ロンドンの「ザ・ドーチェスター」の大改装に見る名門ホテルの挑みと誇り
世界の戦禍は続き膠着した円安時代におののきながらも、コロナだけはなんとか終息し、海外との行き来がほとんど通常運行に戻った、2023年。
あらためて世界の都市力を天秤にかけるようにホテルの最前線も盛り上がりを見せ、ロンドンでは香港のザ・ペニンシュラやシンガポールのラッフルズといったアジアのホテルの開業が続くなか、ハイドパークに隣接しメイフェアの中心に位置するランドマークで、1792年にドーチェスター伯爵が邸宅を購入した場所に建てられた1931年創業の名門ホテル「THE DORCHESTER(ザ・ドーチェスター)」が過去30年間で最大の改装に着手し、ファースト・フェイズが完成。
『Condé Nast Traveler』が2023年12月に発表した毎年恒例の「The Gold List 2024」にも、ロンドンからはたった2軒、やはり名門Claridge’s(クラリッジズ)とともに選ばれるなど、あらためて注目を浴びている。
ここでは、そんなザ・ドーチェスターにあって新たに生まれ変わったスポットを、ささやかな滞在記かたがた、まとめてみたい。
まず、以前のザ・ドーチェスターを知る人たちが揃ってその変容ぶりを口にするのが、創業以来、重厚で豪華な内装でロンドンのアフターヌーン・ティーの名所として知られてきた「ザ・プロムナード」。
その名の通り散歩道のような、エントランスから奥に進むとあらわれる長い通路は後にも先にもザ・ドーチェスターの心臓部であり、リニューアルにあたってのインテリアデザインは、1946年生まれのレジェンドで、世界各国のフォーシーズンズを筆頭に名だたるホテル、日本では東京・銀座のロオジエも手がけた、フランス人のピエール・イヴ・ロションが担当。
パウダーピンクとゴールドカラーを基調に以前より明らかに彩度を増した空間は、英国王室や国内外の有名人たちの定宿やガラパーティのメッカとしての華やかな歴史に背くことなく、徹頭徹尾グラマラス。さらに「イングリッシュガーデンを散歩している感覚を」というコンセプトそのまま、チェアにカーペットにカップにアートに押し並べて花柄がキュレーションされているのだが、装飾的に寄りすぎず緊張感をもって調和している。
食事については、ヴィーガン向けも用意されたアーバンなアフターヌーン・ティーはもちろん、サーモンやロブスター、各種卵料理まで、選り取り見取り。名門らしく新鮮な食材使いも、長時間のフライトや時差ボケもなんのその、確かな食欲がそそられる。イギリス伝統のイングリッシュ・ブレックファストも定番以外にヴィーガンとベジタリアン、搾りたてのジュースやスムージーなどこなれたメニューが揃っていて、仮に別のホテルにベッドを確保したとしても、ロンドンで最高の部類に入るとも言われるここでの朝食を目当てにザ・ドーチェスターへ出かけるのは、洒落た選択だと思う。
さらに、このザ・プロムナードの最も奥まったエリアに誕生したのが、カウンターの左右に設置されたラリック・クリスタルのパネルが発光し、鏡張りに切り替わった天井のもとに広がる「アーティスト・バー」。目印はエッチングを施した鏡、ラインストーンやクリスタルが敷き詰められた、ブリンブリンのグランドピアノ! これはフラッシーな衣装と演出で一世を風靡したアメリカの伝説的ピアニストでエンターティナーLiberace(リベラーチェ)がラスベガスの自宅に所有していたものを最終的にザ・ドーチェスターが落札し、保管していたものだそう。
壁面の各所には故エリザベス女王の郵便切手をマザー・オブ・パールのボタンで描いたイギリス人のアン・キャリントンの作品など、英国や自然がテーマのコンテンポラリーなアートが掲げられ、ちょっとしたギャラリーさながらでもある。
メニューはキャビアやオイスターなどシーフードと、シャンパーニュのペアリングが王道で、泡好きはぜひここでの一息を軸にザ・ドーチェスターでの時間を組み立ててほしい。日によってはリベラーチェのグランドピアノの周辺におもむろに集まってくる音楽アーティストのライブにも遭遇できる。
一方で全180室のうち、1Fと2Fのみ先行して2023年6月にリニューアルが完了したゲストルームは、ザ・プロムナードと同じくイングリッシュ・ガーデンをテーマに、ここもピエール・イヴ・ロションがインテリアを手がけている。
現段階で10タイプが存在する最大170㎡の豪華スイートは、シルクに職人が花柄を手描きしたイギリスのブランドde Gourney(ドゥ グルネイ)のベッドボードが、クラフトならではのあたたかみを演出。
