バレエダンサー 飯島望未世界に挑戦する彼女が叶えたい夢
バレエ・ダンサーとして世界を舞台に活躍し、インスタグラムを通してファッショニスタとしても注目を集める飯島望未にインタビュー。
6歳からバレエダンサーとしてのキャリアをスタートし、15歳で単身渡米。翌年にはヒューストン・バレエ団と当時最年少契約でプロデビュー。ソリスト昇格後は、念願だった振付家ウィリアム・フォーサイスの『イン・ザ・ミドル・サムホワット・エレベイテッド』で主役を務めるなど、持ち前の精神力とパワフルさで、数々の舞台や大役に挑んできた。帰国後は表現者としてだけではなく、ファッショナブルな私服も目を引き、従来のバレエダンサーのイメージを覆す新たなアプローチにも注目が集まっている。幼少期にプロになることを決意し、常に自らの目標を高く設定しクリアし続けてきた彼女の経験と、さらなる目標とは?
根っからの負けず嫌いがプロへの道を開く
──バレエとの出会いを教えていただけますか?
「小さいころは姿勢が悪く、矯正するため母に通うことを勧められたのが、バレエとの出会いです。母がもともとバレエ好きだった訳ではなく、気軽な気持ちで体験レッスンに参加しました。それが6歳のとき。教室の同い歳の子たちは、みんな3歳位からバレエを習い始めていて、踊れるのは当たり前。私はもちろん初めてのレッスンだったんですが、一人だけ出来ないのがすごく悔しくて。そこで根っからの負けず嫌いを発揮してしまったんです。『もっと踊れるようになりたい!』と自ら言い出したのが、バレエを始めるきっかけになりました」
──プロになりたいと意識し始めたのはいつ頃からですか?
「本格的にバレエやっている子が多い教室だったので、私も早くみんなに追いつきたいと、習い始めて1年でコンクールに出させてもらっていました。ちょうど同じ頃、母と当時から日本で有名だったバレエダンサー、森下洋子さんの『ジゼル』を観に行ったのですが、圧倒的なオーラで役を自分のものにしていることに、子どもながらに感動してしまって。『あんな風になりたい!』と思ったのが7歳の時。そこからプロになることをだんだんと意識し始めました」
──その後、単身渡米することになったきっかけは? また、若くしてバレエの道を突き進むことに迷いはなかったのでしょうか。
「ちょうど留学を意識し始めていた頃、『ユース・アメリカ・グランプリ』というバレエコンクールで入賞することができました。その結果、特待生としてヒューストン・バレエ団のサマースクールに6週間参加できて、その後ジュニアバレエ団の研修生になれるというもの。条件がとても良かったので、特に強いこだわりはなく、行ってみようと思いました。若い頃からバレエ留学をする人たちが多い環境で育ってきたので、私も当たり前のように海外に出たいと思っていましたし、逆に、バレエ以外のことをする選択肢は頭になかった。日本で踊っていても学べることは限られてくるので、留学は全く思い切った決断ではなかったですね」
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──ヒューストン・バレエ団の研修生になり、日本とギャップを感じることも始めは多かったのでは?
「1番のギャップは、バレエに対する講師の思想が全く違ったことです。日本では、何回回れるかとか、どれだけ脚が高く上げられるかを重要視する傾向にありますが、ヒューストン・バレエ団ではどれだけ回れても脚が上がっても、ただそれだけ。テクニックだけでなく、そのプロセスが大事だということに気付かされました。感情表現についても厳しく指導されて、表現力の重要さも学びました」
──言葉の壁はどのように克服したのでしょうか?
「バレエ漬けの毎日で留学前は全く勉強をしていなかったので、語学は現地で0から覚えました。当時は、ラッキーなことにバレエ団の中にも、まだ日本人が少なくて。アメリカ人の友達が作りやすかったこともあり、周りにはかなり助けられましたね。今なら全く話せないで留学することに不安を感じるかもしれませんが、若かったので何でもできたんだと思います(笑)」
──若干16歳の日本人ダンサーが海外でプロ契約を結ぶことは容易ではないはずです。何が決め手になったのでしょうか?
「通常はプロ契約の前にオーディションがありますが、私の場合は突然ディレクターに呼び出されて『契約をあげるよ』と言われたんです。本当にラッキーでした。後日『なぜオーディション無しに契約をくれたのか?』と聞いてみると、『15歳で渡米して、何を言われても泣かないし精神的にも強い。この子はプロになってもくじけず頑張れるタイプだ』と思ってくれたみたいです。実は、英語がまだ上手く話せない研修生時代に、バレエ団のリハーサルで私だけ先生の言っていることがすぐに理解できず、役を下ろされてしまったことがありました。普通だと落ち込んでしまうのかもしれませんが、私は物応じしないタイプなので、そう言われても平然としていて。言い方を変えると、態度が大きく見えたのかもしれません(笑)。でもディレクターには、そういうところを逆に面白がってもらえました。当時バレエ団の中では最年少だったので、育てたいという気持ちもあったんでしょうね。今でも、そのディレクターにはとても感謝しているし、尊敬もしています」
人生の転機になった作品と講師の言葉
──在籍中ターニングポイントになった作品はありますか?
