街づくりとしての建築とデザインがもつ力を新たに問う、福岡の日本初デザインホテル「ホテル イル・パラッツォ」の再生
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街づくりとしての建築とデザインがもつ力を新たに問う、福岡の日本初デザインホテル「ホテル イル・パラッツォ」の再生

わたしたちが住む日本は、建築を残すという文化においてあまりに不得手だ。村上春樹や桑田佳祐までもが反対の声を上げ世論を賑わせている神宮外苑の再開発に至っては、建物のみならず樹木という自然すら蔑ろにする姿勢までが、あらわになっている。

那珂川沿いに昔懐かしい名物屋台が並ぶ福岡の中洲、その対岸の春吉(はるよし)という夜の盛り場に1989年、再開発の第一歩として誕生した日本初のデザインホテル「HOTEL IL PALAZZO(ホテル イル・パラッツォ、以下イル・パラッツォ)」もまた、世界に誇る福岡の名所として一時代を築きながらも、時の流れの中で売却の憂き目に。その後コンセプトの変更を余儀なくされたが、2023年10月1日、当時の理念に立ち返るべく2年間のリ・デザインと冠したプロジェクトを経て、地下1階から地上8階までの全77室のホテルとして新たに竣工となった。

このイル・パラッツォの存在感は「建築による街づくりは可能か否かを証明したい」という結託のもと、実業家である土地の所有者からこのプロジェクトのアートディレクションとインテリアデザインを任された内田繁と彼が声をかけた20世紀のイタリアを代表する建築家アルド・ロッシ、今は亡き二人が開業時に仕掛けた、デザインと建築の力に集約される。

第一にファサードにはイラン産の赤いトラバーチン、その支柱の間を水平に走るリンテルには東洋的な緑色を取り入れ、正面の通りから2階に上がる階段とそこに現れる広場にはローマ産の白いトラバーチンを採用。その突如として異質、かつ圧倒的な佇まいは、誕生から34年を経た今も威風堂々と我々を迎え入れ、まさに建築による街づくりという点においても起爆剤となり、春吉にこれまでにはなかった風景や人流を創出するきっかけとなった。

「表層的にデザインを取り入れて、それが受けたとしても、せいぜい5年。1980年代のビジネス全てそうだったわけです。その程度にデザインを利用して、何かうまく匂わして、5年くらいワーワーいって使い捨てです。ところが、今回イル・パラッツォで示したかったのは、デザインの真の姿というのは4年5年の問題ではなくて、そこに必要な姿が生まれることではないのかということなんです。だから、直感的にアルド・ロッシの名前が頭のなかに浮かびあがった。ただ、彼の持っている建築の力について評価をしたのであって、イタリア人であって、あるいは世界的な理論家のこういう人間であってという、側面的なものを評価したわけではないんですね。大手のようにマーケティングの係数を積み上げていって、ビジネスの数字面をつくりあげても、どうしてもデザインの可能性は分析できないのです。つまり想像はマーケティングには表れないのですね」(一部抜粋・中略あり)

1990年に発行された書籍『都市を触発する建築 Hotel IL PALAZZO』(六曜社刊)にそう記録されている在りし日の内田の発言は、コロナ以降のインバウンド需要に重きを置いた開業ラッシュのホテルの中でインディペンデントな存在価値を放つものが少ない現代で改めて説得力を増す一方で、今回のリ・デザインを内田の理念を受け継ぐそのデザイン研究所が担っているというのも、必然と思える。

そうして再生されたイル・パラッツォには、オリジナルデザインの段階ではロビーとして、その後は福岡を代表するディスコとしても人の往来を受け入れた地下空間に、新たにレセプション&ラウンジ「EL DORADO(エル・ドラド)」が出現。当時のデザインを参考に製作されたという家具を通して、テーブル席以外に、カーテンで仕切られたボックス席、ワーク仕様など多様なシーンに対応し、その数130席。中央には新たなシンボルとして、内田の晩年のアートワーク「ダンシングウォーター」が設置され、水面が捉えた周囲の光の揺らぎに、自然を感じることができる。

開業当時のグラフィックデザインを手がけた亡き田中一光による「HOTEL IL PALAZZO」のロゴタイプにも、もうひとつ、「EL DORADO」の名前が寄り添うことになった。

