金承福 × きむ ふなが案内「K文学っておもしろい!」
いま韓国人作家の小説に熱視線が注がれるのはなぜだろう。韓国の本を日本に紹介する出版社「クオン」と書店「チェッコリ」を経営する金承福さん、数々の文芸翻訳を手がけるきむ ふなさんの二人に、空前の“K文学”ブームを読み解いてもらった。(『Numero TOKYO(ヌメロ・トウキョウ)』2021年5月号掲載)
着々とつくられていたK文学ブームの土台
──2019年に起きた『82年生まれ、キム・ジヨン』の日本でのヒット以降、韓国文学が一気に身近な存在になった感があります。
金承福(以下S)「『〜キム・ジヨン』は日本語版が出る前から『この作品は、韓国文学のヨン様になるよ』と私たちは話していました。でも広まるきっかけや土台はその前からつくられていたかなと思います」
きむ ふな(以下F)「同時代の作品をもっと紹介しようとクオンが「新しい韓国の文学」シリーズを立ち上げたのが11年です。少しずつ純文学好きの方々に韓国文学が注目され始めた頃で、15年にパク・ミンギュの『カステラ』が日本翻訳大賞で大賞を受賞したことは大きかったと思います。突飛な物語だけでなく、それが十数年前に書かれていたということに驚いた日本の読者も多かったのではないかと。翌年にはハン・ガンが『菜食主義者』でブッカー国際賞を受賞し、韓国文学への注目はこの頃から高まっていた気がします」
S「あと18年に晶文社が『韓国文学のオクリモノ』シリーズとして6作品を続けて出版したのも、出版業界では大きな出来事でした」
F「大手出版社から現代韓国文学の作品がシリーズで出ること自体が、しばらくの間なかったですからね。そうやって本好きの間で韓国文学が注目されてはいたものの、文学色が強いがために読むハードルがまだ高かったところに『〜キム・ジヨン』が翻訳されたという感じが私はします」
S「そう、『〜キム・ジヨン』がいきなりポンッて現れたわけではないんですよ、私たちから見れば」
F「とはいえ、正直ここまでヒットするとは期待されていなかったと思います。日本で『〜キム・ジヨン』が出版される前年には世界的な規模で#MeToo運動が起きて、韓国ではすさまじい風が吹いていたのに、日本では無風に近い状態だったようにも感じました。フェミニズムを全面に押し出した『〜キム・ジヨン』はそこまで日本では受け入れられないだろうと個人的にも感じていたので、話題になったときにはとても驚きました。でも日本の今と似たような状況を、私は90年代の韓国で経験していて。その頃、村上春樹や村上龍といった現代日本文学のブームが韓国で起きたんですよ」
──ブームのきっかけは何だったのでしょう?
F「それまで韓国文学というのは人々の先頭に立って目指す方向を示すものが多かったのですが、87
年に民主化宣言が行われてからは、共通の目標が失われてしまって。そんな中、村上春樹の『ノルウェイの森』が『喪失の時代』という題名で韓国語訳され、大江健三郎の『遅れてきた青年』の主人公みたいに失落感に苦しむ世代から共感を得たんです。それこそ『~キム・ジヨン』に今の日本の女性たちが共感したように」
S「イデオロギーや民族などを描く「大きな物語」とは違う『ノルウェイの森』は、個人を語る上で最適な作品でしたね。同じ頃、音楽では個人を歌う曲が流行りましたが、作家たちは社会の空気にすぐには反応できなかったんですよ」
F「作家は社会や時代性にすごく敏感だけど、作風やテーマは簡単に変えられないから」
S「で、当時の作家たちが描けなかったことが現れ始めたのが、00年以降の韓国文学ではないかと私は考えていて。『ノルウェイの森』を読んだ90年代の韓国の読者と、00年以降の韓国文学を読んでいる現在の日本の読者の感受性は、かなり近い状態になっている気がします」
──韓国文学の中でもフェミニズム作品ばかり注目されていることについては、正直どう感じますか。
S「私は本屋でもあり、韓国の作品を出版する立場にありますが、フェミニズムをきっかけに韓国文学への入り口がくぐりやすいものになっているのは悪いことだと思わないです。時間がかかるかもしれませんが、入り口先にある作品の幅を広げていけばいいだけの話ですし」
F「あと世界的に見ても女性作家のほうが勢いがあるというのも関係していますよね。韓国だけでなく海外の文学賞でも、女性作家の作品が受賞することが増えましたし」
S「やっぱり00年になってから変わりましたよね」
F「グローバル社会になり、競争と成果主義になったとき、女性は社会的に不利で。韓国の作家は若手であっても社会における違和感には敏感に反応するし、それを言語化しようと努力する。また読者自身も時代に合った新しい作品を積極的に求めたりもするんですよ。だから同じような違和感を覚えていた日本の読者が、韓国の作品に共感したのだと思います」
