再発見!! 「Y2Kデザイン」に気をつけろ
もう忘れたとは言わせない。恐怖の世紀末×新世紀(ミレニアム)=未来の幕開けに狂い咲いた、あのデザインの数々を…! Y2Kはファッションだけにあらず。記憶の封印をひもといて、当時の熱気を振り返る。再発見の始まりです!!(『Numero TOKYO(ヌメロ・トウキョウ)』2022年 5月号掲載)
緊急対談:Y2Kデザインって何だったんだ会議
Y2Kの謎、晴らさでおくべきか!? デザイン研究家の紫牟田伸子と編集Fが話し合う!
(事例解説:紫牟田伸子)
世紀末的な未来像が生んだツルツル&ピカピカの美学
編集F(以下、F)「主にファッション文脈で語られるY2Kですが、再評価のきっかけはSNSのタグ『#y2kaesthetic』。レトロなBGMを発掘・加工して楽しむウェブ音楽シーン『vaporwave』で、ネット初期のCG表現が引用されたことにさかのぼるようです。思い返せば、あの頃はファッション以外のデザインも独特な世界観が満開でした。時代背景や技術との関係も含めて、Y2Kのデザインを振り返りたいと思います」
紫牟田伸子(以下、S)「あの時代のアイテムに『aesthetic(美学)』という言葉を結び付けてしまうギャップが面白いけれど、確かに『世紀末的な美学』と呼べるかもしれませんよね。その特徴は、CGのようなツルツル、ピカピカの表面性。でも当時は不思議と未来を感じました」
F「まず思い浮かぶのがノストラダムスの大予言における世界滅亡の年、1999年に公開された映画『マトリックス』(特別予告編はこちら)。世紀末的なディストピアのムードと、ミレニアムの到来に向けた高揚感を感じます」
S「まさに“20世紀の終わり”のムードですよね。歴史をさかのぼると、20世紀の主流は合理的でシンプルなモダンデザインでした。それに対して『シンプルってつまらなくない?』と80年代に全盛期を迎えたのがポストモダンのデザインだったわけです」
F「ポストモダンデザインといえば、フィリップ・スタルクの設計で、金色のオブジェの形状から“うんこビル”と呼ばれる東京・浅草のスーパードライホール(89年)が思い浮かびます。でも過激でやりすぎに感じられるものも多かったですし、日本ではバブル景気とも重なって、装飾過多なデザインが飽和状態でした」
S「モダニズムで否定されてきた過剰な装飾や造形性の復権でもあったから、悪趣味なものも多かったですよね。そんな時代を経て『じゃあ、ポストモダンの次って何だろう?』と考え始めたのが、90年代から2000年前後なんですよ」
F「この頃の造形にはポップ感だけでなく、後先を考えない“ヤンチャさ”があるなと思っていたんですが、まだポストモダンの過激さが残っていたんですね」
S「ええ。20世紀のデザインのすべてが凝縮されていました。ポストモダンには装飾性とか表面的な面白さがあったと思っていますが、それがコンピューターによってピカピカでペラペラなオブジェクトとして前面に押し出されたのが、Y2Kのデザインだったのではないでしょうか」
プラスチック素材が導いた個人消費時代のポップ感
F「ファッションのトレンド文脈ではあまり語られませんが、デザインはその時代の技術と深く結びついています。Y2Kの場合はコンピューターの普及とインターネットの影響が大きいですよね。なかでも衝撃的だったのは、98年登場の初代『iMac』。半透明のカラフルでポップな装いは、お堅いコンピューターのイメージを一新してしまうものでした」
S「デジタル化の歴史においてもプロダクトの歴史においても、まさにエポックメイキングでしたね。発売後は『スケルトン』と呼ばれる半透明プラスチックの製品が多く出回ったほどの影響力がありました。それまではあくまで代用品でしかなかったプラスチックという素材が、軽くて透明であるという固有性によって受け入れられ、親しまれるようになっていく転換点だったのかも」
F「その前後の時期に流行した腕時計『スウォッチ』や、元祖“育てゲー”である『たまごっち』にも、スケルトンのものがありましたね」
S「90年代後半〜00年頃は個人消費が急拡大した時代。こうしたパーソナルアイテムにプラスチックは不可欠な素材だったのでしょう。加えて、デジタルなガジェットやロボットが家庭に入り始めたのもこの頃。99年にはソニーのエンタテインメントロボット『AIBO』の初代モデルが誕生。未来的なフォルムも大きな話題を集めました」
デザイナーそれぞれの3D×シンプルな造形世界
F「Y2Kといえば、丸みのある3D的な形も印象的です。なかでも、今や『Apple Watch』のデザインで知られるマーク・ニューソンを語らずにいられません。彼の家具はシンプルに見えて実は複雑な3次元曲面で構成されていて、3DCG的な設計方法と関係があるのかなと」
