映画を観て、聴いて、語る、ホイットニー・ヒューストンの時代 | Numero TOKYO
Culture / Feature

映画『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』を観て、聴いて、語ろう

1985年リリースのデビューアルバム『Whitney Houston』の爆発的ヒットを皮切りに数々のヒットシングルを世に送り出し、80〜90年代のアメリカを代表する“歌姫”として米国音楽史にその名を刻むホイットニー・ヒューストンのデビューから死までを、描いた伝記映画『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』が公開される。

2012年、48歳のホイットニー・ヒューストンが、グラミー賞の授賞式の前夜に宿泊中のホテルで突然の死を迎えてからちょうど10年。天性の歌声と華やかなキャラクターで一斉を風靡した80年代後半、映画『ボディガード』に出演し、その主題歌「I Will Always Love You」で驚異的なセールスを記録、そしてボビー・ブラウンとの結婚とキャリア絶頂期を迎える90年代前半を経て、薬物依存、離婚、経済状態の悪化と名声に陰りが見え始める2000年代へと彼女の半生を追うこの作品は、「スーパースターの孤独」「音楽シーンの変遷」「黒人女性の苦悩」など、様々な観点から鑑賞することができる。また、ホイットニー・ヒューストンのヒット曲の数々が使用され、映画館の音響環境が格段の進化を遂げる昨今に最適な「サウンドを堪能できる映画」としても楽しめるこの作品の魅力を、ともに音楽ライターである渡辺志保と高橋芳朗が探る。

クイーンの伝記映画『ボヘミアン・ラプソディ』を手掛けたチームが
ホイットニー・ヒューストンの生涯を映画化

──本作をご覧になって、どのような点が印象に残りましたか?

渡辺志保(以下、渡辺)「ホイットニー・ヒューストンがその生涯をいつ、どのような形で終えたのかというのは周知のことではあるし、当然私もそれを、つまり、彼女の人生のとても悲しい結末を知ったうえで、それがこの映画ではどのように表現されるのかをハラハラしながら観終えたという感じです。上映時間の2時間24分の中にたくさんのハイライトがあるのですが、中でも、物語の冒頭でホイットニーがバイ・セクシャル、ないしは同性愛者であるということが、描かれていて、そこに関しては非常に斬新というか、私も(同性愛の相手である)ロビンというマネージャーが彼女のそばにいたのは知っていたのですが、そのロビンとホイットニーがどのように出会い、どのように仲を深め、さらにロビンがホイットニーをどのようにみつめていたのかというのは、この映画を観て初めて知りました」

──そのロビンとの関係が明かされる一方、もちろん、ボビー・ブラウンとの出会い、結婚についてもこの映画では描かれています。

渡辺「これは、多くの女性たちも同じ意見だと思うんですけれど、ボビー・ブラウンって“すべての女性の敵”と見られることが多いんですよね。彼のせいでホイットニーが破滅したとも言われているし、映画ではあまり触れられていないのが少し残念なのですが、ホイットニーとボビーの娘であるクリスティーナもホイットニーの死の3年後、同じようにバスルームでオーバードーズが原因で亡くなってしまうんですね。そして、クリスティーナの破滅的な人生もボビー・ブラウンのせいだという論調があって、その意味ではボビー・ブラウンのクズっぷりが、ややマイルドに描かれているなとは思いました(笑)。加えて、ホイットニーのお父さんとの関係が象徴的に描かれていて、男性社会においての搾取の対象である女性、なかでも黒人女性の置かれた立場とその難しさが十分伝わってきました。

例えば、ビヨンセもずっとお父さんがマネージャーを務めていて、グループ時代はもちろん、ソロになってもその関係は続いていたんですが、ある時期を境にお父さんとは決別し、自分で独立したことで、今のような成功につながっていると思うんです。もしかしたら、ホイットニーの時代はそうした決断が難しかったのかもしれない。今、活躍している“ディーヴァ”たちも、ホイットニーのそうした姿を反面教師的に捉えていたのかもしれない、と感じました」

