映画の未来のために。インティマシー・シーンについて考える
本当は納得していなくても、セックスシーンやヌードシーンなどのインティマシー・シーンを体当たりで演じるしかなかった俳優たち。 そんな彼らの尊厳を守りながらも、より豊かな表現を追求するために登場したのがインティマシー・コーディネーターだ。 話を聞いてみると、インティマシー・コーディネーターの根幹である“同意を得る”という考え方は、映画業界のみならず私たちの日常をも変えていく、未来に欠かせない考え方であることがわかった。(『Numero TOKYO(ヌメロ・トウキョウ)』9月号掲載)
浅田智穂×杉野希妃 対談「見せるべきは根性でなく演技」
映像表現において生きることを描く上で欠かせないインティマシー・シーンは、これからどう撮るべきなのか。 これまで通訳として多くの現場に立ち会い、現在はインティマシー・コーディネーターとして活躍する浅田智穂さんと、俳優、監督、プロデューサーなどさまざまな立場から数多くの映画を製作してきた杉野希妃さんに聞いた。
杉野「性をどう語るかということは、表現する者としてすごく大切な問題だと思います。映画を撮る上で不可欠とまでは言えませんが、私の作品には、人間の原点であり生の一部としてインティマシー・シーンが意図せずとも入ってくるんですよね」
浅田「インティマシー・コーディネーターとして仕事を始める以前から、杉野さんの作品はよく拝見していました。世の中の作品によっては『このシーンいるかな?』と疑問に思うこともありますが、杉野さんの描くインティマシー・シーンには必然性があると感じています。特に『欲動』(2014)前半のレイプシーンでは、ドアをうまく使うことで何が行われているかを想像させる演出のクレバーさが印象に残っています」
杉野「そこに気づいていただき、うれしいです。『欲動』に関しては、後半にクライマックスがあるからというのもありますが、愛し合い求め合っているわけではない行為を直接的に見せるべきではないと判断しました。同意のない性行為を詳細に描写する必要がないなと」
浅田「実は、最近ハリウッドでも、詳細な性行為を見せない方向で描いた作品が増えているんです。どういう伝え方、どういう見せ方をするかに監督のセンスが出ますよね。その点、『欲動』は見せ方が素晴らしいと思いました」
杉野「ありがとうございます。ただ、映画製作には多くの人が関わっているので、出資者から『真正面から○分以上撮ってほしい』というようなリクエストが来ることもあって。編集で長いなと感じてもカットできないという経験をしたことがあります」
浅田「監督の一存で決めるというわけにはいかないこともありますよね。私はインティマシー・コーディネーターとして、監督とプロデューサーが作りたい作品を、いかに安心安全に撮影するかに徹しています。演出には口出しせず、アドバイスを求められたり動きが不自然な場合にだけサポートするよう心がけています」
杉野「私が浅田さんの存在を初めて知ったのは、Netflixの『彼女』で主演の水原希子さんがインティマシー・コーディネーターをつけるよう交渉し、浅田さんが講習を受けてサポートしたというニュースでした。『なんて心強い存在が日本に生まれたんだろう!』と感動しました。メディアでは、俳優を守るという側面が取り沙汰されがちですが、監督の立場からも心強い存在です」
浅田「インティマシー・コーディネーターは、俳優はもちろん監督や演出家、作品に関わるすべてのスタッフの尊厳を守る仕事。携わる人の尊厳を守ることで、いい作品につながるのだと多くの方に知ってほしいです」
性的なシーンで、アドリブやプライベートを求める文化
杉野「尊厳を守ることで表現の幅が狭まるように誤解する人も多いですが、私はむしろ広がると信じています。インティマシー・シーンのプロが参加することで、より豊かな表現になる可能性を秘めていますよね。浅田さんがご自身のお仕事について、よく『振り付けです』って説明されていて。私もインティマシー・シーンを演出するとき、これは振り付けであり舞踏だなって思いながら手がけるんです。演じるときも、気持ちを落ち着かせるために相手役の方と『踊りだと思ってやりましょう』と励まし合ったり。ダンスの振り付けと同じで、パターンやバリエーションが増えると表現が豊かになりますよね」
浅田「例えば、監督から俳優に『正常位』という指示があったとします。そのとき同じ正常位でも、足は曲がっているのか、巻き付けているのかで画が変わりますよね。その判断を俳優の経験値に基づくアドリブに任せる人が日本ではまだ一定数いらっしゃると聞きます。本来は、こう演じてくださいという演出があった上で、どういう感情を乗せるかが芝居なはず。そこで、プライベートなセックスを見せる必要はありませんよね。振り付けやアクションは詳細に決めて動くのに、セックスだけちょっとやってみてというのはおかしい」
杉野「おっしゃるとおりです。いまだに性的なシーンではアドリブをよしとする文化がある気がします」
浅田「言葉のアドリブと違って、インティマシー・シーンは人間の尊厳に関わります。お芝居の中で感情が生まれたら感情を表現すればいいのであって、アドリブや不意打ちのハプニングを仕掛けて撮れたものをよしとするのは違う」
