『ウェルカム トゥ ダリ』メアリー・ハロン監督インタビュー「ダリと妻であるガラとの複雑な関係に興味を持ちました」
「20世紀を代表するスキャンダラスでエキセントリックな芸術家と言えば?」と問われたら、誰を思い浮かべるだろうか。おそらく何人かの名前がすぐに挙がるだろうが、その中には確実にサルバドール・ダリの名が含まれるはずだ。いや、むしろ、20世紀から現在まで一般に流通する「芸術家」のイメージは、彼が自身の上に作り上げたものと言えるかもしれない。自らを「天才」と呼び、「神」と例えるその不遜で仰々しいセリフを両端が跳ね上がったあの口髭越しに放つ姿は「芸術家」という不可解な人種に対し20世紀の人々が持っていたイメージに自らを重ね演じていたようにも思える。もっとも、そうしたいわゆる「芸術家」としての知名度が広く世間に浸透とするのと反比例するように、彼の「作品」を評価する声は失われていったのではあるが。
そんな毀誉褒貶(きよほうへん)に彩られた「芸術家」にして、時代を代表するセレブリティであったダリの喧騒と焦燥と失意の日々を描いたのが、この映画『ウェルカム トゥ ダリ』だ。監督は『I SHOT ANDY WARHOL』(1996)、『アメリカンサイコ』(2000)といった作品で知られるメアリー・ハロン。アーティスティックな感性とジャーナリスティックな視線を併せ持つ女性映画監督として、70歳の現在もハリウッドの第一線で活躍する彼女はダリをどのように描こうとしたのか。
「実はこの映画のオファーが来た時、私はあまり乗り気ではありませんでした。当初の企画ではダリの晩年におこなわれていた作品の詐欺まがいの販売が中心で、私も脚本を担当した私の夫も、そのストーリーを面白いとは思えなかったのです。むしろ、私たちが興味を持ったのはダリと彼の妻であるガラとの複雑な関係です。ダリとガラのパワーバランスはとても複雑でどちらが支配しているのかが簡単には言えない。実際、ガラはダリに対して支配的に振る舞っているようにも見えますが、ガラは自分の人生の全てをダリに捧げていたとも言えます。そして、母親と子供のような関係でもあるのです。ですから、ダリとガラの関係の複雑さを中心としたものにストーリーを書き直すことから、私たちのプロジェクトは始まりました」
ハロン監督の言葉通り、本作でダリはその傲慢不遜な発言とは裏腹に日常生活はおろか創作への動機づけさえ妻のガラに依存する人物として描かれているし、ガラがダリをコントロールしようとする様子はこの二人がすでに不可分な間柄であることを強く印象付ける。映画はこのダリとガラの関係を、70年代のNYで行われたダリの展覧会を巡る日々を中心としつつ、その晩年まで描くのだが、そこで重要な役割を担うのがダリのアシスタントとして登場する青年、ジェームスである。
「“ジェームス”という人物が実際にいたわけではありません。しかし、ダリは常にジェームスのような若くて美しい男性のアシスタントをそばに置いていました。同様に彼のパーティに華を添える美女=ジネスタも実在の人物ではありませんが、当時ダリは常にブロンドのグラマラスな女性に囲まれていて、彼女たちを皆、“ジネスタ”と呼んでいたのです。ギャラリーのオーナーであるクリストフも含め、これらの登場人物たちはフィクションではありますが、実際にダリの周りにいた人々を表象する人物に違いありません。その一方で、ダリのミューズであったトランス女性のアマンダ・リアや、ガラが執心していたミュージカル『ジーザスクライストスーパースター』の主演俳優であるジェフは実在の人物です。ジェームスは高名でミステリアスなアーティストであるダリに心酔するイノセントな人物として映画に登場します。しかし、アシスタントとしてダリに接するうちにダリの真の姿を知るようになります。そして、その真の姿には、暗く、複雑な面もあり、当然欠点もあるわけです。また、ダリのアシスタントという役柄は、ダリがアトリエで作品の制作をしているところを描くことにも役立ちます。作品を制作しながらジェームスと会話する中でダリが自身の過去を語るというようなことも描けますし、このような経験を通してジェームスが成長していく過程も描きたかったのです」