高橋芳朗(以下、高橋)「2019年に日本公開された『ホイットニー オールウェイズ・ラヴ・ユー』をはじめ、ホイットニーのドキュメンタリー作品の多くは彼女の生涯を晩年のスキャンダラスなイメージにフォーカスして捉えていて。正直見ていて辛くなるようなものもありますが、今回の映画ではそうしたドキュメンタリーとは違ってホイットニーの歌そのものに焦点を当てているところに大きな価値があると思います。ホイットニーは彼女の代名詞である“The Voice”という言葉通り“歌”にこそ神髄があるわけですからね。

多くの80年代のポップスターはマイケル・ジャクソンにしろマドンナにしろ、ダンスパフォーマンスやエンパワーメント性といった強力なフックになる要素が付随していて、それがある意味トレースのしやすさにつながっているというか、彼らのスタイルがいまもなお継承される重要なファクターになっていると思っていて。そんななか、ホイットニーに関しては基本的に歌の力で突破してきた人なんですよね。そのせいか、ホイットニーには彼女への憧憬を公言するシンガー自体は大勢いても、ホイットニーの遺伝子を受け継ぐ直系のフォロワーが意外に見当たらないんですよ。彼女の曲のカヴァーにしても、その存在の大きさを考えるとちょっと少なすぎますよね。もちろん、それはホイットニーの歌が凄すぎて簡単には真似できないということでもあるとは思うのですが。

この映画でも、ホイットニーの歌のパワーで十分ドラマを引っ張っていけるだろうという製作側の彼女の歌に対する絶対的な信頼が伝わってきます。実際、それだけの圧倒的な歌唱力がホイットニーにはありました。ただ、劇中でクライヴ・デイヴィス(アリスタレコード社長)がデビュー前の彼女にどんなタイプの曲を歌いたいか問いかけるシーンがありましたが、ホイットニーの答えが漠然としていて特に強いこだわりを持っていなかったのが印象的で。そういう『自分が歌いたい歌を自分らしく歌う』という姿勢はホイットニーの美点でもありますが、同時にそれが彼女とブラックコミュニティとの間に距離を作るひとつの原因になったところもあるのかもしれません」

──高橋さんの言う、現在の音楽シーンにホイットニーのフォロワーがいない、つまりホイットニー・ヒューストンのようなタイプのシンガーが育たない、存在できないというのは、彼女の全盛期と現在では音楽シーンのあり方が変わったからでしょうか。

高橋「それもあると思います。というのも、メインストリームのR&Bのトレンドはもう10年以上ウィスパー系のシンガーが主流になっていて。ホイットニーのような歌い上げるタイプのシンガーにとってあまり有利な状況ではないんですよね」

渡辺「それに、ホイットニーのような『絶対的権限を持つプロデューサーに育てられてデビュー』という女性シンガーが、今はあまりいないと思います。彼女はクライヴ・デイヴィスという、どんな山でも動かせるような圧倒的なパワーを持った白人男性のプロデューサーに育てられてデビューして、そのプロデューサーがその時々で相応しい楽曲を選ぶことで味付けをし、舞台に立たせていた。ただ、最近の女性シンガーにはどちらかと言うとみんなセルフプロデュースが当たり前になっているから」

──そのプロデューサーとの関係って、日本に例えれば古いタイプの芸能界のシステム、言ってみれば、美空ひばりみたいなものですよね? 天才少女歌手を大人たちによって見出され、育てられていくというような。

渡辺「そうですね。古い芸能のシステムと言えば、劇中にあったアリスタと契約を交わすシーンでも『宇宙が続く限り契約は有効だ』みたいなことを言っていますが、今だとそんなの奴隷契約だって顰蹙(ひんしゅく)を買うと思います(笑)」

