デビュー15周年を迎えたJUJUが語る、“JUJUになるまで“
2018年8月でデビュー15周年を迎えたJUJU。聴く人の心を打つ音楽を生み出してきた彼女が、これまでほとんど語ることのなかった知られざるエピソードとは?「ヌメロ・トウキョウ(Numero TOKYO)」1・2月合併号掲載のロングインタビューから一部抜粋してお届け。
行けばなんとかなると信じていた
──歌手を志して、18歳で単身渡米。当たり前のように彼女に添えられるキャッチフレーズのようなもの。インタビューのはじまりは、あまり語られることのなかった “渡米” 以前、つまりJUJUになる前の話。 「元々は中学卒業後、高校から留学をするのが夢でした。ところが母に止められまして。というのも私には2歳上の姉がいるんですが、姉は高校進学のタイミングで家を離れていました。母からすると、女の子に対して教えるべきことを全部教えきる前に家から姉を出したことがすごい後悔だったそうなんです。まぁ、そのしわよせが私にきたものだから、抑圧された環境にさらに3年間上乗せされることによって、親に対する反発は強まるばかり。軋轢みたいなものがとにかくすごかった。高校を卒業して、いざNYに行くとなったときは、どうどうぞ状態でした。NYに決めたのは、全く根拠はないけれど行きさえすればなんとかなると思っていたんです。行けば大丈夫って。その直感みたいなものはあながち間違いじゃなくて、肩の力を抜いて、ラクに呼吸ができるような解放感がありました」幼い頃に描いた歌手の夢。その夢が現実的な目標になったのが高校1年生のとき。育った家庭でも通っていた高校でも、“大学に進学するのは当然”。そんな環境に置かれていた。
「(前略)私は高校1年のときに歌手になると決めたし、認めてくれないなら 『高校をやめる』 というのが親への言葉。高1で進む道を決めたのは、通っていた高校が進学校で高2になる前に文系なのか理系なのか、私大か国立かコースを決めなければいけなかった。私の志望は学校の選択肢にない道。父親は絶対に大学まで進まなきゃダメだという人だったけれど、でも大学に通う4年間という膨大な時間とお金がかかったとしても、私は絶対に歌手になりたいから全部が無駄になる。『これだけの金額をムダにするけれど、それでも大学に行かせたいですか?』 と親を説得しました。じゃあ好きにすればいいと折れてくれて、大学4年間分の学費だったはずのお金をNYに行くための資金にしてもらう約束を取り付けたんです。 『歌手になります』 と担任の先生に言ったとき、先生から 『は!? 馬鹿じゃないの?』と言われことを鮮明に覚えています」
歌手になれる喜びよりも怖さ
「イヤな自分も、弱い自分も、消したい自分も、そんな過去があるから今の自分がある」。今年、10月10日のJUJUの日に日本武道館で語った言葉。「けっこう根に持つタイプだから(笑)」と前置きしつつ、順風満帆ではなかったデビュー前後の数年間の記憶を明かしてくれた。
「若い頃ってカッコつけたいし、カッコ悪いところを見せたくない。歌は好きだけど人前に出るのは苦手な自分がいて、歌いたいけど見られたくないという矛盾した葛藤を常に抱えていました。私のもくろみでいうと、DJを中心にした3人組のユニットでデビューして、その中のボーカル担当くらいのイメージだったんです。ところがソロデビューすることが決まり、褒められるのもけなされるのも全部自分になると思うと、矢面に立つことが怖くて仕方なかった。歌手になれる喜びよりも、怖さのほうが圧倒的に強かった。
ただJUJUというアーティスト名があることで、“本名の自分とは関係ない”と変な距離の取り方をしてどこかで予防線を張っていたんです。そんな考え方をしている内は誰にも受け入れられないし、何も届かないですよね。それこそカッコつけたい気持ちが邪魔をしていました。当然、最初のシングルは全く売れなくて、そこから2年間の制作期間に突入するわけです。次のリリースがあるかもわからない中での制作は徒労に終わるんじゃないか?と暗闇の中にいるようでした。これ(3rdシングル『奇跡を望むなら…』)が売れなきゃ契約解除となったときは、私ももう辞めたいくらい疲弊していて、カッコつける余裕さえなかったんです。それがいい方向に転んだのかもしれない。
(中略)今、整った環境で、私を観にきてくれる人の前で歌えるのは幸せなことなんだと思えるのも過去があるから。だからドサ回り(笑)も全部必要だったわけです。やりたくないことを上げればキリがないんですけど、あとから生きていく上でこんなことしなきゃよかった後悔よりも、あのときこれやっておけばよかった後悔のほうがしたくない。その後悔を残さないようにしている中で、どんどん次につながっていきました」
JUJUとJAZZの関係
JUJUのルーツはJAZZから始まる。物心ついた頃から大人たちに囲まれて育ったというJUJUは、小学生の頃からさまざまな音楽に触れ、なかでも憂いのあるJAZZに強く惹かれていったという。ジャズシンガーへの憧れを胸に飛び立ったのはNY。NYに行けば何かできると信じ、10数年を過ごした。サラ・ヴォーンやキャロン・ウィーラーなどの影響を受け、JUJUの名前の由来となったウェイン・ショーターのアルバム『JUJU』は今でも宝物だといい、本人のサイン入りのレコードを見ると真っすぐな気持ちにさせられるそうだ。なかでもJUJUの夢だった「ブルーノート東京」でのライブは2011年からスタートした。今では毎年恒例になるほどの人気ライブになり、会場は熱気に包まれる。「愛してやまないJAZZを憧れのブルーノートで歌えてうれしい。庶民のダンスミュージックとして始まったジャズはやはり気軽に楽しむべきだし、日本でももっと広がってほしいですね」。JUJUのJAZZは、子どもの無邪気な心と大人の憂いある情感と自由なマインドが交差する。だから聴いた人の心を放さないのだろう。
自分の時間も、人生も、恋愛も、美味しくなければ意味がない。
甘いジャズの魔法をあなたに。
JUJUのJAZZアルバムシリーズ『DELICIOUS』
自身初となるJAZZアルバム『DELICIOUS』(2011年11月)を発売。JAZZ史上初のオリコンTop5入りを達成。
第2弾となるJAZZアルバム『DELICIOUS〜JUJU’s JAZZ 2nd Dish〜』(13年6月)。
前作から5年を経てリリースされた『DELICIOUS〜JUJU’s JAZZ 3rd Dish〜』(18年12月5日)。松尾潔総合プロデュースのもと、島健、阿部潤、川口大輔をサウンドプロデューサーに迎えた豪華絢爛な一枚。
JUJUが15年間の軌跡や生い立ち、これからの挑戦を語ったインタビューの全文は、「ヌメロ・トウキョウ(Numero TOKYO)」1・2月合併号をチェック。
JUJUのモード連載
『JUJU’s Closet』を読む
Photo : Motohiko Hasui Hair & Makeup : Akiko Gamou Styling : Yoshiko Kishimoto Interview & Text: Hazuki Nagamine Edit : Maki Saito