さらにリ・デザインを機に2階から1階に移されたというエントランスは、赤・緑・青という開業当時の3原色から取り出したというダークブルーがインスタモーメントとしてのインパクトを生み出し、緩やかに下る通路の奥には内田が生前デザインしたフラワーベースに、赤いバラが一輪。

そこからエレベーターで地下へ下りるとエル・ドラドに通じ、“パラッツォ”が意味する“宮殿”の象徴的意匠でもある列柱に迎えられるが、ここは1989年当時のデザインと並べてみると、もっともリ・デザインのポイントがわかりやすい空間でもある(以下、上写真が現在、下写真が当時のもの)。

ちなみにエル・ドラドでは、九州の名物のかしわめしやチキン南蛮、筑前煮なども揃う朝食から、ランチ、アフターヌーンティー、夕食まで、福岡最大級を公言する4タームのブッフェが終日サーブ。食事利用以外にも滞在の合間、いつでも小腹を満たすことができる。今後は宿泊客に限らずワーケーションやテレワークのゲストも受け入れたいとするが、このドラマティックでスペーシーな空間に相応しいパーティやイベントなど、非日常の舞台としての発信も待たれるところだ。

一方で春吉という夜の盛り場ならではのカオスを失わないように、イル・パラッツォには当初から左右に街路も設けられ、これに沿って、2棟の低層建築が建てられた。これもまた内田とアンドレ・ロッシが掲げた建築による街づくりの精神を体現している。

1989年の開業時、この両棟の中にはアルド・ロッシ以外に、近年その詩情豊かなデザインが海外で再評価される倉俣史朗(下写真)、エットーレ・ソットサス、ガエターノ・ペッシェという当時のデザイン潮流を牽引した個性の異なるスターデザイナーたちによる4つのバーも生まれた。

あえて4つのレストランとしなかったのは、ありきたりな効率ばかりでなく、都市には非日常の異空間が必要だというメッセージでもあったというが、これもまたデザインへの信頼がなければ成立し得ないアプローチといえる。

残念ながら現在は建築のみが残されそれらのインテリアは跡形もないが、アルド・ロッシがデザインした日本酒バー(下写真)のシンボルでもあった酒のボトルを並べた棚だけは、前述のレセプション&ラウンジを入った正面の壁に移設され、「エル・ドラド」もこのバーの名称をそのまま拝借している。

なお、肝心のホテルの部屋はというと一転、色の主張を抑えた静的なデザイン。全室27〜35㎡とビジネスホテルより広めに設定され、なかでも新たにバルコニーが増設された2階の部屋は、当初はレストランが入っていただけあってその天井高が4メートル。他のフロアに比べて開放的なつくりになっている。英国王室にも認められたイギリスの老舗ベッドブランドで、世界のラグジュアリーホテルでも採用されている「スランバーランド」のマットレスも安眠に誘い、ワイドなワークデスクの存在は忙しいビジネスパーソンにはことさら心強いはずだ。

また、部屋のソファやテーブルに関しては、エル・ドラドの家具同様、やはり開業当時のデザインやカラーを踏襲。計算された照明も、シーンやムードに寄り添う。

かくしてイル・パラッツォの再生は、建築とデザインが持つ力を改めて我々の時代に託すと同時に、街を抱き、よりよく変容させ、人々と共に生き続ける建築や場所に必要な土壌を、その多くが失われてやまない今、滞在するひとりひとりに問いかける。

HOTTL IL PARAZZO
https://ilpalazzo.jp

Edit & Text: Yuka Okada Photos: Satoshi Arakawa(re-design part) Nacása & Partners Inc.(original design part)

Profile

岡田 有加Yuka Okada 編集者・プロデューサー。81 Inc.代表。ジャンルを問わずタイムレスなアーティスト(人間)を伝えることを軸とし、紙雑誌の企画編集を故郷に、書籍や写真集、現在は編集長を務める『GINZA SIX magazine』をはじめ、デジタルを含む数々のメディアやプロジェクトの企画プロデュースを担う。2023年は佐藤健×マリオ・ソレンティのコラボレーションによるアートブック『Beyond』を企画編集。趣味は仕事から離れて否応なく気分を変えることのできる場所としての国内外ホテルステイ。
HP: https://81inc.co.jp IG: @yukaokada81

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