──では、ホイットニーのデビューから全盛期に至る80年代半ばから90年代前半にかけてと現在ではアメリカのショウビジネスのあり方が大きく変わったのでしょうか。

渡辺「変わったと思います。昔は莫大な予算を掛けてメジャーレーベルでアルバムを作って、ツアーをして回収というシステムだったと思うんですけど、今はアーティストが曲をリリースする形態も、CD、ストリーミングと様々ですし、マーチャンダイズを自分たちで作って売るというのも一般的になっているので、“売れる”ということに関して、強力なプロデューサーが絶対に必要というわけでもないんですよね」

──今のお話を聞くと、そうしたショウビジネスのシステムの変革期とホイットニーの死の時期が重なっていたようにも思えます。つまり、ホイットニーは古いシステムのなかで成功したものの、現在のシステムに適応することなく亡くなったと。では、逆にホイットニーが今、デビューしていたら彼女のキャリアや人生はどうなっていたでしょう。

渡辺「今の時代であれば、ホイットニーの人生は違ったものになったのではと思います。例えば、彼女は同性愛をタブーとする敬虔なキリスト教徒の家庭で育ったわけですが、今ならそうしたセクシャリティへの理解も確実に変わってきていると思うので、例えば、先ほども話に出たロビンとの関係を公にした上で彼女を公私に渡るパートナーにすることもできたと思うし、パパラッチに追いかけられ、メディアにバッシングされても、現在のようにSNSを使って自分の言葉でステートメントを発信することができる時代であれば、彼女のイメージも全く違うものになったと思うんです。実際、今はブリトニー・スピアーズのような、一時期メディアに猛バッシングされ、“落ちぶれた”とされたポップスターたちが、 “声”を取戻そうとしている時代なので、ホイットニーももう10年遅くに生まれていたらと、映画を観ていて思いました」

高橋「ホイットニーがデビューした時期を考えると、もう少しでもストリートを意識した売り出しだったらブラックコミュニティにおける彼女の見られ方も微妙に異なっていたのかもしれませんね。当然それはホイットニーのシンガーとしての資質を踏まえた上での判断だったのでしょうけれど、特にデビューからしばらくはポピュラー志向が強すぎたきらいがあったのは否めないかと。ホイットニーのキャリアのハイライトである1991年1月のNFLスーパーボウルでの国歌斉唱にしても、湾岸戦争開戦直後というタイミングも手伝ってある種の国威発揚として機能していた印象があって。それは2001年にアメリカ同時多発テロ事件からアフガニスタン紛争へと進んでいくとき、アリスタがホイットニーの国歌斉唱をシングルとして再リリースしてヒットに導いていることにも明らかですよね。この国歌斉唱をめぐるトピックにも象徴的ですが、劇中でも言及されていた通りやはり彼女には“アメリカン・スウィート・ハート”というフレーズがしっくりきます。“ソウル・シスター”とかではなく、です」

渡辺「そして、お父さんからは『俺のプリンセス』って呼ばれていました。でも、“プリンセス”って誰かに守られている立場ですよね。これは、ホイットニー自身も苦しかったんじゃないかなと思うんです。スウェットにジーンズ姿のデビュー前のホイットニーが、お父さんから『お前はプリンセスになるんだから、そんな格好は辞めろ!』って言われるシーン、あそこに彼女のその後の運命が暗示されているような気がしました」

高橋「確かに。ファッションも恋愛もシンガーとしてのパブリックイメージも、すべて父親にコントロールされているように描かれていましたね」

──ところで、今のお話のように、様々な場面のそれぞれのセリフを通して、観る側が自由にホイットニーの心理を感じ取れるのが、この“伝記映画”の良いところではないでしょうか。ドキュメンタリーはどうしても「隠された真実」や「知られざる事実」を追い求める製作者の意図が色濃く反映されがちですが、誰もが知るエピソードも含め、その生涯を“物語”として描き直す方が、観る側の捉え方に自由があるようにも思います。

高橋「ホイットニーを晩年のスキャンダラスなイメージから一旦解放して、歌い手としての凄さに改めてスポットを当てるという意味ではドキュメンタリーより伝記映画のほうが向いているでしょうね」

