松尾貴史が選ぶ今月の映画『わたしは最悪。』
ノルウェーの奇才、ヨアキム・トリアー監督の最新作で、カンヌ国際映画祭では女優賞を受賞した話題作『わたしは最悪。』。「これしかない!」という決定的な道が見つからず、いまだ人生の脇役のような気分のユリヤ(レナーテ・レインスヴェ)。そんな彼女に年上の恋人は、妻や母といったポジションをすすめてくる。ある夜、ユリヤは若くて魅力的な男性に出会い、新たな恋の勢いに乗って今度こそ自分の人生の主役の座をつかもうとするが──。本作の見どころを松尾貴史が語る。(『Numero TOKYO(ヌメロ・トウキョウ)』2022年7・8月合併号掲載)
自分の人生にどう向き合うか
いつの頃からか、「自分探し」という不思議なパラドックス的風習が広まりました。「これは私のやるべきことだろうか」「本当の私はここにはいない」といった、現実逃避ともいえるような状態を肯定するネーミングだと思うのですが、今では陳腐な響きになっています。
もちろん、自分は「ここ」にいるので探す必要などありません。当たり前のことなのですが、現状で満足できないことや、目指していたことが意外と難度が高いときに、他の道を選ぶための言い訳として使われることが、結果的には多いのではないでしょうか。そんなことを肯定的に受け止めてしまえば、一生そんなことを続けて、結果的に何も得られなくなってしまいます。
主人公のユリア(レナーテ・レインスヴェ)は、医師として成功を目指すも、「体より心よ」と方針を変えて心理学者になろうとしますが、それとて頓挫してまた別の「自分」を探し始めます。恋人のアクセル(アンデルシュ・ダニエルセン・リー)は結構年が離れていて、作家として成功しており、ユリアに、妻として、母として、家庭に入ってもらいたがります。そこでまた、「私には別の何かがある」と模索を続けようとするのです。
彼女の冒険、あるいは火遊びが、本人たちが予期しない展開を始めてしまいます。他人のパーティに紛れ込んで若いアイヴァン(ハーバート・ノードラム)にアプローチし、アバンチュールが転がり始めますが、ここでは自分の中にこれほどの老婆心があるのかと驚かされました。
リアルな演技で物語は進められますが、ジェンダーの障壁や社会構造など、それぞれの場面はまるでエッセイのように私たちに問題提起をしてくれているようでもあります。
ユリアの願望やイメージの暴走、マジックマッシュルームによるバッドトリップの場面などでの映像効果、セックスの描写など、監督は大変な腕前なのだと舌を巻かされます。そこに、すこぶる達者な俳優の表現が掛け合わされ、説得力を強固にしています。この作品は、カンヌ国際映画祭で女優賞を獲得しました。アカデミー賞の脚本賞、国際長編映画賞でもノミネートされましたが、話題の『ドライブ・マイ・カー』にさらわれたようです。ユリア役のレインスヴェはこの映画が初主演作ですが、緻密で繊細かつ大胆な芝居は見ものです。これからさらに注目される存在になるでしょう。
間違いなく名作ですが、人にはどう薦めていいか悩ましい作品であることも事実です。ともあれご覧ください。
『わたしは最悪。』
監督/ヨアキム・トリアー
出演/レナーテ・レインスヴェ、アンデルシュ・ダニエルセン・リー、ハーバート・ノードラム
Bunkamuraル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテほか全国順次公開中
https://gaga.ne.jp/worstperson/
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Text:Takashi Matsuo Edit:Sayaka Ito