松尾貴史が選ぶ今月の映画『ぼくの名前はズッキーニ』
各国で絶賛されたストップモーション・アニメーションの傑作がいよいよ日本で公開。母親が付けてくれた"ズッキーニ"という愛称を大切にしている9歳の少年イカールの物語、『ぼくの名前はズッキーニ』の見どころを松尾貴史が語る。(「ヌメロ・トウキョウ」3月号掲載)
持ちこたえたはずの涙腺やいかに
ストップモーション・アニメーションというのでしょうか、実写のアニメーションのキャラクターを見て、彼らにこれほどの感動を与えられるとはつゆほども思いませんでした。ウォレスとグルミットやピングーのような、ひたすらに可愛いキャラクターを想像していたのですが、それだけではありません。一筋縄ではいかない雰囲気を持っている彼らには、もちろん可愛らしさはあれども、どこか物悲しく、大きなストレスを与えられ続けた空気を醸し出していることに、生身の役者の姿を見るよりも大きな不安感を感じます。
大人の都合によって振り回され、それでも何かを信じて生きざるを得ない状況下で、寂しさや不安と戦っている彼らの姿を見ているうちに、人形という認識が知らぬ間に薄れ、しっかりと命を持っている存在として、私の脳内を占有していきました。リアルな動きや有機的な間が、見ている側の生理に自然と入り込んでくるのでしょう。
思わぬ事故で一人施設に入ることになったイカールは、亡き母が自分への呼び名にしていた「ズッキーニ」というあだ名で呼ばれたいと思っています。この時点で涙腺が緩んでしまいそうになるのですが、なんとか持ちこたえました。
物語は、そこから同じ施設にいる子どもたちや、たまに訪ねてきてくれる知己の警官との触れ合いを、淡々と描いていくのですが、そこで芽生えるさまざまな感情と成長を目を細めずには見られません。もともと細いですが。
誰からも愛されないと思い込んでいる子どもたちの、何とリアルな表情と間合いであることか。演技経験のない子どもたちに実際に演じさせて音声を録音して制作されたと聞きました。実に、気持ちの動きや高まりを感じさせてくれるのです。シリアスな題材に限らず、リアルな間が要求されるであろう「笑わせる演出」の作品であっても、日本のアニメーションの多くは動画が先にあり、そこへ不自然な間と抑揚を強いられ、声優が記号的に演じさせられるのを録音されることが多いのですが、声先行の効果は格段に違います。アニメの世界に、この方式を取り入れる作品が増えることを切に願います。
脚本とセリフが秀逸なところに、大人にも馴染むジャジーな音楽が効いています。重いテーマを洒脱な演出で救ってくれていて、少々思春期の子どもにありがちな下ネタもありますが、ぜひ子どもたちにも見てもらいたい秀作です。
人によってツボは違うでしょうけれども、前半で持ちこたえた私の涙腺は、時間の問題で決壊しました。
『ぼくの名前はズッキーニ』
監督/クロード・バラス
脚本/セリーヌ・シアマ
原作/ジル・パリス「ぼくの名前はズッキーニ」(DU BOOKS)
2月10日(土)より新宿ピカデリー、YEBISU GARDEN CINEMA他、全国ロードショー
URL/http://boku-zucchini.jp/
(C)RITA PRODUCTIONS / BLUE SPIRIT PRODUCTIONS / GEBEKA FILMS / KNM / RTS SSR / FRANCE 3 CINEMA / RHONES-ALPES CINEMA / HELIUM FILMS / 2016
Text:Takashi Matsuo