──ただ、「俳優が演じる」と聞くと、どうしても「ホイットニーのパフォーマンスをどうやって再現するの?」という疑問というか、やや否定的な意見もあるとは思うんです。そこは、実際に映画をご覧になっていかがでしたか。

渡辺「まさにそこがポイントで、(本作に参加したクリエイティブチームが手掛けた)クイーンの伝記映画『ボヘミアン・ラプソディ』でも感じたことですが、『このステージをここまで再現するんだ!』という驚きが、この作品でもありました。なかでも、スーパーボウルの国歌斉唱のシーン。パフォーマンスの再現も凄かったんですが、それ以上に私は、なぜ、この晴れ舞台にホイットニーはドレスではなくトラックスーツで登場したのかというのが、かねてから疑問だったんです。映画の本編では、まさに、その背景が描かれていて、やっぱり印象的なシーンでしたね」

高橋「スーパーボウルでのトラックスーツも、もしかしたら“アメリカン・スウィート・ハート”や“プリンセス”的なイメージからはみ出そうとする試みだったのかもしれませんね」

渡辺「そう思います。また、AMA(アメリカンミュージックアワード)でのパフォーマンスのシーンで、アレンジャーのリッキーが(“Impossibly Medley=不可能なメドレー”と呼ばれる難曲のメドレーにチャレンジする)ホイットニーに『イケたじゃん!』って表情で目配せするシーンなんかは、ドキュメンタリーでは出せない味だと思います」

──いずれにせよ、劇中の“再現”であったとしても、ライブパフォーマンスの場面は非常に迫力のある見応えと聴き応えのあるシーンだと思います。この作品から、昨今のサウンドにおけるデジタル技術の進化や映画館の音響環境の向上により「映画館で音楽を楽しむ」ということを今後さらにハイレベルで可能にすることを予感させはしないでしょうか。

渡辺「確かに映画館のスピーカーで聴くと、また没入感が違いますね」

高橋「だいぶ改善されてはきましたが、この3年に及ぶコロナ禍でコンサートが満足に楽しめない状況が続いていたわけで。そうしたなかにあって、映画館で音楽を楽しむことの価値が変わってきたのは確かでしょうね」

『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』

今なお世界中の音楽シーンに影響を与え続けている歌姫ホイットニー・ヒューストン。彼女はいかにしてスターダムを駆け上がり、数々のNo.1 ヒットソングを生み出したのか?そして、ジャンルも人種も超え、「歌いたい曲を、自分らしく歌う」ことに命を燃やした先に、彼女が見たものは――。クイーンの伝記映画『ボヘミアン・ラプソディ』を手掛けたチームが描くホイットニー・ヒューストンの生涯。

監督/ケイシー・レモンズ
脚本/アンソニー・マクカーテン(『ボヘミアン・ラプソディ』脚本・プロデュース)
出演/ナオミ・アッキー(ホイットニー・ヒューストン)、スタンリー・トゥッチ(クライヴ・デイヴィス)、アシュトン・サンダース(ボビー・ブラウン)
上映時間/2時間24分
https://www.whitney-movie.jp/
12月23日(金)よりTOHO シネマズ日比谷ほか全国の映画館にて公開。

Interview & Text: Tetsuya Suzuki Photos: Shoichi Kajino Edit: Chiho Inoue

Profile

渡辺志保Shiho Watanabe 音楽ライター。主にヒップホップやR&Bなどにまつわる文筆のほか、歌詞対訳、ラジオMCや司会業も行う。Instagram: @shiho_watanabe Twitter: @shiho_wk
高橋芳朗Yoshiaki Takahashi 音楽ジャーナリスト/ラジオパーソナリティ/選曲家。TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』『アフター6ジャンクション』『金曜ボイスログ』などに出演中。近著は『マーベル・シネマティック・ユニバース音楽考 映画から聴こえるポップミュージックの意味』。Twitter: @ysak0406

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