あの人がナビゲートする、知る喜び vol.5 翻訳本
「それ、いいね!」という言葉が飛び出すのは、知らないことを知ったとき。その道のプロでもファンとしてでも、時代の空気感を敏感に、意識的にキャッチしている人たちに聞いた、知ってうれしい深堀りカルチャーあれこれ。vol.5は、ライター、エディターの林みきがおすすめする「翻訳本」。(『ヌメロ・トウキョウ(Numero TOKYO)』2019年12月号掲載)
「翻訳者で選ぶ」 新しい読書体験
「好きな作家の新作なのに、読書中『あれ…ちょっと合わないかも…』と感じたことはないだろうか。この悲しい体験を翻訳書に限り高確率で回避できる方法がある。それは翻訳者で作品を選ぶこと。鋭いセレクト眼を持つだけでなく、読みやすいと感じる訳文を書く翻訳者を基準に選べば、初めて読む作家やジャンルの作品でも“(今の自分にとっての)ハズレ”を引く確率がグンと下がる。なので海外の作品は苦手という人こそ“推し翻訳者”を見つけてほしい。また2012年に刊行された『ブルータス』誌の文芸特集号に同じ趣旨のページがあったが、これはそのアップデート版と思っていただければと。稲村文吾氏が個人で中国・香港・台湾の作家に直接連絡と許諾を取り、自ら編訳した電子書籍シリーズを刊行できたのも、#MeToo運動をきっかけに現代韓国文学が注目され、アジア圏の翻訳書が書店の目立つ位置に並ぶようになったのも、この7年間でのテクノロジーの進歩があったからこそだ」海外の“同志”の存在を伝える
松田青子
世にあふれる違和感や理不尽さを、機知とユーモアあふれる作品で吹き飛ばす松田作品を読んで共感した経験があるなら、彼女が翻訳した同じ志を持つ海外作家の作品も手に取ってほしい。構造的差別に想像力で立ち向かい、その闘いを文学作品へと結実させる彼女たちのアクションは、女性として生きる勇気をも与えてくれる。どこかヘンだけど心が動く作品
岸本佐知子
日常に潜む不条理や“みんな”と馴染めない者の孤独。そんな事柄をどこかヘンテコなのに心を揺さぶる物語へと昇華した英米作品の翻訳を数多く手がける。やわらかいながらも芯の強さも感じさせる訳文は、原作者が作品にこめた“声”もしっかりと届けてくれる。翻訳短編集の編纂も手がける彼女が、今後どんな作家の魅力を伝えてくれるか注目だ。
現代アメリカ文学界の“いま”
藤井光
非英語圏をルーツに持つ作家や、奇想・幻想的な物語を紡ぐ作家の作品が市民権を得たりと、だいぶ様相が変化した現代アメリカ文学界。その中で活躍する若手の作品を次々と日本に紹介する。手がけた翻訳書はどれも話題となるが、それも訳文のリーダビリティ(可読性)の高さがあってこそ。未来の翻訳者の育成にも力を注ぐ、頼もしい存在。
英語圏以外もおすすめ
斎藤真理子/韓国語
現代韓国文学の読者層をこの数年で一気に広げた立役者といえる斎藤真理子。責任編集した文芸誌の「韓国・フェミニズム・日本」特集号も大きな話題を呼んだ、いま注目の翻訳者。『こびとが打ち上げた小さなボール』チョ・セヒ/著(河出書房新社)、『82年生まれ、キム・ジヨン』チョ・ナムジュ/著(筑摩書房)、『誰でもない』ファン・ジョンウン/著(晶文社)など。
稲村文吾/中国語
華文(中国語)圏のSF作家が人気だが、優れた推理小説家も少なくない。無名翻訳者の頃から華文ミステリの編訳を手がけていた稲村は、そのセレクト眼も信頼できる存在だ。『黄』雷鈞/著(文藝春秋)、『ディオゲネス変奏曲』陳浩基/著、『雪が白いとき、かつそのときに限り』陸秋槎/著(ともに早川書房)など。
小野正嗣/フランス語
芥川賞作家の小野も、翻訳者の顔を持つ作家の一人。レバノン出身のマアルーフ、現代仏文学の旗手であるンディアイなど、越境をテーマとした作品の邦訳を多く手がけている。『三人の逞しい女』マリー・ンディアイ/著(早川書房)、『世界の混乱』アミン・マアルーフ/著(ちくま学芸文庫)、『ファミリー・ライフ』アキール・シャルマ/著(新潮社)など。
飯田亮介/イタリア語
食文化などに比べ、どこか馴染みの薄い現代伊文学の魅力を伝えてくれる飯田。欧米で社会現象を起こした『ナポリの物語』シリーズに続き、どんな作品を邦訳するか楽しみだ。『素数たちの孤独』パオロ・ジョルダーノ/著(ハヤカワepi 文庫)、『リラとわたし ナポリの物語1』エレナ・フェッランテ/著、『海にはワニがいる』ファビオ・ジェーダ/著(ともに早川書房)など。
Photos:Ayako Masunaga Text:Miki Hayashi Illustration:Kaoll Edit:Chiho Inoue, Sayaka Ito, Mariko Kimbara