松尾貴史が選ぶ今月の映画『嘘はフィクサーのはじまり』
ユダヤ人上流社会に食い込もうと、リチャード・ギア演じるノーマンは小さな嘘を積み重ねて人脈を広げてきた。ある日、未来のイスラエル首相となる人物に近づき、3年後に彼と再会したノーマンは超大物たちの間で暗躍し始める。映画『嘘はフィクサーのはじまり』の見どころを松尾貴史が語る。(「ヌメロ・トウキョウ」2018年12月号掲載)
リアル!? 忖度が飛び交う世界
学生の頃、阪急の西宮北口駅前を閉店間際のカレー屋に向かって急いでいた私は、選挙運動中の駅前の人混みをすり抜けて行く途中、大柄の人の陰に立っていた小さなおじいさんに突進してふっ飛ばしてしまいました。その瞬間、周りの大柄の男たちが私を取り囲んで右手を掴もうとした刹那、その老人(に見えただけですが)は起き上がりながら、私がぶつかったにもかかわらず、「失敬!」と謝ってこられたのです。その声で男たちは私の包囲を緩めて通してくれたのですが、おそらくは私を助けてくれたのでしょう。声の主は当時大臣だった宮沢喜一氏でした。選挙応援の演説のために待機していたようです。その一言がなければ、私はテロリストとして認定され、マニュアルに従って右肩を脱臼させられていたと、のちに報道の記者から聞かされたことがあります。その瞬間に私も「すんません!」と詫びたのですが、その後に彼が内閣総理大臣になったときには「あのとき仲良くなっていたらよかったなあ」などとくだらない妄想を湧かせたものです。今回の作品『嘘はフィクサーのはじまり』を見ているときに、そんな昔の思い出が過(よぎ)ったのでした。
主人公のノーマン(リチャード・ギア)は、事実ではない情報を各方面に拡散して、それを組み合わせて事実のような関係性を捏造しつつも、実力を得てしまう、ある意味詐欺師のような面を持った、いわゆるフィクサーです。Aに「Bが君に会いたがっているよ」、Bに「Aが会いたいそうだ」と言って引き合わせようとするような、せせこましく、その場しのぎの嘘や取り繕いに終始する彼の生き方、仕事のスタイルは、到底格好の良いものではありません。健在であれば、ピーター・フォークあたりが演じてしまいそうなこのカッコいいとはいえない役を、リチャード・ギアが演じる日が来てしまったのです。それだけで劇場に足を運ぶ価値があろうというものです。
この映画に登場するかの国の首相はまだ品性が保たれている部分もあるようですが、いろいろな場面で、私たちの国の、権力者の周辺に蠢(うごめ)く人たちのことを何度も重ね合わせてしまいました。宰相の周囲の嘘とごまかし、忖度、印象操作が、なぜか虚しくも力を発揮してしまうリアリズムがそこにあります。そして終盤の、権力者の周辺による忖度の嵐が、まるでどこかの国の首相のシンパだったにもかかわらず、邪魔になって切られた小学校を作ろうとしたおじさんの周囲に起きた出来事を連想させてしまうのでした。権力者に群がるということは、どこの国でも構造は似たり寄ったりなのだと、余計なことも考えさせてくれます。大爆発も痛快なアクション場面もありませんが、これは傑作です。
『嘘はフィクサーのはじまり』
監督・脚本/ヨセフ・シダー
出演/リチャード・ギア、リオル・アシュケナージ、マイケル・シーン、スティーヴ・ブシェミ、シャルロット・ゲンズブール、ダン・スティーヴンス
URL/www.hark3.com/fixer/
2018年10月27日(土)より、シネスイッチ銀座、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国順次公開
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Text:Takashi Matsuo Edit:Sayaka Ito