坂東玉三郎氏ら、世界文化賞を受賞
世界の優れた芸術家に贈られる「高松宮殿下記念世界文化賞」(日本美術協会主催)の第31回授賞式典が10月16日(水)に行われた。同賞は5部門から構成され、絵画部門に手描きアニメーション・フィルムで知られるウィリアム・ケントリッジ、彫刻部門にマルチメディアで社会の矛盾を表現するモナ・ハトゥム、建築部門に非営利目的の建築物を中心に手掛けるトッド・ウィリアムズ&ビリー・ツィン、音楽部門に世界的ヴァイオニストのアンネ=ゾフィー・ムター、そして演劇・映像部門に歌舞伎役者の坂東玉三郎が選出された。Numéro TOKYOでは授賞式典前日の15日(火)に行われた坂東玉三郎の記者会見を取材した。
はじめに『踊りたい』と思った気持ちを忘れない
会見冒頭では、授賞の思いを語った。 「この賞は歌舞伎の大先輩や一緒に仕事をした仲間、親しい友人が受賞しており、非常に思い出深い賞です。と同時に国からこのような賞をいただくのは責任を感じます。これからどんな事ができるか自分でも予測はつきませんけれども、一つ一つ頂いたものを精一杯皆様のためにご披露するというのが私の役目であると思います。 どんなに看板がついてきても、はじめに自分が『踊りたい』と思った心を忘れずにずっといたいと思うし、初めて会った人や、初めて合作でなにか作る人ともそういう関係でいたい。たとえ相手が若い方であっても、ものを作るときは全く同じ位置で対峙しているんです。 2017年に同賞を受賞されたミハイル・バリシニコフさんは、劇場で会うとポケットから小銭を出してプログラムとジュースを買ってくれるような人でした。私もいつもそうでありたいです」いつも“ゼロ地点”から考える
——玉三郎さんの芸の教えは「理論に裏打ちされている」と伺いました。
「自分は小さいときからなんとなく雰囲気で歌舞伎をやってきてしまい、学術的に勉強しませんでした。が、大人になるとごまかしが効かなくなってきて、30代後半から勉強するように。後輩に理論的に伝えるために、いろいろな国の演技のメソッドも勉強しました。しかしパリのオペラ座でもバレエの先生が言っていましたが、『踊りは教えられるけど“踊り心”は教えられない』。ひらめきや感じ方は当人の勘次第です。ひらめきの手前まではできるだけ理論で分解して教えるようにしています。
それと、私はいつも“ゼロ地点”から考えるようにしてます。こないだある後輩に、『歌舞伎という枠にとらわれた台詞回しや形だけで、意味がこっちに来ないけど大丈夫?』と言いました。稽古で身についた技術は使ってもいいけれど使われてはならない。全く同じ演劇、舞台、芸術はないのだから、いつもゼロ地点で考えられる自分でいたいなと思いますね」
伝統芸能は“多様性”の中から生まれた
——日本の伝統芸能である歌舞伎ですが、世界の舞台で演じることを意識し始めたのはいつからですか。
「全く海外に通用するとは思っていなかったんです。究極を言えば『生まれた自宅の広間で踊れればいい』と思っていた。劇場に立てるとも、歌舞伎座に出られるとも、ましてや世界の舞台に立つとは思ってもいなかったんです。養父の勘弥も『自分の舞台をちゃんとやれ』という教えだったので、外の世界から声がかかるようになったのは養父が亡くなってからですね。
モーリス・ベジャールさんからシェイクスピアのバレエの舞台を打診されたときも、アンジェイ・ワイダさんからドストエフスキーの演劇を打診されたときも、最初はずっと『やれない』ではなく『できない』と言って断っていました。ところがお話を聞くうちにいつの間にかやることに。僕は『やれない』と言いながら『やらされてしまった』人間なんですね。西洋の方々はモネとか印象派の人たちが東洋から影響を受けたように、東洋を身近に感じたいのだと思います」
——“多様性”の現代において、日本の伝統芸能の中で再発見されたことは。
「日本はもともと多様性の国。色んな所から流れてきたものを、自分なりに消化したんですね。そんな日本の芸能が、なんでこんなに削ぎ落とされたものになるんだろうか、ということはずっと悩んできました。究極に言うと、それは日本が気候風土から成り立っているからだと思います。“自然を崇める”という心を洗い流してみると、“無い所から降りてくる”という思考があるんです。そうするとやっぱり、掃き清められ、塵ひとつ落ちない、何も無いところから何かがやってくるというところから、削ぎ落とされたものができたのではないかという気がしています。いろいろな多様性の中から生まれ、編まれ、そして掃き清められたということで削られた文化だと思っているんです。
それともう一つ。伝統芸能といいますけれど、今の様式・方式は歴史の中で磨き上げられてきた江戸時代にあったものとは形は違う、ということは認識していただきたいです。形だけやればいいというのでもないし、心だけむき出しにやるのがいいというのでもない。その戯曲に込められている想いと、作家がこういう情勢のなかで書かれたんだろうと想像する力、そして美しく魅せられる技術をもって統合的に表現したものが舞台芸術であります」
見る人の感性に親切な歌舞伎へ
——これからの活動は。
「頂いたものを精一杯やるということでしかありません。また、演出とか監修とか、そういったことに力を注ぎたいと思っています。昔は文学者や演出家が何となく一緒にいて、ああだこうだと練り上げてくれていました。今はそういった方々もおらず、古典芸能だということに甘んじてしまっており、それぞれが自分のパートだけ戯曲の通りに演じられたらそれでOKということになっているところがあります。お客様に迎合はしないけれど、お客様を楽しませないといけない。見る人の感性に親切に、しかも奥が深い、というところに持っていきたいです」
Text:Mariko Kimbara