「バレエ団に入団した当初、同期の子は『くるみ割り人形』でちょっと良い役をもらっていたのに、私はその他大勢みたいな役しかもらえない時期がありました。全然ダメだなと落ち込んでいたときに、バレエ団のガラ公演の出演者が壁に張り出されて、突然「ダイバージェンス」という作品のソロパートに、私の名前が入っていました。びっくりしましたが、これはチャンスだ!と思って、猛練習を重ねて本番も満足する出来で踊れました。そこから徐々に役をもらえるようになりましたね。その後は、ニューヨークシティバレエ団の元プリンシパル、ジョージ・バランシンのミューズのために作られた作品で、主役に選んでもらったこともありました。そのときのディレクターは、若いときの自分に私が似ていて、エネルギーが有り余っていることを評価してくれたみたいで(笑)。気持ちが悪くなるくらいダメ出しをされましたが、私に期待してくれたことに感謝しています」
──ソリストになってからは、どんな役柄を踊りましたか?
「ソリストになってからは、ラッキーなことに『白鳥の湖』など色々な演目に出演させてもらいました。特にウィリアム・フォーサイス振り付けの『イン・ザ・ミドル・サムホワット・エレベイテッド』は、ずっと踊ってみたかった作品。メインの役をもらったときは、とても嬉しかったです」
──プロになってからもコンクールには挑戦していたのでしょうか?
「ミシシッピ州で4年に1度開催される『ジャクソン国際コンクール』など、プロのダンサーも参加できる大会はあります。でもコンクールにあまり興味はないというか、懲りたというか(笑)。実はプロになる前、スイスで開催されるローザンヌ国際バレエコンクールに挑戦したこともあるんですが、セミファイナルで落とされてしまって。自分の中では満足できる踊りだったし、周りも褒めてくれるような出来だったので、自己嫌悪に陥ってしまいました。その時、同じコンクールでかつて1位を獲った審査員の男性ダンサーが話しかけにきてくれて『バレエは紙切れ一枚で決まるものじゃないから心配しなくていいよ。ただの紙と数字だから』と言ってくれました。その言葉にすごく救われて、当時の私は思わず泣いてしまったんですが、そこからコンクールが全てじゃない、だったらプロとして頑張ろうと考えを変えることができました」
──ソリスト昇格後1年、24歳という早さで退団されますが、他に新たな目標ができたとか?
「退団する2~3年前から、コンテンポラリーというか、クラシックバレエ以外のジャンルを本格的にやりたいと感じ始めて、ヨーロッパのバレエの在り方に興味を持つようになりました。見た目が美しくて、型に忠実であればそれで良し。明確なストーリーがあって、感情もマイムで伝わるクラシックバレエは大好きですが、それに比べてコンテンポラリーは、見る人によって解釈が違ったり、ダンサーの身体の中から湧き出る感情やエネルギーがすごい。ヒューストンのバレエ団では、良い役をもらっていたし、居心地もよかったのですが、8年間ほぼ同じメンバーで生活してきた環境や自分への甘えなども含め、ここで踊り続けても、これ以上大きな成長はないと感じるようになりました。それで辞めるなら今しかないと、自分を進化させる意味も込めて心機一転。昔から、きっと常に刺激を求めるタイプなんですよね(笑)」
──現在はフリーのダンサーとして一時帰国中。帰国してバレエを客観視することで、何か違いなどを感じますか?
「海外のバレエは労働組合があるし、一つの企業としてきちんと成り立っています。バレエダンサーも職業として確立されていますが、日本はそうじゃない。ひどいところはスクールでバレエを教えながら、自分も舞台のリハーサルに出て、お給料は歩合制というバレエ団もあります。どれだけ踊らされても残業手当は出ないので、バイトを掛け持ちしている子も多い。もちろん全てではありませんが、日本で企業として成り立っているバレエ団はほんのわずかです。
──バレエを観に来る人々にも違いはあるのでしょうか?