杉野「私にも俳優任せで戸惑った経験があります。あるインティマシー・シーンで、共演者と一緒に『もっとこう撮ったほうがいいんじゃないか』と意見したら、撮影時に監督が一切介入してこなくなって。監督は遠くでモニターを見ていて、相手役とカメラマンだけで撮ったんです。それまで築いてきた信頼関係が一気に崩れたし、撮る気がないのかなと悲しくなりました。当時あの現場にインティマシー・コーディネーターがいてくれたら、もっと違う結果になっていたかもしれません」
浅田「これは映画業界だけに限りませんが、自分がやられたら嫌なことは人にやらないよう心がけてほしいですね。自分が同じように言われたり、されたりしたらどうだろう。相手の立場だったら、どうすればいいお芝居が引き出せるだろうと、想像してみてほしいです。それに、自分の意図と相手がどう感じるかはイコールではありませんから」
杉野「監督として振り返ると、あれってよくなかったんじゃないかなと反省することもあります。インティマシー・シーンに際して、演じる女性の俳優には、どう演じてほしいか、何ができて何ができないか、どこまで出すことができるかを繊細に丁寧に伝え、確認してきたつもりです。でも、男性演者に対してはそこまでのケアができていなかったのではないかと。どこかに『これぐらいだったら大丈夫だよね、男なら』というバイアスがあった気がします」
「脱げない女優は根性がない」からの脱却
杉野「監督さんによっては『脱げない女優は女優じゃない』という方もいますよね。そういう発想や言葉自体がすごく乱暴。結局、男性から見た『女優にはこうあってほしい』というイメージが先行しちゃってる。いまだに『濡れ場』と呼ぶこと自体、女性が濡れることを想定していて押し付けがましいし。とはいえ、私自身にも、脱いでこそ女優という時代がありました。作品で脱げないことを愚かというか……根性がないと思っていたんですよね。でも、監督として作品を撮っていくうちに、自分にとっては大丈夫でも、ほかの俳優さんにとってはそうじゃないということに気づきました。いちばん大切なのは本人の意思や希望だし、見せるべきは、根性じゃなくて演技なのだと」
浅田「そこまで悟っている監督は貴重です。俳優はストーリーで必要だと思って初めて脱ぐのだと理解してほしい。それに、この場面で脱ぐというのは合意していても、ト書ではわからないことがたくさんあります。インティマシー・コーデネーターが作品に関わることが決まったら、俳優一人一人と面談して、監督の意図と相違がないか丁寧に確認し、不安があれば解消します。その人の人生が終わっても映画は残り続けます。その重みを考えたら、もし俳優が描き方に不安や疑問を感じていた場合、描き手が半ば強引に説得するのは違うと思います」
杉野「過去に台本を読んだら脱ぐシーンがあって、このキャラがこのシーンで脱ぐのはおかしいって監督に伝えたんです。そうしたら、監督にひどく失望されて。それまでは女優だったら根性見せるのが当たり前だという考えに疑問を抱かなかったのですが、必然性のないシーンで脱ぐのには抵抗を感じたし、監督に失望されたことにも違和感を抱きました。今の話を聞いていて思い出しました」
浅田「そういう経験をしている人はたくさんいると思います。センシティブなシーンには危険が伴い、傷つくこともあるのだから説明を尽くして理解し合いたいですね」
「芸術だから、映画だから」では許されない性暴力
浅田「長い間携わってきた大好きな業界だからこそ、相次ぐ性暴力の告発に伴ってインティマシー・コーディネーターの仕事が注目されているのはとても複雑。でも、変えていこうという人が増えているのは心強いし、上がった声を無駄にしてはいけないと思います。私にできることはインティマシー・コーディネーターとして現場に入ってパワーバランスを整えること。インティマシー・シーンへの意識を変えてもらうこと。そして、業界を変えようとしている人たちと協力して少しずつでも変えていくことですね。最近は、お客さんの目も変わってきているのを感じます。大好きな作品の背景に泣き寝入りした人がいるというのが、よしとされない空気が生まれています。大きな宣伝予算がなくても、安心安全に撮られた作品を、口コミでどんどん広げてほしい」
杉野「おっしゃっていることが完全にわかりますし、そうあってほしいと思います。私、映画業界の性暴力を告発するニュースに触れて、涙が止まらなくて。彼女たちの声に触れて初めて、私は傷ついてきたんだと自覚することができたんです。ずっと、監督としても俳優としても強くなければならないという自己防衛の意識があったから……。『芸術だから、映画だから、売れるためなら』となんでも許されてきた世界では、性加害の被害者になっても我慢しないと一人前になれないと思い込まされてしまう。今、告発によってやっとそれが表沙汰になった。勇気を持って声を上げた方々を本当に尊敬します」
Photo:Ayako Masunaga Interview&Text:Anna Osada Cooperation:Hotel GrandBach Tokyo Ginza Edit:Mariko Kimbara