S「コンピューターで設計していたかどうかは正直わかりません。当時のインダストリアルデザインにおけるコンピューターソフトの性能は、まだ手描きの精度には及ばないもので、ベテランのデザイナーは『同じような曲線ばかりでつまらない』と一蹴していました。とはいえ、おそらくニューソンも3Dの曲線を強く意識していたはずです。それに、彼が『デジタル時代のプロダクトはシンプルであるべき』と考えていたことは間違いないと思います。同じことは、シンプルさを突き詰めたデザインで知られる深澤直人にもいえるかもしれない。彼が手がけた家電ブランド『±0』の加湿器(03年)は、その象徴ともいえる存在です」
F「それは意外な共通点ですね。3D的な造形ではロス・ラブグローブの名前も思い浮かびますが、こちらは生物のような形が印象的です」
S「そうですね。インダストリアルデザインの造形がノイズを排除する方向に向かうなか、ラブグローブのデザインはまさに有機的であることを追求していました。私が一番好きなのはティナントのミネラルウォーターペットボトル(02年)。自然物をそのまま形態化したことはすごいとしか言いようがありません。あれは紛れもなく“水そのもの”の形です」
F「一方で、それまでにない大胆な発想で注目を集めたのがオランダのドローグ・デザイン。彼らの動きについてはどう見ていますか」
S「ドローグは、21世紀を迎えるデザインの変容期に一つの方向性を示した重要な存在です。あの時代のデザイナーはみんな造形の実験をしていました。例えば、テトラポット型の照明などで人気を集めたトム・ディクソン。当時の彼のデザインが工業的な生産ラインの源流に着目したものだとしたら、ドローグはすでにある製品に目を向けて材料にした。牛乳瓶をランプにしたり、ラグを束ねてソファにしたり……その活動はまさしく『ポストインダストリアル(脱工業化)』です。彼らは今後のデザインについて、造形や機能よりも意味を生じさせることが必要だと、はっきり提示したんです」
モノのデザイン最後の時代。21世紀はここから始まった!
F「建築はどうでしょう。他の分野より一足先にポストモダンを乗り越えようとするなかで、驚かされたのはフランク・ゲーリーの『ビルバオ・グッゲンハイム美術館』(97年)。モダニズムな四角いビルともポストモダンな装飾性とも一線を画し、かつてないものを実現させるんだ! という強い意志を感じさせます」
S「まさしく。コンピューターの演算力向上で、手描きスケッチの自由曲線をCADで設計し、構造計算できるようになったことが大きいですね。そうだ、フューチャー・システムズが設計した『セルフリッジズ・バーミンガム店』(03年)も忘れちゃいけませんね。彼らはテクノロジーというよりも、人が持つ新しい感覚を探る試みをしていたと私は思っていて、そこにY2Kらしさを感じます」
F「彼らは東京でもコム デ ギャルソン青山店の有機的なファサードを手がけて話題になりましたね(99年)。3DCGのような造形といえば、グラフィックの世界でも気泡のように膨らんだ“ブロブ(blob)”な表現が多用されていました」
S「印刷物をコンピューターで制作するDPT(デスクトップ・パブリッシング)の発達で、線や文字を簡単に加工できるようになったことが大きいと思います。同じ形をコピー&ペーストした繰り返しパターンもよく見ました。CGを駆使したグラフィックで思い浮かぶのは、ビョークのCDジャケットの数々を手がけたMe Company。音楽との関連では、テクノミュージックのアルバムジャケットなどを手がけたデザイナーズ・リパブリックも斬新でした」
F「彼らに触発された若者たちが『自宅で何でもデザインできる!』と、新しいフォントを作ったり、レイヤーを重ねてノイズ感を出したり。実験的なグラフィックがイベントのフライヤーやVJの映像表現を彩って、クラブカルチャーを盛り上げていました」
S「方向性は違うけれど、私が心惹かれたのはグルーヴィジョンズの『chappie』。“人型のグラフィックデザイン”という考え方が斬新で面白かった。アーティストの村上隆がキュレーションした展覧会『スーパーフラット』(00年)で展示されるなど、幅広く話題を呼びました」
F「ソフトウェアでいうと、ピンクのクマのキャラクターで人気を集めたメールソフト『PostPet』(97年)は今年で25周年を迎えるそうです」
S「懐かしいな。ペットがメールを配達に行ったきり戻ってこなかったり、家出したり(笑)、インターネット黎明期のドキドキ感があって楽しかった。何もかもが便利で効率的になる寸前の時代という感じがします」
F「この頃を境にデジタル化が加速していきますから、モノのデザインにおける最後の時代かもしれません。……そう考えると、Y2Kって相当に壮大な研究テーマなのでは?」
S「そうですよ。21世紀のデザインはY2Kから始まっているんだから! 今度は数十ページの企画で、ぜひ腰を据えてやりましょうね(笑)」