“自分の歌”を追求した猪野秀史の独創的なニューアルバム『MEMORIES』がリリース
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“自分の歌”を追求した猪野秀史の独創的なニューアルバム『MEMORIES』がリリース

マイケル・ジャクソン「Bille Jean」、ジャクソン5「Never Can Say Goodbye」、ユセフ・ラティーフ「Spartacus」といった名曲たちをフェンダーローズのノスタルジックな音色によってカバーしたインストアルバム『SATISFACTION』(2006年)でソロデビューを果たして以来、猪野秀史は常に“グッドミュージック”を支持する音楽マニアやシーンのコアを支えるミュージシャンたちから一目置かれるアーティストとして活動を続けてきた。

また、2018年リリースの6thアルバム『SONG ALBUM』以降は、自身のヴォーカルをメインにした作品を発表し、クラシック、ジャズ、ソウル、ロックと音楽への幅広い知見と高度な音楽理論をうちに秘めながらも、あくまでもポップミュージックとしての完成度を追求するその姿勢は、まさに音楽シーンの良心と呼べる。

だが、自身が主宰する自主レーベル「innocent record」より先頃リリースされた猪野のニューアルバム『MEMORIES』は、これまでの猪野の “ミスター・グッドミュージック”的なイメージを裏切るほどに生々しいパッションに溢れ、また、同時に理知的であり、抒情的でもあるという、なんとも形容し難い、しかし、それゆえに、独創的かつ魅力的な楽曲が並ぶ“怪作”にして“快作”となっている。

「今回は、これまでにないくらい自分と向き合いながら音楽を作りました。『自分らしさとは何か』、『自分は何者なのか』というようなことを色々と考えたんです。これまでいろいろな音楽を聴いて、また、演ってきましたけれど、やっぱり、ピアノのレッスンを通じて幼少の頃から親しんできたクラシック音楽というのが自分の原点にあるんです。思い返せば、中学生くらいの頃に聴いていたロックも、どこかクラシックの要素があるようなクイーンやディープパープルなんかが好きだった。ただ、歳を取るにつれ、いろいろな音楽を知るうちに、自分でも右に行ったり、左に行ったりしているような感覚になってきて。それで、もう一度、自分の原点に帰ろうと。自分にもう一度向き合った上で、自分の原点にあるものと、これまで演ってきたものを組み合わせてみようと」

そう語る猪野が、このアルバムで試みたのは、自身のルーツを探ることによって、自らのアイデンティティとなる音楽を確立することだろう。言い換えれば、猪野にしか出来ない音楽を完成させることだ。実際、本作で聴くことができるのは、ミディアム〜アップテンポのヴォーカル曲が中心ではあるが、どれも「〇〇系」や「△△風」といったレッテル貼りを拒むような、他に見当たらない音楽なのである。

「何か風にならないようにというよりは、自分が聴いて新しいと感じることができる音楽をずっと作ろうとしていて。でも、それってなかなか難しいんですよ(笑)。でも、このアルバムで、やっと自分の音楽と自分の世界観を作ることができた気がします。だから、自分の中では今までで一番の自信作ですし、9作目にしてやっとスタートラインに立った気持ちですね」

猪野の言う「自分の音楽と世界観」が如実に表れているのは、やはり、ヴォーカル、いや、彼の“歌”だろう。ローズ、ピアノ、シンセ等によって組み立てられたシンプルながら緻密なアンサンブルが研ぎ澄まされたビートと有機的に絡み合う中を貫く、生々しくありながらも繊細で実直な猪野の“歌”は、曲のサビでこれ見よがしにビブラートを効かせるような芝居がかった歌唱スタイルの対極にあると言える。そして、その不器用と捉えられても仕方のない“歌”には、“グッドミュージック”に収まりきらない気迫が漲っている。

「今回、特に自分の歌に関しては精査して、歌い方も色々と試してみたんです。実際、技巧的なヴォーカルもやればできる部分もあるんですが、果たして、それが自分らしいのかということを考えてしまって。上手い下手じゃなく、“自分の歌”というものを一番に意識していました」

この“歌”に限らず本作は全編に渡って、少々ぶっきらぼうで、やや実験的なところもある。けれど、聴き込むうちに、それは猪野が“自分にしかできないポップミュージック”を作るため、一音一音を注意深く選ぶことに全力を注いだ結果であると気づくだろう。そう、ここあるのは、間違いなくポップミュージック。つまり、聴く者の日常に寄り添い、人生の様々な場面で湧き起こる“想い”を託すことのできる音楽だ。確かに巷に蔓延する商業的成功ばかりを意識したポップスとは肌合いが違ってはいるが、猪野が日々の暮らしの中で感じたこと、考えたことを歌詞にし、曲にすることで完成した等身大の音楽=ポップミュージックが、このアルバム『MEMORIES』には収められている。

「基本的に制作は1人で、全て自宅で行っているんです。だから、制作中は僕が使っている部屋から作っている音が多少漏れるんですね。それで、『これは、良いのが出来たぞ』と思った時に限って、部屋のドアがバーンと開いて『何それ、ダサいよ』って奥さんに言われるんです(笑)。反対に『これは、どうかな?』って迷っていると、ドアの向こうから奥さんが『今の良いじゃん!』って。そういう時は、『人生って、こういうものなんだな』ってつくづく思いますね(笑)」


『MEMORIES』
INO hidefumi(innocent record)
2024年9月6日リリース
https://www.innocentrecord.net/

Text:Tetsuya Suzuki

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