Interview / Post
女優、仲間由紀恵の転機
──これはもう無理だと思ったことは?
「『TRICK』で、ホテルのバスルームの扉が開かなくなり、水があふれて窒息して死にかけるというシーンがあったんです。私の役は、知恵を絞って、ストローで換気口から息をして助かるんですけど。現場では密閉した箱に水をいっぱいにして、その中でもがき苦しむ芝居を撮る。水が迫ってくるのは怖いし、危険を感じながら、集中してやらなければと」
──そんな究極な状況とは! 共演者からも影響を受けましたか。
「阿部さんや生瀬(勝久)さんが自由にアドリブをボンボン繰り出してくるので、その場のセッションとして返すこともありだと知りました。この経験から、自分の演技の幅がぐっと広がったと思います。生瀬さんはアドリブだけでなく、ご自身の顔が写らないカットで、変顔をして笑わせようとしてくるので、私は頑張ってこらえて(笑)。それでも映像が完成すると、役として自然に見えるのが面白かったですね」
──芸能界に入ったきっかけは?
「スカウトでした。ごく普通にテレビを見ている子どもで、人並みに芸能活動に興味があったくらいです。それより、沖縄で生まれ育ったので、島の人間として東京への憧れがありました。高校生のときに単身で上京。それまで横浜の親戚のところに二回ほど遊びに行ったことがあるくらいでしたから、東京生活は驚きの連続でした。特に電車は沖縄にはなかったので、衝撃なんですよ。テレビで見た乗り物!という感じ。まだ子どもで、大人とちゃんと会話ができず、東京の人には言葉が通じないと思っていたことも(笑)。ボキャブラリーも違いますし、自分の意見を相手に伝えることが苦手でした。東京の子は、自分はこうしたい、これは嫌とはっきり意思表示できるんですよね。その点、私は田舎の子でコミュニケーション下手でした。家族も静かに意思疎通するタイプでしたし。もう人見知りではないですけど、いまだに自分のことを話すのは気恥ずかしいです」
──そんなシャイな仲間さんが、紅白の司会なども務め、ついにこの4月から長寿音楽番組『ミュージックフェア』の司会になられたんですね。
「本当ですね。でも人の話を聞くのは昔から好きなんです。『ミュージックフェア』では、ゲストのアーティストの方たちが面白い話をどんどん話してくださるので、とても助けられています。いま気になっていること、普段の様子…などなど、番組で意外な素顔が見られたりするのも楽しいです。限られた時間の中で、タイミングよく聞きたいことを聞くって難しくもありますが、軽部アナに支えてもらいながらやっています」
女優、仲間由紀恵の転機
「興味を広げてくれたのは『TRICK』」
自分自身の今に影響を与えた人物や、ターニングポイントとなった出来事、モノ、場所との出会い。それをきっかけに変化し成長した自分を振り返る。仲間由紀恵のビフォー&アフター。
numerotokyo きっかけ yukienakama
Photos:Takeshi Shinto
Styling:Natsuko Kawabe
Hair&Makeup:Hiroshi Tanaka
Interview&Text:Maki Miura
Edit:Saori Asaka
Profile
仲間由紀恵(なかま・ゆきえ)1979年生まれ、沖縄県出身。95年に上京し、翌年映画デビュー。2000年『リング0 〜バースデイ〜』で映画初主演。同年ドラマ『TRICK』のヒロイン役で一躍人気を博す。02年、主演ドラマ『ごくせん』が大ヒット。06年にはNHK大河ドラマ『功名が辻』で主演。NHK紅白歌合戦の司会を4回務めるなど、司会者としても評判が高い。現在、TBS系『7時にあいましょう』ナレーションレギュラー、フジテレビ系音楽番組『ミュージックフェア』(毎週土曜18:00 〜)で軽部真一アナとともに司会を務めている。