知識を得ようともがく。『哀れなるものたち』は荒唐無稽な映画に見えながらその実、そうした今日的な切迫性に満ちている。何度虐げられようと、一から生き直す──。人生を奪われたベラは“生”を与えられ、そして知性と自由と快楽を手に入れ、本気で世界を変革しようと夢想する。『哀れなるものたち』は、いまだ体験したことのない壮大な冒険へと、あなたを連れて行ってくれるに違いない。

『哀れなるものたち』

天才外科医によって蘇った若き女性ベラは、未知なる世界を知るため、大陸横断の冒険に出る。時代の偏見から解き放たれ、平等と解放を知ったベラは驚くべき成長を遂げる…。
監督/ヨルゴス・ランティモス 
出演/エマ・ストーン、マーク・ラファロ、ウィレム・デフォー
全国公開中
https://www.searchlightpictures.jp/movies/poorthings

配給:ウォルト・ディズニー・
©2023 20th Century Studios. All Rights Reserved

Text:Mizuki Kodama Edit:Sayaka Ito

Profile

児玉美月Mizuki Kodama 映画文筆家。共著に『彼女たちのまなざし──日本映画の女性作家』『反=恋愛映画論──『花束みたいな恋をした』からホン・ サンスまで』『「百合映画」完全ガイド』がある。2024年単著刊行予定。X(Twitter):@tal0408mi

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