まだまだ加速する韓国文学
──日本語訳された作品を通しての印象ですが、韓国の若い作家たちにも勢いを感じます。
F「30代の作家には本当に良い作品を書く人がたくさんいます。ただ日本に比べると、韓国はとても
速いスピードで社会が変わるので、世代によって考えがものすごく違っていたりもする。純文学の権威は日本以上に存在するのですが、20〜30代の作家は上の世代と価値観がかなり違っていて『権威なんていらない。ただ読者と共感したい』みたいに身軽で自由な感じがします」
S「韓国でも日本でも人気の高いチョン・セランは、そのちょうど中間にあたると思うのですが、純文学からSFまでボーダーレスに活躍していたりもする」
F「そういったことができるようになったのは、今の30代後半の作家くらいからですよね。ボーダーレスという点でいえば、『砂漠が街に入りこんだ日』でフランスの出版社から作家デビューしたグカ・ハンのように、韓国語以外の言語で作品を発表する作家も増えていく気がします。特に女性作家は韓国の外にすごく出ているので」
S「英語圏には『パチンコ』で知られるミン・ジン・リーという世界的ベストセラー作家も既にいるし。日本だと現代短歌新人賞を受賞した歌人のカン・ハンナがいますから、日本語で書く韓国の小説家も出てくるかもしれないです」
──まだ日本に紹介されていない作家で注目している人はいますか。
S「詩人のムン・ボヨンですね。感覚的な作品をネット媒体で発表して詩集をたくさん出したり、展覧会を開催したりと『韓国の最果タヒ』ともいえる存在で。彼女が書く詩もすごく良いんですよ」
F「作家ではないのですが、ヤングアダルト(YA)の作品に注目しています。その一つ、ソン・ウォンピョンの『アーモンド』が昨年の本屋大賞翻訳小説部門で1位を獲得しましたが、韓国では青少年向けの作品として読まれているのに、日本では違う読み方をされているんですよね。自分の価値観をつくる過程にいる若い世代が海外の作品に触れることは、人間性を豊かにする上で重要なことなので、同時代の韓国作家が書いたYA作品がもっと読まれるようになればいいなと思っています」
S「実は『アーモンド』が売れてから、同じ系統の作品を紹介してほしいと日本の出版社からたくさん依頼が来たんですよ。近々出版される予定なので、21年は韓国YAの時代になるかもしれないですよ」
F「そうなんだ! やっぱり一つ作品がヒットすると、他の作品への波及効果も生まれるんですね」
S「あとエッセイの人気も再び高まっていて、キム・スヒョンの『私は私のままで生きることにした』がよく読まれていますが、これから人文書のジャンルも来るんじゃないかと私は考えているんです。ちょうど今『失格の烙印を押された者たちのための弁論』(未訳)という作品を読んでいます。著者のキム・ウォニョンは先天性の骨形成不全症で車椅子生活をしている弁護士かつ俳優。障がいのある自分の体を通して捉えた韓国社会について書いた作品なのですが、障がいを訴えるのではなく、自分の存在そのものを哲学的にも文学的にも表現した、とても密度の高い文章になっている。チェッコリは階段を上らないと入れない造りなのですが、この作品を読んで自分が無意識のうちに差別をしていたことに気づかされましたよ」
F「確かに高齢者の方にも、ちょっと厳しい造りですよね」
S「そう! 彼がいつか来日したときにちゃんと迎えられるバリアフリーな店にするために、店舗を移転することすら考えています。それくらい心を動かされて、自分を変えられた一冊なんです。でもクオンから出版してしまうと読者が限定されてしまいそうなので、日本語版を出してくれる出版社探しに今は燃えているところです」
──これから韓国文学に初めて触れる人もいる思いますが、読む上で韓国の社会や歴史について、どれくらい知っておくべきでしょうか。
F「私は特に気にせず、ただ作品を読めばいいと思います。韓国と日本は距離的にも文化的にも近いし、さらにいえば文法の語順がほぼ一緒だったりもする。近いからこそ細かい違いが大きく感じられるかもしれませんが、物語は物語としてまず楽しむ。その上で、登場人物たちが日本人とは違う行動や選択をすることについて不思議に感じたら、その理由を調べてみるのがいいかと」
S「特に小説は最高のエンターテインメントだと思うので、構えないで読んでほしいです。国による区別も、そのうちなくなる気が私はしています。例えば『韓国文学としてハン・ガンを読む』ではなくて『ハン・ガンの作品だから読む』みたいに、個々の作家にファンがつく形になっていくんじゃないかなと思います」
Photos:Kiyoko Eto Interview & Text:Miki Hayashi Edit:Chiho inoue, Mariko Kimbara