科学でひもとく「かわいい」の世界 | Numero TOKYO
Culture / Feature

科学でひもとく「かわいい」の世界

世界に広がる「KAWAII」文化の発信地・日本。 でも「かわいい」って何だろう?形?感情?考えてみてもわからない。 そこで「かわいい」研究の第一人者、入戸野宏(にっとの・ひろし)教授にインタビュー。「かわいい」が持つ驚きの効果が明らかに!(『Numero TOKYO(ヌメロ・トウキョウ)』2021年7・8月号掲載)

誰も知らない?不思議で奥深い「かわいい」の科学

──人間が何かを「かわいい」と思う心理を、科学ではどのように説明できますか。

「まず、日本語の『かわいい』はもともと対象の性質を表す語ではなく、対象に触れた人の気持ちや感情を表す語だったということです。その上で私の研究は、脳活動の分析などを行う心理生理学、感情や動機づけを研究する感性科学など、複合的なアプローチを組み合わせたものです。研究を始めたきっかけは、かわいいものが好きだったからではなく、かわいいものに接した人たちの反応や行動に興味を抱いたこと。笑顔になったり、お互いの距離感が近くなったり……また、そうした感情を表すことが認められている点も大きな特徴の一つです。大笑いをしたり怒鳴ったりすることは社会的にタブーな場合が多い一方で『かわいい』にまつわる表現は害がなく、むしろ楽しさや親しみにつながるものだとされている、そこに『かわいい』だけが持つ独特の魅力があると考えました」

Illustratino : Yurikov Kawahiro
Illustratino : Yurikov Kawahiro

──世の中には「かわいい」という言葉があふれているのに、誰もそれが何かを説明できない。非常に複雑な概念だということですね。

「そうです。私自身、研究に取り組むにあたって多くの本を読みましたが、正直なところよくわからなかった。私が知りたかったのは普遍的な定義なのですが、多くの本が扱っていたのは文化論だったからです。こうした研究は、若い女の子たちの間で起きている現象が1980年代半ばに注目されたことに始まります。例えば女子中高生の間でかわいいとされ流行した丸文字やギャル文字は、仲間内だけで共有されたサブカルチャーであり、社会に対する反抗の表現でもあった。それが、彼女たちが大人になるとともに社会に定着していった。このように文化として論じる場合、その価値観は時代とともに変化していきます。でも私はより実証可能な方法で『かわいい』にまつわる人間の根源的な心理特性を解き明かしたいと考えたのです。そこで、質問紙を使った調査や実験など、さまざまな領域にまたがるハイブリッドな方法で『かわいい』という現象の全体像を把握しようとしてきました」

──怒りや恐れなどの感情は生物の進化に伴い、戦いや逃避など生存に有利な機能として発達してきたといわれます。では「かわいい」にはどんな役割があるのでしょう。

「おっしゃるとおり“感情”は生物学的なニュアンスが強い現象です。しかし『かわいい』は心の反応としてはもう少し弱く、人間が頭の中でつくり出す“感性”として捉えられる。面白いのは、欧米では古くから感情の研究が進められてきた一方で、日本では歴史的に繊細な感性を愛好する文化が育まれてきたこと。そこで私は、生物学的な感情と、日本文化の特性を背景とする感性の両方に着目することにしました。
このうち生物学的な視点では、動物行動学者のコンラート・ローレンツが提唱した『ベビースキーマ(幼児図式)』が有名です。人間には、子ども向けアニメのキャラクターのように丸みを帯びた顔や大きな目、短い手足などの形をかわいいと感じる傾向がある。その背景には、赤ちゃんを守り育てるメカニズムがあるという考え方です。しかし、私は必ずしもそうではないと考えています。もしそうした生物学的な仕組みがあるならば、児童虐待の問題は起きないはず。確かに人間には生まれながらにして、幼い存在をかわいいと思う心が備わっている。しかし、それを子どもを守るための反応と言い切ることはできないのではないか。相手が自分にとって害のない存在だという前提があり、その上で『この相手と関わりたい』という欲求が引き起こされるというのが私の見解です」

入戸野氏の研究より、「かわいい」感情のモデル図。「かわいい」という感情には、ポジティブであり、脅威を感じず、適度に覚醒的で、対象に近づく動機づけを伴い、社会的交流を求めるという特徴があると考えられる。(入戸野宏『「かわいい」の力:実験で探るその心理 』(化学同人)より転載)
入戸野氏の研究より、「かわいい」感情のモデル図。「かわいい」という感情には、ポジティブであり、脅威を感じず、適度に覚醒的で、対象に近づく動機づけを伴い、社会的交流を求めるという特徴があると考えられる。(入戸野宏『「かわいい」の力:実験で探るその心理 』(化学同人)より転載)

世界共通とは限らない!? 人間社会と「かわいい」の関係

──「大きなカラスは怖いけれど、スズメはかわいい」というように、脅威を感じるかどうかが分かれ目になるということですね。

「はい。例えば自分の赤ちゃんをかわいいと思う一方で、あまりに泣きやまなかったりオムツが汚れたりしたときにはその感情が薄れ、距離を置きたくなるという人の話を聞くことがあります。あくまで自分が楽しいこと、いい気持ちになれるという条件があって初めて『かわいい』と思えるわけですね。さらに、その対象をかわいいと思えるかどうかは、その人の経験や文化的な背景などによっても左右されます。例えば、多くの人が苦手だと思うヘビのことをかわいいと感じ、ペットにする人もいる。そして、その人の話を聞いたりヘビをよく観察したりするうちに、苦手だったはずのヘビがかわいく感じられてくる場合もあるわけです」