加えて、37㎡から6タイプが用意された一般的な客室は、その壁紙やクッションなどのファブリックに、トラディショナルなイギリスの絵柄を扱うテキスタイルブランドCOLEFAX AND FOWLER(コールファックス アンド ファウラー)を採用。部屋ごとにリーフグリーン、ローズ、ヘザー(紫ツツジ)といったガーデンカラーでまとめられているので、どの色に迎えられるのかを想像しながら、チェックインするのも楽しい。ただし、ブックする際はできる限り、四季の樹木や花々を望むハイドパーク沿いや、テラス付きのゲストルームを。公式サイトの“ROOOMS&SUITES”の説明がなかなか細やかなので、ぜひ、そちらも参考に。
さらに今回滞在した部屋で気に入ったのは、ベッドボードに埋め込まれていて、都度取り出すスタイルの真鍮の読書灯。ちょっとした小技が効いたディテールの数々も、インテリア好きの好奇心をくすぐってくれる。
ほかにも、改装を経て配管なども整備されたばかりで、クラシックホテルでやもするとトラブルに見舞われがちな湯量や温度も、申し分なし。すべてのバスルームは大理石仕上げで統一され、お湯に浸かりながら眺める小窓の外、移ろうハイドパークの緑は、自然のキャンバスになる。
ちなみに花とのつながりという意味では、2023年3月にインハウスのパティシエとフローリストがコラボした「ケーキ&フラワー」もオープン。アフターヌーン・ティーにも登場する各種ケーキ、柚子×アールグレイのフレーバーなども見受けたハンドメイドのボンボンショコラ、シャンパーニュ、ザ・ドーチェスターのパッケージに入ったギフトセット、アレンジメントなどが販売。ブーケのオーダーやデリバリーにも対応していて、見ているとホテルゲスト以外の客もひっきりなしにやってきていた。
これに関しては今回の滞在中、ザ・プロムナードの一席にあらかじめセッテングされたオーダーのアレンジメントを見かけたりもして、パートナーとの旅なら相手へのサプライズや、ロンドン在住の友達などのお祝いごとがあれば倣いたい、スイートな風景だった。
また、ザ・ドーチェスターのダイニングに関しては、ロンドン版のミシュランの3つ星を獲得しているご存じアラン・デュカスのフレンチや、コンセプチュアルな中国趣味とアールデコが融合した空間からしてドラマティックな、ロンドンを代表する広東料理「チャイナ・タン」がよく知られている。そんななか、創業以来の歴史を誇る英国料理の老舗「ドーチェスター・グリル」が2022年、エセックス出身の若干26歳のシェフ、トム・ブートンを抜擢。「ザ・グリル・バイ・トム・ブートン」として、ガストロノミーのダイニングに大胆な方向転換のもと一新した。
そのインテリアも、全世界のカルティエのブティックなどを代表作とするフランス人のブルーノ・モアナーが、ムラノグラスらしい造形美のシャンデリアがキャッチーなスペースに。
料理のハイライトは、詰め物をした丸鶏のローストチキン、グレイズされたチキンウィング、チキン入りのショートクラストパイの3種がワンプレートで運ばれてくる「オール・ザ・チキン」! そのフレッシュな才能を味わい尽くすにあたっては、必ず、お腹を空かせて出かけてほしい。
さらに見逃してほしくないのは、ロンドン屈指のバーでとして知られ、こちらも2022年の改装を経て、「バー・アット・ドーチェスター」から名称を新たにした「ヴェスパー・バー」。世界の名だたるレストランやバーのデザインに引っ張りだこのスウェーデン人のマーティン・ブルドニツキによる空間は、1930年代の秩序と喧騒が共存した時代のインテリアをベースに、ラウンジライクな家具をミックス。
ピエール・イヴ・ロションのラブリーなインテリアとは一見して異なる、ノスタルジックでマニッシュなムードは、映画のセットに紛れ込んだような高揚感が格別で、イギリスならではの成熟したバー文化が香り立つ。
リニューアルをきっかけに、ジェームズ・ボンド・シリーズでもザ・ドーチェスターをたびたび舞台にし、このバーの常連だった作家のイアン・フレミング考案の名物カクテル「ヴェスパー・マティーニ」も、仕上げにフレグランスを香らせるスタイルへアップデート。
ほかにも生涯で実に37回このホテルに宿泊したというエリザベス・テーラーのニックネーム「ベッシー・メイ」という名のカクテル、若き日のエリザベス女王をはじめザ・ドーチェスターで撮影したセレブリティの写真を数多く遺したセシル・ビートンのための「グラス・オブ・ファッション」、チェックインの際に思わず目を奪われるレセプションの壁に掲げられた、蜂の巣を石膏に鋳造し金箔を貼って繋ぎ合わせたアートを表現したカクテルもあるのだとか。