こうして映画は、ダリとガラの関係を軸としながら、彼らに魅了され、翻弄され、同時に彼らを利用する人物たちにもフォーカスを当てる。このような人間模様が象徴的に表されているのが、NYでの展覧会を控えたダリが夜毎開いた、華やかでカラフルなパーティのシーンだ。70年代NYの「サロン」の持つグラマラスなムードが漲るなかに、不吉な気配が漂うこのシーンは本作のハイライトの一つと言えるだろう。
「ダリは、とても死を恐れていたのです。特に晩年は常に死に対する恐怖に囚われていた。パーティでも彼が語るのは死についてです。言ってみれば、ダリにとって華やかなパーティを開くのは死への恐怖を紛らわすため。だからパーティのシーンにも暗さや悲しみが漂うのです」
NYでの展覧会が不評に終わった後、ダリとガラはスペインのポルト・リガトに帰郷する。しかし、そこでジェームスはダリの作品が無惨に扱われるのを目にし、彼らのもとを去ることになる。
それから約十年が過ぎ、自身の画廊を持つギャラリストとなったジェームスはダリがスペインの自宅の火事で重傷を負ったことを知り、彼が運ばれた病院へと駆けつける。そこにはすでにアマンダ・リアがいて、ジェームスはガラの死にまつわる奇妙なエピソードを彼女から聞く。今からパリに行きファッションショーに出演すると言うアマンダと別れた後、ジェームスは入院中のダリへの面会を医師に申し出るが断られてしまう。しかし、次の瞬間、車椅子に力無く乗せられた無表情の老人がジェームスの前を横切ろうとする。それが、かつて溢れんばかりのエネルギーに満ち、数々の奇行で世を騒がせた鬼才画家であることは言うまでもない。そして、この時、スクリーンに視線を向ける私たちも、「サルバドール・ダリ」という「芸術家」との「再会」を果たす。
そう、この映画は同時代の人々から世間の常識を逸脱した異物として、畏敬と侮蔑の入り混じった目で見られていた20世紀的な「芸術家」の姿を私たちに思い起こさせてくれるのだ。実際、本作を観た人の多くは、21世紀ももはや初頭とは言えない現在において、ダリの作品がどのように評価されているのかを知りたくなるだろうし、その生涯から今なら何を読み取ることができるのかといったことに思いを巡らせる人もいるだろう。事実、ハロン監督自身がこの映画の制作を通じて、ダリについての認識を新たにしたというのだから。
「一般的にダリの作品は1930~40年代のものが良いとされ、それより後の作品は評価が低い傾向にあります。けれど、この映画を撮り終えた今、私はダリの後期の作品にも良さを感じるようになりました。彼にはアートにおけるハイとローや、グッドテイストとバッドテイストといった区分けは無いのです。彼はいつも新鮮な目で世界を見ていて、美術館に展示された絵画も土産物屋のポストカードも区別なく、自分が美しいと思うものを先入観なく見つけ出す。アーティストとしてその新鮮な目を持ち続けるというのはとても大変なことだと思うのですが、ダリはそれを持ち続けていた。それが素晴らしいのです」
『ウェルカム トゥ ダリ』
監督/メアリー・ハロン
出演/ベン・キングズレー、バルバラ・スコヴァ、クリストファー・ブライニー、ルパート・グレイヴス、アレクサンダー・ベイヤー、アンドレア・ペジック、スキ・ウォーターハウス、エズラ・ミラー
配給/キノフィルムズ
9/1(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館、
YEBISU GARDEN CINEMAほか全国公開
© 2022 SIR REEL LIMITED
dali-movie.jp
Interview & Text:Tetsuya Suzuki Edit:Chiho Inoue