アメリカやヨーロッパでは一番安いチケットが25ドル位で買えるので、若い人でも気軽にバレエを楽しみます。でも、日本でバレエを観に行くのは、自分や親戚、友人などがバレエを習っているような関係者ばかり。アートやクリエイティブ系の人もいますが、普通の学生はまず興味を持ってくれません。例えば、衣装をスタイリッシュにしたり、音楽をクラシックじゃないものにしたりなど、バレエも映画と一緒で、劇場で見るからこそ雰囲気や空気感を感じることができるもの。もっと気軽にバレエを楽しんでほしいです」
従来のバレリーナのイメージを覆す独自のファッション
──オシャレな私服にも反響がある飯島さんは、ファッション業界の人にその突破口を開きつつある人物だと思います。
「ファッションは母親の影響で、物心が付いたころから大好きでした。幼い頃は母の着せ替え人形にさせられていて、さらに小学校からはオードリー・ヘップバーンなど、往年の女優が登場する60年代の古い映画も観せられていました。インスタグラムを始めたきかっけも、最初は趣味のファッションを載せるため。でも徐々にフォロワー数が増えてくると、『バレエダンサーでこんな方がいるんですね』と言われることが多くなり、だったら、そこから私じゃなくてバレエ自体に興味を持ってくれたら嬉しいなと思って、続けるようになりました」
──「ヴァレンティノ」などラグジュアリーブランドのアカウントからも多くタグ付けされていますよね。
「もともと『ヴァレンティノ』のドレスを着て、ブランドをタグ付けしたインスタグラムの投稿を、リポストしてくれたのがきかっけ。そこからフォロワーも一気に増えました。黒髪のときは、クラシックなAラインのスカートなどが好きでしたが、金髪にしてからは、それが似合わなくなってしまって。あくまでベースはクラシックですが、モードなテイストも好きなので、特にこだわらず、その時の気分で服装を決めています」
──様々なファッションを着こなすしなやかな身体も魅力ですが、バレエダンサーとして食事管理や美容にも気を使っているのでしょうか?
「美容には疎くて、最近やっと常温で水を飲み始めました(笑)。食生活では、踊る前に食べると気持ちが悪くなってしまうので1日1食。アスリートが1日1食なんて、身体に悪いと批判されることが多いですが、それが自分のスタイルというか、やり方というか、私には合っている方法なんだと思っています。ただ、友達と会ったりすれば一緒に食事を楽しむし、お酒を飲むのも好きですよ」
──8月にはチューリッヒ・バレエ団への移籍が決定していますが、再び海外に出ようと思ったきかっけは何だったのでしょうか?
「スイスは、コンテンポラリー作品や優秀な振り付け家が多いことで有名な国です。チューリッヒ・バレエ団には、こういう踊り手になりたいと思うダンサーがたくさんいるし、ディレクターも才能がある人。バレエ団がアットホームな雰囲気だったことも、在籍を決めた理由になりました。
──日本滞在中最後の出演作品となる「ゼロ・ポイント」の見どころはどこでしょうか?
「高知県立美術館で初演される舞台で、“輪廻転生”をコンセプトに一人の女性が生まれ変わる様を表現します。私が演じるのは、バーチャルと現実の狭間に存在するようなキャラクター。新しい挑戦として、プロジェクションマッピングを駆使した演出も見どころです。さらに音楽は、バンクーバー出身のアーティスト、ティム・ヘッカーが作曲したテクノを使用するので、総合的にすごくかっこいい作品になると思います。
目標は、海外に負けないバレエの土壌作り
──さらに今後の目標は?
「海外でさらにキャリアを積んでいきたいです。今は、日本でもっとコンテンポラリーを踊りたいと思っても、作品を持ってくるだけの力のある人物がいません。作品に払う著作権が高いので、スポンサーが付かないと難しいという現状はありますが、私自身が海外の人たちとコネクションを作ることで、将来的に日本に素晴らしい作品を引っ張ってこられるような人物になりたい。例えば、ヒューストンで『イン・ザ・ミドル』を踊ったときに、フォーサイス財団の方が私を選んでくれたように、自分がダンサーとして頑張って、何かに特化することで、携わった人たちと信頼関係を深めていきたいです。
貪欲ですが、バレエダンサーとしての実力は自分が一番分かっているし、これからも努力はしていきますが、自分が有名になりたいという訳ではありません。海外にいたときは『自分が一番!』とか『どれだけ上に行けるか』と思っていましたが、帰国してからは考えが変わりました。無謀かもしれませんが、バレエを盛り上げたいと思っている人たちが協力し合い、もっとダンサーたちが良い作品を踊れるような土壌を日本に作っていきたいです」
──将来的にまた日本に戻ってくることも考えていますか?
「やっぱり日本が母国なので、日本の人たちに見てもらいたいという気持ちは強いです。海外でしか学べないことはたくさんありますし、私も海外に出ていますが、いい人材がアメリカやヨーロッパに流れてしまうのはもったいない。またいつか日本に戻ってきたいし、踊りたいと思うからこそ、そうするために環境を改善していかなければいけないと感じています。海外に対抗できるくらいの日本のカンパニー作りに協力できたらと思っています」
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Photos:Satomi Yamauchi
Hair&Make:Fumiko Hiraga
Interview&Text:Anri Murakami(WWD JAPAN)
Edit:Yukiko Shinmura