近藤良平が導く「誰もがダンサー」の世界 | Numero TOKYO
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近藤良平が導く「誰もがダンサー」の世界

ダンスカンパニー「コンドルズ」主宰、振付家、ダンサーとして、コンテンポラリーダンスの視野を広げてきた近藤良平が彩の国さいたま芸術劇場において故・蜷川幸雄の後を引き継ぐべく、次期芸術監督に就任。彼が考える身体表現、そしてその未来とは。(『Numero TOKYO(ヌメロ・トウキョウ)』2021年6月号掲載)

年齢も障害も関係なく多様な身体と舞台をつなげる

──オンライン中心の日々で、物理的に 体を介在させないことでコミニケーションに変化はあるのでしょうか。
「今も編集部に来て対面で取材を受けていますけど、ここに来るまでの時間や何を見てきたか、ここがビルの10階であることも、体の状態に影響があるかもしれません。脳的にも 体的にもダンスをする前の柔軟体操のような役割が物理的な移動と対面にはあると思います。ボタンを押して『ハイ、会話』では体が追いつかない」

──人に会うか会わないかだけの二分法で、同じ空間にいるという関係のグラデーションがなくなりましたね。
「舞台作品を観るというのは、まさにその間の領域ですよね。今でこそ理解していますが、『無観客公演』とは一体なんなのか、コロナ禍初期は意味がわからなくて違和感がすごかった。普段の公演ではお客さんからの視線を感じて踊れる身体になるということがあって、そこが深くて面白い。なのに最近は人前で踊れていなくて、人に身体を見てもらえてなすぎますね」

──そんななか、近藤さんが彩の国さいたま芸術劇場の次期芸術監督就任というニュースがありました。
「コロナ前から打診を受けていたのですが、今年3月に発表されて、来年4月から正式に芸術監督就任です。僕の前の芸術監督は演劇の蜷川幸雄さん。その前が作曲家の諸井誠さんでした。 音楽、演劇と来て次はダンスという流れもあたのではないかと思います」

「コンドルズ 」主宰として、彩の国さいたま芸術劇場の舞台に立ってきた近藤良平。多様なアプローチでダンスを通じた社会貢献にも取り組む。<左>コンドルズ埼玉公演『ロングバケーション』(2011) <右上>同『LOVE ME TenDER』(2016) ©︎HARU

──当劇場では、55歳以上の方が役者を務める「さいたまゴールド・シアター」というプロジェクトがあり、近藤さんは障害者とのダンスチーム「ハンドルズ」もやっています。どちらも多様な身体と舞台をつなげてきました。
「劇場には多様な人々へ向けてという役割があって、もともと自分たちがやってきたことと重なるところも多かった。いろいろな人が表現者として存在してほしいと思っているので、時間をかけつつもっと広げていきたいですね」

──コンドルズのメンバーは体形や体格も、どのくらい踊れるかも含めてさまざまです。多様な身体、多様な踊りが同じ 舞台上にあることが、近藤さんがイメージしていたダンスだったのでしょうか。
「非常によく訓練されて専門化された身体表現だけをダンスと呼ぶのは嫌だったんです。そうしてしまったら自分の世界を縮めてしまうだけだし、自分がダンサーになれなくなってしまう。だから自分の中でのダンスを広く考えなくてはいけませんでした。ダンスはもっと身近なところに転がってるよねとも言いたい。コロナで減ってしまいましたけど、傘を持った酔っぱらいが道をフラフラしながらギリギリ倒れずに歩いている姿なんて、最高のダンスですよね」

──それは最高ですね。コンドルズは今年25周年です。年を重ねることとダンスはどんな関係にありますか。
「そりゃきついですよ。テレビでは日々スポーツ選手の引退も耳にするわけです。サッカーの三浦知良選手は1歳上で、すごい支えになっています。踊りに関してはまだやっていたいという思いもあるし、線引きをするものでもないという思いもあります。コンドルズのメンバーにもまだまだやろうよと無理強いさせる部分もあるかもしれません。ただ現実的には身体が急には動かなくなっていますね……」

