冨永愛が誘う「ティファニー」エルサ・ペレッティの世界PROMOTION
2021年3月18日。ティファニーを代表し、世界で最も成功した女性ジュエリーデザイナーともいえるエルサ・ペレッティが永眠。80歳だった。彼女の人生は伝説に満ちている。スペインでモデルとして活動後、音楽、アート、ファッションシーンの中心だったニューヨークへと拠点を移し、世界中が憧れるファッションアイコンとして活躍。そして、1974年にティファニーのデザイナーに就任して以来、50年近くにわたり、モダンかつ革新的なセンスで数々の名作ジュエリーを世に生み出し、業界に革新をもたらしてきた。追悼の意を込めて、エルサ・ペレッティの伝説的なジュエリーを冨永愛が纏うスペシャルストーリーを贈る。(『Numero TOKYO(ヌメロ・トウキョウ)』2021年9月号掲載)
しなやかで水のように流れる名作「メッシュ」ネックレス
1974年頃に登場した「メッシュ」は、当時、斬新なデザインで人々を魅了、センセーションを巻き起こした。鎖骨をしなやかに覆うスターリングシルバーのメッシュネックレスは、ケシパールがポイント。妖艶なパールで全体をシックにコーディネートして。ジャイプールの旅の思い出を秘めたエキゾティックなジュエリー
インドのジャイプールで過ごした日々に誘発されてデザインしたのが「メッシュ」コレクション。まるでファブリックのように優美なドレープを描くフォルムは、ティファニーのためだけに開発された特別な技術。ネックレスとピアスに、タンブル仕上げのエメラルドビーズをあしらうことで、より異国情緒が漂う。
1974年発売「ダイヤモンド バイ ザ ヤード™」をエメラルドでアップデート
素肌の上にダイヤモンドだけを乗せているような画期的なデザインで、ダイヤモンドジュエリーの概念を一新した名作。冨永愛が纏ったのは、イエローゴールドのチェーンにエメラルドをメインストーンとしたネックレス。さまざまな長さとダイヤモンドのサイズを自由に選びレイヤードを楽しもう。
媚びない強さと妖艶な魅力。「スネーク」は身につけるアート
自然界にある対象を徹底的に観察し、その造形をジュエリーに落とし込むのがエルサ・ペレッティの真骨頂。幸運のお守りとしてもらったガラガラヘビの尾からインスピレーションを得て製作された「スネーク」は、まるで生きているかのような滑らかな動き。デコルテに艶めかしく寄り添い、もはやジュエリーを超えたアートピース。
エルサ・ペレッティの名作を一挙手元に。ラグジュアリーなレイヤードを楽しんで
手首の骨の上にカボションカットのグリーンジェイドが大胆にデザインされた「ボーンカフ」は、昨年、誕生50年を祝して新たにラインナップに加わったスペシャルエディション。大ぶりな名作ブレスレットを重ねて、ゴージャスなレイヤードを。
トラの爪からインスパイアされたユニークピース「クロー」ネックレスを
トラの爪が着想源となったネックレスは、爪の部分にグリーンジェイドをあしらうことで、エルサ・ペレッティの遊び心がクリエーションに発揮された逸品。今もなお世界中に愛され続ける伝説の「ボーンカフ」をカラー違いで両手に纏って。冨永愛の野性的な美しさがさらに引き立つ。
The History of Elsa Peretti
3月18日、ティファニーの偉大なデザイナー、エルサ・ペレッティが80歳でこの世を去った。 ファッションアイコンとして、ジュエリーデザイナーとして彼女が残した功績は偉大である。 彼女が私たちに残してくれたものはなんだろう? 伝説的な彼女の人生とアイコニックで革新的な作品を振り返る。
1940年
5月1日、イタリア・フィレンツェにて誕生。
1950年代
ローマとスイスで教育を受け、ローマでインテリアデザインの学位を取得。
1966年
スペイン・バルセロナでファッションモデルとして活動をスタート。
1968年
アメリカ・ニューヨークに渡り、トップモデルとして活躍。すぐに社交界へ進出。
1969年
ジュエリーデザインを始める。アメリカのファッションデザイナー、ジョルジョ・ディ・サンタンジェロが彼女の作品をファッションショーで起用し、瞬く間にヒット。
1969年
ジュエリーデザインを始める。アメリカのファッションデザイナー、ジョルジョ・ディ・サンタンジェロが彼女の作品をファッションショーで起用し、瞬く間にヒット。
1970年代
モデルのカレン・ビョルソン、人気歌手のライザ・ミネリ、女優のビアンカ・ジャガーなどとともに、伝説的なファッションデザイナー、ホルストンのミューズの一人となり“ホルストンネッツ”と呼ばれ、ファッションアイコンとして一躍時代の寵児に。また同時に、ホルストンのジュエリー部門も手がけ、そのシルバージュエリーはセンセーションとなる。ニューヨークの伝説のナイトクラブ、スタジオ54にホルストンやアンディ・ウォーホルたちと常連に。
(1970s)1969年に日本を訪れた際に、日本の伝統工芸に感動し、漆塗りの技法を用いて誕生させたのが『エルサ・ペレッティ™ ラッカー』。
1971年
(左)彼女がデザインした『ボーン カフ』を両腕 に纏い、ホルストン1971年フォールコレクションにモデルとして登場。
(右)BONE(骨)、CUFF(袖口) という名前の通り、手首の骨格をそのまま落とし込んだ革新的な『ボーン カフ』。
1971年
ジュエリー分野で急成長し、コティ・アメリカ・ファッション批評家賞のジュエリー賞を受賞。
1972年
ニューヨークのデパート、ブルーミングデールズにショップをオープン。
1974年
34歳の時に、ジュエリーデザイナーとしてティファニーと専属契約を結ぶ。ファッションアイコンであった彼女の起用は大きな話題に。その後、ティファニーのために数々の伝説的なコレクションを発表。
(1974)80~90年代に一大ブームを巻き起こし、今もなおティファニーを代表する『エルサ・ペレッティ™ オープンハート』。
1975年
ハロウィンにバニーガールのコスチュームでポーズをとり、ヘルムート・ニュートンが撮った写真は1970年代の象徴とされる。
1981年
ロードアイランド・スクール・オブ・デザインの学長フェロー賞を受賞。
(1980s)万物の起源、命の始まりの“種”を表現した『エルサ・ペレッティ™ ビーン』。
1996年
カウンシル オブ ファッション デザイナーズ オブ アメリカの「アクセサリー デザイナー オブ ザ イヤー」に選出される。
2000年
「ナンド・アンド・エルサ・ペレッティ財団」を設立。おおらかで優しく心の広い持ち主とも知られ、晩年は慈善活動にも力を入れる。環境や社会福祉、人権保護、芸術や文化の継承をサポートする活動を行う。
2016年
伝説的な『ボーン カフ』は、マサチューセッツのボストン美術館におけるHIROの写真展でも注目を集める。
2021年
3月18日、スペイン・バルセロナにて永眠。
Tiffany & Co.
ティファニー・アンド・カンパニー・ジャパン・インク
TEL/0120-488-712
www.tiffany.co.jp/
Photos:Takay Model:Ai Tominaga Hair:Dai Michishita Makeup:Yuka Washizu Props:Ease NY Fashion Editor:Aika Kiyohara Web Edit : Naomi Sakai