宮沢りえが誘う、ティファニー「エルサ・ペレッティの世界」PROMOTION
これまで最も成功したジュエリーデザイナーとも語られる、エルサ・ペレッティ。ティファニーで50年近くにわたり、モダンかつ革新的なセンスで数々の名作ジュエリーを生み出し、業界に革新をもたらしてきた。エルサ・ペレッティとはどんな人物だったのだろう?女優・宮沢りえが、エルサ・ペレッティが遺してくれた伝説的なジュエリーを纏う。
ダイヤモンドの概念を一新した「DBY」でセンセーショナルな輝きを
素肌にダイヤモンドがなめらかに沿うようにデザインされた「DBY」。一粒ダイヤモンドから複数のダイヤモンドをセッティングしたデザイン、ダイヤモンドの大きさなど、豊富なバリエーションからチョイスできるのも画期的。大ブームを起こした伝説のメッシュホルターとともに。
力強くも儚い。エルサ・ペレッティの生き様のようなジュエリー
フェザーを抽象的に解釈して、デザインした優美な曲線のネックレス。潮の満ち引きからインスパイアされた、さざ波のようなピアス。力強くも儚い、自然の美しさから作り出されたデザインは、時代を超越する。存在感あるゴールドジュエリーをリッチなドレスに合わせれば、纏う女性の個性がさらに際立つ。
好奇心と探究心から生まれたアートピースのような「スネーク」
興味を持った対象を徹底的に観察し、美しいフォルムを引き出す。エルサは、古来よりジュ エリーのモチーフであったヘビに目を向け、なまめかしくも独特な、見事なフォルムへと昇華させた。イエローゴールドでまとめて、力強くしなやかに。
一切の無駄を削ぎ落とした妥協を許さないエルサの美学
ローマの納骨堂に飾られた人骨に魅入られたという、幼き頃。そんな体験が、50年以上も愛され続ける名品「ボーン カフ」を生み出した。手首の骨格を人間工学に基づき、シンプル に落とし込んだ、前衛的で彫刻的なデザイン。70年代のエルサを彷彿とさせるファッションムードで纏って。
女性らしいしなやかさを感じる有機的な愛らしい「ビーン」
生命の始まりを象徴する豆、「ビーン」。自然特有の美しさを体現した、丸みのある優しいフォルムは、発売当初からのアイコン。新作はパヴェダイヤモンドをあしらったデザイン。エメラルドの「CBY」とレイヤード。
ソリッドなジュエリーの概念を覆した、しなやかにボディを覆う「メッシュ」
インドのジャイプールを旅し、街のきらめく光に影響を受け、「メッシュ」は誕生。丁寧に編み込まれた、布のような優美なゴールドは、世界中でセンセーショナルを巻き起こす。エメラルドがあしらわれた異国ムード漂うデザインをチョイス。
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あなたが知るべきエルサ・ペレッティの人生13のこと
1. WHERE IT ALL STARTED
エルサ・ペレッティは、1940年5月1日イタリア・フィレンツェ生まれ。イタリア大手石油会社を創設した偉大な父を持つエルサは、幼い頃から自然を愛し、貝殻や石を集めてはお守りにするような少女だった。
2. CARVED HER OWN PATH
ローマでインテリアデザインの学位を取得後、66年、スペイン・バルセロナに渡り、モデルとしてのキャリアをスタート。芸術家のサルバドール・ダリが主宰するアートグループにモデルとして参加したことで、芸術や建築、彫刻への造詣を深め、デザインの道を切り拓いていく。
3. A NEW CHAPTER IN NEW YORK
NYで挑戦する決意をし、68年にヨーロッパを飛び出し、渡米。NYでトップモデルとして活躍する傍ら、ジュエリーのデザインを始める。69年、当時一世を風靡したファッションデザイナー、ジョルジョ・ディ・サンタンジェロがエルサの作品のいくつかをショーで起用。その作品は瞬く間にヒット、一躍脚光を浴びる。
4. BECAME TOMUSE FOR HALSTON
エルサの人生を運命づけたのは、当時マンハッタン社交界のリーダーであったファッションデザイナー、ロイ・ホルストン・フローウィック(『ホルストン』ブランドの創設者)との出会い。圧倒的なオーラと研ぎ澄まされた感性を持つ美しいエルサは、他のモデルたちとは異なる存在で、彼の長年のミューズとなる。また、ランウェイに登場するだけでなく、ジュエリーデザインを手掛けるなど、ホルストンチームとしても活動を開始。
5. A JEWERLY DESIGNER WAS BORN