──そのように何かをかわいいと感じているとき、人間の脳ではどんな反応が起きているのでしょう。

「まだはっきりとしたことはわかっていないのですが、例えば赤ちゃんの顔を見ると報酬系と呼ばれる神経回路が活性化するといった知見があります。それに関連して、対象に近づきたいという『接近動機づけ』が引き起こされる。そのときの心理状態は、一般的にイメージされるほど興奮していないという研究もあります。そして、その反応が笑顔などポジティブな形で表出されることで、社会的なつながりを強化したり、仲間を増やしたりすることにつながるのではないかと私は考えています。感覚を共有できる相手を仲間と見なして近づくことで、人間同士の関係性を深める働きがあるというわけです」

入戸野氏の研究より、感情平面における「かわいい」感情の位置付けの図。「かわいい」とは、比較的穏やかで心地よい感情だといえる。(入戸野宏『「かわいい」の力:実験で探るその心理 』(化学同人)より転載)
入戸野氏の研究より、感情平面における「かわいい」感情の位置付けの図。「かわいい」とは、比較的穏やかで心地よい感情だといえる。(入戸野宏『「かわいい」の力:実験で探るその心理 』(化学同人)より転載)

──そうした効能と、日本発の「kawaii」カルチャーが世界の人気を集めるようになったことには、どんな関係があると思いますか。

「正直なところ『kawaii』という言葉が世界共通語になったという話は、日本のマスコミが作り上げた幻想ではないかと思います。アニメやキャラクターグッズなど『かわいい』にまつわる表現が日本で大々的に発展し、世界へ広がったことは確かです。しかし、海外で実施した調査結果を見ても『kawaii』を世界の誰もが知る言葉と位置付けることはできません。『kawaii』に類似した表現は各国にあり、外来語を使う必要がなかったことがその理由です。ただし、日本語の『かわいい』は極めて広範囲に及ぶ表現で、外国語では複数語に分けて表してきた感覚だと考えられます。少なくとも、日本文化を象徴する言葉の一つであるのは確かです」

──あらゆるものをキャラ化して愛でるなど、日本の「かわいい文化」は世界的にも特異なものだと思います。なぜ日本でこうした文化が発達したのでしょう。

「それはまさに、生物学的な側面だけでは説明がつかないところです。文化論的な見方としてはさまざまな説がありますが、その一つが日本文化においては男女を問わず、小さいものを愛おしむ感性の表出が歴史的に許されてきたというもの。反対に欧米では伝統的に『男は弱さを見せるべきではない』といった男性優位主義的な価値観が優勢で、その反動が近年のジェンダー平等などの動きに結びついているとも考えられます。では、こうした文化的な違いはなぜ生まれるのか。単純に言い切ることはできませんが、よくいわれるのが気候風土の違いです。寒冷なヨーロッパや乾燥した中国大陸などと比べ、日本は温暖湿潤で食物が育ちやすく、細かいところによく気が付く精神性が培われた。その結果が、清少納言の『枕草子』や和歌のように、小さくて儚いものを愛する文化的感性に結びついてきたというわけです」

一人一人の心がつくる! 「かわいい」未来の可能性

──一方で近年では「キモかわいい」「ブサかわいい」「こわかわいい」など、表現が極めて多様化しています。これはどうしてでしょうか。

「そうした表現が使われ始めたのは2000年頃のことで、当時は言葉としての新しさや意外性に意味があったのだと思います。しかし、今の『かわいい』は再び原点回帰しつつあるというのが私の印象です。『かわいい』という感性が言葉遊びを超えてより深く定着した結果、誰もが自分なりの『かわいい』を表現してもよい時代になってきた。かつてはみんなの『かわいい』に同調する姿勢が求められ、自分の容姿をかわいいと思えないなど、ネガティブな側面もありましたが、ようやく多様性が認められるようになったと感じています。
何より大切なのは『かわいい』とは一人一人の心がつくるものであり、定まった答えはないということ。そして、かわいいと感じる気持ちは、自分にとっても相手にとってもよいものであるということ。これこそが『かわいい』のとても魅力的な点です。本当の意味で多様性が認められて、一人一人の違いをかわいいと思えるようになったなら、すごくハッピーな世の中になるのではないでしょうか」

──誰もがかわいいと思うシンボルを作り、世界中の人々の共感を集めたなら、戦争や環境問題の解決につながるかもしれませんね。

「面白い発想ですね。でも『かわいい』は、押し付けられた途端にかわいくなくなります。私自身は、何でもかわいいと思える心の状態を育む方法についても考えています。かわいいと感じている自分の心にフォーカスする方法を『『かわいい』瞑想』と名付けて、臨床心理学の研究者とともに取り組んでいるところです。仏教には『慈悲(慈愛)の瞑想』という瞑想法があり、近年はマインドフルネスにも注目が集まっています。『かわいい』を科学的に応用することで。誰もが穏やかにお互いを認め合うきっかけになったなら、うれしいですね」

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Illustration : Yurikov Kawahiro Edit & Text : Keita Fukasawa

Profile

入戸野宏Hiroshi Nittono 実験心理学者。1971年、横浜市生まれ。広島大学准教授などを経て2016年より大阪大学大学院人間科学研究科教授。認知・感情・動機づけなど人間の心と行動の仕組みを幅広く研究する。著書に『「かわいい 」の力:実験で探るその心理』(化学同人)、『シリーズ人間科学3:感じる』(大阪大学出版会)など。研究室サイト:https://cplnet.jp

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