ダンスは日常から生まれる

──振付家として加齢と身体のつながりをどう見ていますか。
「若さゆえの速い動きとかはどうでもいいと思っているところがあります。人間の身体や動きは大体目的を持っているんですね。目の前のコップを取るとかトイレに行きたいから立ち上がって歩き出すとか。職人の無駄のない動きは、意味や記号がはっきりした自覚的な動きで面白い。一方で自覚的じゃないけど、ある目的に向かう日常的な無駄のない動きも良い。大げさに言えば、どんな動きでも『あなたは〇〇をするためにその動きを獲得したんだ』と気づいたときに美しいと思えるんですね。年を重ねて読み取る経験値が増えたのか、そういうことを感じる瞬間が増えました。コロナで手洗いを推奨するために、ある先生が手洗いの手本をやっている動画があるんですが、その手の洗い方がものすごく滑らかで無駄がなく、目的を遂行していく動きが超美しかった。僕にとって新しい動きって日常化したシンプルな動きなのかもしれません」

──近藤さんの思うダンスがそこに。
「専門化された踊りだけをしているのもいいんだけれど、その人がこだわりを持っていることから導かれる動き=踊りに興味がありますね」

──私たちがパフォーミングアーツを見ることや、ワークショップなどに参加することで日常へのどんなフィードバックがあるのでしょうか。
「ダンスの場合は役に立つかわからない、目的を持たないところに重きを置きたいとは思いますけど、料理教室や書道教室とそれほど違いはないと思うんです。習字はほんとにダンスに近いと思うところがあります。文字という記号に落とし込んだときに書き手の個性や性格や心持ちが現れて、こんな文字を書いた今の自分というフィードバックが出てきますよね。同じことをダンスでも感じるときがあります。今日の身体の動きは透明感があるなとか、脂っこいなとか、そういうことを感じ取る身体との対話の意味が、ダンスを見たり、身体を使うことにはあると思います」

──透明になるのは気持ちよさそうです。
「スポーツは筋力や体力と動きを紐付けることが多いですが、ダンスは透明になっていくような、呼吸や環境との関係のあり方が大切なんです」

<左>子ども向け観客参加型公演「コンドルズの遊育計画」の様子(2017) <右>障害者によるダンスチーム「ハンドルズ」公演(2019)©︎HARU

牛乳をバターにするための動きが最高の踊りに

──近藤さんがよく踊れたと思うときの頭の中はどんな状態ですか?
「難しいですね。欲のない感じが成立したときかな。よく見せたいとかかっこつけたい、失敗しないようにしようとかも含めて余計なことが意識に上らないまま踊れて、それを終わってから気づくというかたちですね。この前、家で音楽を流しながら瓶に入れた牛乳を振ろうと身体を動かしたんです。その動き=踊りを終えると、その瓶の牛乳はバターになっていました。そのときの踊りは最高でした。動きは決まっていなくて、牛乳をバターにするためだけに僕は踊った。バターを作る目的のほうから呼ばれて引っ張られているような感覚で、それを味わえたときは幸せを感じましたね」

──確かに引っ張られる感覚には欲がないですね。最後に、子どもたちにはどうダンスを伝えていきますか。
「上手にダンスを踊ってほしいというよりも遊び上手になってほしい。遊び心がたくさんあったほうが大人になってからも楽しいと思うんです。踊ることのハードルが高いので、人前で踊ることができたら他のことはだいたいできます。踊ることのリミットを外せれば、大人になってからいつでも遊べる。踊りは最強の遊びです」

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Photos:Shuichi Yamakawa Interview & Text:Hiroyuki Yamaguchi Edit:Sayaka Ito

Profile

近藤良平Ryohei Kondo 彩の国さいたま芸術劇場次期術監督。振付家、ダンサー、コンドルズ主宰。1996年にダンスカンパニー「コンドルズ」を旗揚げ、全作品の構成・映像・振付を手がける。国内外にて公演、高く評価される。NHK大河ドラマ『いだてん』にて振付を担当するなど、多方面で活躍中。第4回朝日舞台芸術寺山修司賞受賞、第67回芸術選奨文部科学大臣賞受賞、第67回横浜文化賞受賞。

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