エルサはホルストンの依頼を受けて、高純度のスターリングシルバーを用いたジュエリーのデザインに取り掛かる。それまでジュエリーとしてみなされなかったシルバーを大胆な造形美で表現(『ホルストン』の有機的なフォルムの香水ボトルもエルサのデザイン。いまだに香水の
歴史で最も成功した例として語り継がれている)。力強くも官能的な彼女の作品は、世界に衝撃を与え大ヒット。同年、コティ・アメリカ・ファッション批評家賞のジュエリー賞を受賞、エルサは賞賛の的に。
6. SIGNED WITH TIFFANY
そして74年、ファッションアイコンであり、時代の寵児だったエルサは、ホルストンの紹介で世界のトップジュエラー、ティファニーと専属契約を結ぶ。9月に発表された初コレクションは、即日完売。5番街のブティックには見たことがないほどの多くの女性たちが押しかけた。
7. A JEWERLY REVOLUTION
「スタイルはシンプルであれ」という美学に裏打ちされた究極にミニマルでエレガントなデザインは、70年代のジュエリー界に革命をもたらした。中でも、スターリングシルバーをラグジュアリーなジュエリーの素材として復活させ、ファインジュエリーの定義を広め、新たな次元にまで高めたこともエルサの功績。つまりジュエリーは、シュガー・ダディに買ってもらうものではなく、自分自身で購入するもの、自由で強い女性たちを生み出したのだ。
8. PARTIED AT STUDIO 54
今でも語り継がれる70年代後半の伝説のナイトクラブ「スタジオ54」の常連であったことも、エルサの人生を語る上では欠かせないリアリティ。当時の最先端を生きる名だたるセレブたち、アンディ・ウォーホルやトルーマン・カポーティ、ライザ・ミネリ、VOGUEの名編集長だったダイアナ・ヴリーランドなどと親交を深め、寵愛を受けることで、スターとしての地位を不動のものにした。
9. CLOSELY TIED TO HELMUT NEWTON
70年代のニューヨークを象徴するようなこの写真は、写真家ヘルムート・ニュートンの代表作。このモデルが実はエルサなのだ。ホルストンのパーティに着ていた“ Playboy Bunny” のコスチュームを身に纏い、アメリカンドリームを象徴するニューヨークの摩天楼をバックに撮影した作品。
10. ESCAPE INTO SUBURBIA
やがてニューヨークでの刺激的な生活に飽きてきたエルサの心の拠り所となったのが、田園風景。スペインのバルセロナ郊外にある中世の村、サン・マルティ・ヴェルで家を購入し、愛情を込めて修復。80年代からはそこを創作の場にした。教会を含むさらなる建物を購入して維持するなど、村全体を修復。ローマ時代の遺跡の発掘と村の歴史のアーカイブを支援する活動も行った。
11. FILLED WITH PHILANTHROPY
おおらかな人柄、優しく広い心の持ち主とも知られたエルサ。文化的、科学的、教育的イニシアチブを呼びかけ、支援するとともに、人権の擁護に取り組んだ。自身の父親に敬意を表し、ナンド・アンド・エルサ・ペレッティ基金を設立。環境や社会福祉、人権保護、芸術や文化の継承を援助する活動を行った。
12. A TIMELESS TALENT
自然界やファウンドオブジェクトからインスピレーションを受けたデザインは、時代を超越し、色褪せることはない。永遠の定番として多くの人々に愛され続けている。
13. A MONUMENTAL SUCCESS STORY
エルサの目覚ましい功績を称えて、ティファニーはファッション工科大学(FIT)のジュエリー デザイン学科に「エルサ・ペレッティ プロフェッサーシップ」を設立。FITでは史上初の寄付基金教授職となり、2001年、FITより名誉美術学博士号を授与された。時代を彩ったエルサのデザインは、ロンドンの大英博物館、NYのメトロポリタン美術館、テキサス州のヒューストン美術館などの常設コレクションとして収蔵。21年3月18日永眠。エルサが残してくれた作品は永遠に輝き続けるだろう。
Tiffany & Co.
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Photos:Takay Hair:Miho Matsuura Makeup:Yuka Washizu Set design:Enzo Managing Editor:Michie Mito Fashion Editor:Aika Kiyohara