第80回ヴェネチア国際映画祭 XR部門にノミネート。大宮エリーが映画『周波数』で伝えたいこと
VR技術を駆使したサービスや映像作品への注目が年々高まる中で、ヴェネツィア国際映画祭のXR部門も大きな盛り上がりを見せている。2023年の同部門には、なんとアーティストの大宮エリーが初めて手がけたVR映画の『周波数』がノミネート! 気になる内容と、この作品を通して伝えたいメッセージについて、映画祭出席直前の彼女に聞いた。
視覚で音で。360°主人公アンの世界に没入する、
まったく新しいバーチャル体験
9月8日(金)の夜に受賞作品が発表され、9日(土)に授賞式が予定されている当部門。世界中から全30作品のVR映画がノミネートされている中でも、これほどまでにアートが贅沢に使われ、誰しもの心の中にある幼少期の感覚を痛いほどに呼び覚ます作品は、めずらしいのではないだろうか。
VRのヘッドセットを装着すると、そこは360°どこを見回しても、ヴィヴィッドなカラーにあふれる大宮エリーのアートの世界。あえてデジタルでの彩色などをおこなわず、アナログで描いてスキャンした温かみのあるタッチと色彩が、地球と生きとし生けるものと“私”の世界へと、屈託なく誘い出してくれる。
主人公として語り部の役割を果たすのは、ひとりの少女、アン。実はこのキャラクターが、監督を務めた大宮エリーの自伝的人生をたどっていくというのが、この作品のあらすじだ。ピンチヒッターとしてとつぜん大きなパーティでのライブペインティングを依頼されたり、離島を訪れた際に神聖とされるお餅を食べ発熱するも“神様の熱を下げてはならない”と島民に放置されたり……。これまでエッセイやインタビューの中で語られてきた彼女の“ウソのようなホントの話”が、時におかしく時にせつなく、観る者の心を揺さぶっていく。
ほかの者には起こりえないような特殊な出来事ですらも、主人公のアンとともに“体験する”ことで、徐々にほかの誰かのものではない“普遍的な物語”になっていくのが、VR空間のすごいところだ。「けっして、“私の自伝”をみんなに見てほしかったわけではないんです。過去に生きづらさを感じたときに自分を支えてくれた言葉や考え方を、観る人に“実体験”として伝えたかった。そのために、自伝がツールとして最適だったというだけ。そして、VRという空間がそれを可能にしてくれました」と、大宮エリーは語る。
違いがあるからこそ、おもしろい。“周波数”に込めた思いとは
タイトルの『周波数』とは、主人公のアン──もとい大宮エリーが思春期の頃に感銘を受けた、ドイツの物理学者マックス・ブランクの言葉から。いわく「この世のすべては振動でできており、その影響である。……すべての物質や事象には、それ固有の周波数がある」。周囲にうまくなじめず悩んでいたアンは、それを聞いて「私にも、私の周波数があっていいんだ!」と救われることになる。この物語は、そんな多様な個々の存在を認めながら、自分だけの心地よい“周波数”を探す旅路の記録なのだ。
「コロナ禍の閉塞感で自らの命を断つ人が増え、ロシアでは戦争も始まって……アーティストとしてなにかできないかと考えたんです。そこで、量子物理学の周波数をテーマにしました。この世の中は、一人ひとりの違いがあるからこそ美しい。それを表現してあらためて考えてもらい、その先に、戦争がストップし、なくなり、お互いを認め合う世界が来ればと思いました」という大宮エリー。その言葉どおり、作品の随所には、多様性のすばらしさを称える内容が織りこまれる。のみならず、彼女が日頃から心を砕いている地球環境や動物の保護といったメッセージが、軽やかで美しい場面の一つひとつから、ひしひしと伝わってくるのだ。
それが“理想の押し売り”ではなく“気づきを与えるきっかけ”にきちんと昇華しているのは、やはり彼女のアートへの造詣の深さを活かした、念入りな構成があったからなのだろう。
「素材には、今まで描いた作品と新たに制作した絵画を組み合わせて使いました。“絵”を使って語ることが私らしさにもなり得る。また、絵を3Dにせず、紙のままペラペラの2Dで構成し、パントマイムのパフォーマーに動きをつけてもらいました。人物だけでなく、草も木も山も、机や椅子もみな、人間が演じています。カンパニーデラシネラや、子どもたち、いろんなバックグラウンド、世代の方にも参加してもらいました。からだの動きを、モーションキャプチャーして作ってます。このアナログ感がヴァーチャルな世界の中で、世界観へ安心して溶けこんでいきやすくする要素にもなるのかなと考えて」と大宮エリーは話す。
またある場面では異なる周波数を持つ医療用の音叉を用いて音声データを作成し、本能的にも快適でリラックスした気分になれる“アナログ”な仕掛けも。聴覚でも、周波数を楽しんでもらえるようにした。
「アートって、“考える余地があるもの”だと私は考えているんです。同じものを鑑賞しても、見る人それぞれによって解釈のしかたや捉え方が違う。その点、360°どこを見ていてもよく、人によって鑑賞している角度や対象が異なるVR空間は、アートの本質に似ていると思います」
「子どもたちも気軽に楽しめて、大人にとっても、オンリーワンで哲学的なメッセージが感じられる、あなただけの美術館に来るような感覚で楽しんでもらいたいですね。もしも今、苦しい気持ちで閉塞感を抱いているような人がいたら、“自分の周波数ってどうだろう?”と考えることで、その空気を打ちやぶるきっかけにしてほしい」。大宮エリーが「今、届けたいメッセージ」と強く頷く本作品は、8月30日(水)から9月9日(金)までヴェネツィア国際映画祭で展示される。9月下旬には日本で小山登美夫ギャラリーなど各所で一般公開も予定されているそうなので、ぜひチェックを。
伝えたいこと。
何らかの理由で、この世の中で生きていくのが辛いなと思っている人に
あなたはこの宇宙でひとつの大切な役割があり
あなたがいること自体、存在自体が、愛なんだ、ということを伝えたい。
『周波数』
監督、脚本、絵/大宮エリー
アクション/カンパニーデラシネラ
声/水原希子
音楽プロデュース/野口時男
音楽/コトリンゴ
Text: Misaki Yamashita Edit: Yukiko Shinto