バーの個室ではセシル・ビートンの写真作品に出くわしたり、アンティークのバカラグラスでサーブされた一杯に耽っていたところ、ふと流れてきたサウンドトラックにピチカート・ファイブの「トゥイギー・トゥイギー」のカヴァーが紛れ込んできたりで、つぶさに目と耳を凝らすほどただのバーではないので、“ヴェスパー”という名がボンドの愛した最愛の女性にちなんでいることにすでにお気づきの方なら、余計にお見逃しなく! 昼間からの営業を逆手に、夏場なら夕方を待たずハイドパークに面したテラスでマティーニに興じるのも、後になるほど忘れ得ぬ旅の余韻になるのではないだろうか。
そして、忘れてはならないスパは、ザ・ドーチェスターが開発したというバラの品種で、客室をはじめ随所に活けられている、その名も「ドーチェスター・ローズ」に迎えられつつ、喧騒から距離を置いた地階にひっそりと。
ここでは2023年9月、それまでトリートメントに使用されていたスイスのヴァルモンとロンドンのキャロル・ジョイ以外に、スコットランドの西に位置するヘブリディーズ諸島発祥のオーガニック・スキンケアブランドで、ケルト系のゲール語で“水”を意味する「ishga(イシュガ)」が加わった。
古くからスコットランド産の純オーガニック海藻は抗酸化作用と効能で珍重されてきたそうで、イシュガはなかでも最高品質の海藻に、ヘブリディーズ諸島のさらに北に位置する辺境のルイス島の天然水をブレンド。今回はボディトリートメントにトライしたが、全身にスルスルと浸透し、施術後に使用感がのこることもなく、まさにピュアな地球の底力のようなものを取り込む新体験に。
各種プロダクトは購入もできるので、帰国後の自身や家族のメンテナンスや、ときにはリラックスを手に入れてほしい働き者の友人知人へのスペシャルなお土産にもおすすめしたい。
なお、ザ・ドーチェスターは、パリのル・ムーリスやホテル・プラザ・アテネをはじめ世界9つの名門ホテルと4つのレジデンスがユナイトする「The Dorchester Collection(ザ・ドーチェスター・コレクション)」のフラッグシップでもあり、2024年にはドバイに「The Lana(ザ・ラナ)」を、2028年にはTOKYO TORCHの上層階にアジア初となるホテルのオープンも予定している。
ザ・ドーチェスターのすぐ向かいに位置し、1960年代に建てられ上流階級向けの社交場だったバウハウス建築をホテルにリノベーションした2011年創業の「45 PARK LANE(フォーティファイブ・パーク・レーン)」もこのコレクションに参画していて、2023年7月には、ここに「鮨かねさか」が誕生。
隣接するハイドパークの池をインスピレーションにした組子細工や一枚板の木曽檜を使ったカウンター、奈良の山中で50年以上に作陶を続け海外にも名を馳せる辻村史郎が特別に製作した壺などは、金坂真次シェフが今回が欧州初進出となる意気込みを体現すべく、納期ギリギリで日本から持ち込んだと聞いた。ザ・ドーチェスターに滞在するならそんな姉妹ホテルとのシナジーも積極的に味わうべく、いかんせん少々値は張れど、名店の挑戦がパワフルなロンドンでどう受け入れられているかを心してキャッチしてみるのも、ありかもしれない。
他方で、ザ・ドーチェスターもフォーティファイブ・パーク・レーンも、目の前に広がるハイドパークはもちろん、ボンドストリートやサヴィル・ロウ、ハロッズも徒歩圏内。ロンドンのホテルでは屈指の立地でもあるので、空き時間にショッピングに繰り出したい旅人や街をなるべく歩いてまわりたいタイプにとっても、効率よく動きたい短い滞在の拠点としても、ベストチョイスになるはず。
すなわち、ロンドンの都市力を支え、その歴史に名を刻んできたホテルという文化を、ザ・ドーチェスターという世界の名門が守りに入らず、かといって単にリノベーションを遊ぶのではなく、どのように前進させているのか。
古きを更新するにも継承するにも利益をまず優先して、建築からして残すことがなかなか難儀な東京という都市のホテル文化を見る限り、ザ・ドーチェスターが大改装を通して伝えようとしている唯一無二のホテルゆえの挑み、その誇りに学ぶものは、大きい。
THE DORCHESTER
https://www.dorchestercollection.com/london/the-dorchester
1泊855ポンド(一般客室)〜・2,315ポンド(スイート)〜 ※2023年12月時点
Edit & Text, Photos(several): Yuka Okada
Profile
HP: https://81inc.co.jp IG: @yukaokada81