“私写真”の先駆者、深瀬昌久の30年をたどる国内初の大回顧展 | Numero TOKYO
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“私写真”の先駆者、深瀬昌久の30年をたどる国内初の大回顧展

『無題(窓から)』「洋子」より 1973年 ©深瀬昌久アーカイブス
『無題(窓から)』「洋子」より 1973年 ©深瀬昌久アーカイブス

日本の写真表現において「私写真」の先駆者とも言われる、深瀬昌久の国内初の大回顧展「深瀬昌久 1961–1991 レトロスペクティブ」が開催されている。初期の作品群『遊戯』から後期の『ブクブク』まで114点を展示。妻を撮り続けた「洋子」からは、15点が初出品される。東京都写真美術館にて、2023年6月4日(日)まで。

1960年初頭から90年代にかけて活躍し、日本の写真表現に大きな影響を与えた深瀬昌久。妻や家族、私生活を撮り続け、70年代に広まる「私写真」の時代を切り拓いた。「深瀬昌久 1961–1991 レトロスペクティブ」展では、会場では8章に分けて作品が展示される。まず1章は、深瀬の初の写真集としてまとめられた「遊戯」シリーズから。

『屠、芝浦』「遊戯」より 1963年 東京都写真美術館蔵 ©深瀬昌久アーカイブス
『屠、芝浦』「遊戯」より 1963年 東京都写真美術館蔵 ©深瀬昌久アーカイブス

2章は当時の妻を写した「洋子」。ここでは、毎朝、画廊に出勤する洋子を望遠レンズで撮り続けた『無題(窓から)』「洋子」より15点が初出品される。

『無題(窓から)』「洋子」より 1973年 ©深瀬昌久アーカイブス
『無題(窓から)』「洋子」より 1973年 ©深瀬昌久アーカイブス

3章は、深瀬の故郷である北海道・美深町を訪れ、撮影した「家族」。このシリーズは、老いゆく父、葬儀、父の写真館の閉館まで続いた。

『上段左から妻・洋子、弟・了暉、父・助造、妹の夫・大光寺久、下段左から弟の妻・明子と妹の長男・学、母・みつゑと弟の長女・今日子、妹・可南子、弟の長男・卓也』「家族」より 1971年 東京都写真美術館蔵 ©深瀬昌久アーカイブス
『上段左から妻・洋子、弟・了暉、父・助造、妹の夫・大光寺久、下段左から弟の妻・明子と妹の長男・学、母・みつゑと弟の長女・今日子、妹・可南子、弟の長男・卓也』「家族」より 1971年 東京都写真美術館蔵 ©深瀬昌久アーカイブス

『襟裳岬』「烏(鴉)」より 1976年 日本大学芸術学部蔵 ©深瀬昌久アーカイブス
『襟裳岬』「烏(鴉)」より 1976年 日本大学芸術学部蔵 ©深瀬昌久アーカイブス

そして4章は、洋子との離婚後に、北海道各地や洋子の故郷・金沢を訪れ、カラスを写した「烏(鴉)」。5章では一緒に暮らした猫「サスケ」、6章では深瀬が上京後に暮らしていた14か所を訪れた「歩く眼」へと続く。

『無題』「サスケ」より 1977-1978年 個人蔵 ©深瀬昌久アーカイブス
『無題』「サスケ」より 1977-1978年 個人蔵 ©深瀬昌久アーカイブス

7章の「私景」では、ヨーロッパやインドの旅先での風景に、深瀬自らが写りこむようになり、そして最後の8章は、湯船に潜る自分の姿を写した「ブクブク」で終わる。

『91.11.10』「ブクブク」より 1991年 東京都写真美術館蔵 ©深瀬昌久アーカイブス
『91.11.10』「ブクブク」より 1991年 東京都写真美術館蔵 ©深瀬昌久アーカイブス

この作品は「私景 ’92」の一部として発表され、それから数ヶ月後の92年6月、深瀬は階段から転落し、重度の後遺症により活動を停止。そして2012年に死去した。

妻や家族、私生活、そして自分自身を撮り続けた約30年。2015年に開催されたディーゼルアートギャラリーでの深瀬昌久個展「救いようのないエゴイスト」では、洋子の言葉から「彼の写した私は、まごうことない彼自身でしかなかった」と引用されている。

国内初の大回顧展となる本展で、その作品群を通じて、深瀬昌久の軌跡と、そこから浮かび上がってくる姿をたどってほしい。

深瀬昌久 1961-1991 レトロスペクティブ
期間/2023年3月3日(金)〜2023年6月4日(日)
会場/東京都写真美術館2階展示室
住所/東京都目黒区三田 1-13-3 恵比寿ガーデンプレイス内
時間/10:00〜18:00(木・金曜日は20:00まで、入館は閉館の30分前まで)
休館日/月曜日 (ただし、5月1日は開館)
料金/一般 700円/学生 560円/中高生・65 歳以上 350円
※ 日時指定予約推奨
URL/www.topmuseum.jp

Text:Hiromi Mikuni

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