エイミー・ワインハウスのデモ曲がリリース | Numero TOKYO
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エイミー・ワインハウスのデモ曲がリリース

故エイミー・ワインハウス(Amy Winehouse)の未発表のデモ曲『マイ・オウン・ウェイ』がリリースされた。

同曲はエイミーが17歳の時にレコーディングされたもので、共同で作曲を担当したジル・カンによるとアイランド・レコードにアピールするために使用されたもののようで、その後エイミーは実際同レーベルと2003年に契約を交わすこととなる。 現在オンライン上で既に拝聴可能となった同曲だが、ジルはカムデン・ニュー・ジャーナルに当時の状況についてこう話している。「僕らはポップな曲をたくさん書いていたんだ。たくさん宣伝もしてね。色々なアーティストのためにさ。才能もぴんきりのね」「あの頃のポップミュージックシーンは酷かったよ。どうしようもないガールバンド、ボーイバンドばかりで、彼らのために何かを作らなければならなかった」「そしてエイミーが僕らに会いに来た。彼女が口を開いた瞬間に僕らはぶっ放されたよ」「すぐに彼女の才能のとりことなった。本当に開いた口が塞がらない瞬間だった」。 そんな才能ほどばしるエイミーだったが、アルコールの過剰摂取で2011年に27歳の若さで亡くなり、所属レコード会社ユニバーサルが彼女の録音を全て破棄したことで、Bサイドとカバー曲で構成された『ライオネス:ヒドゥン・トレジャーズ』以降、新しいアルバムがリリースされる可能性は無いとされていた。 しかし昨年には、エイミーの元ドラマー、トロイ・ミラーが2人で作った未発表の曲があると明かすと同時に、彼女が厳重に自分の音楽を管理していたことからも、死後にリリースするのは間違っていると感じるとも話していた。

BANGショービズの独占取材にてトロイは「こういった曲をリリースするのは複雑だよ。でもいい音楽で皆が聴く価値があるとも思うんだ。セントルシアで作った何曲かなんだけど、僕が知っている限りリリースされていないよ」と答えている。そして、トロイは、このエイミーとの曲はそれらをレコーディングしたスタジオがつぶれているがゆえリリースするのが難しいのだとも明かしていた。「多分どこかに映像や音源を持っている人がいると思う」「それを出さないままにすることは残念だって思う一方で、エイミーを知っている身としては、彼女がリリースを望んでいないこともわかるんだ」。

またエイミーは死の直前まで、音楽を制作していたが、著作権を自分の名前のみで所有したいということから、トロイとは疎遠になっていたという。「僕はエイミーが死ぬ間際にスタジオ入りして、曲作りをしないかって彼女を誘ったんだけど『ありがとう、でも私自分で作りたいの』って言われたんだ」「エイミーはコラボもしていたけれど、自分自身の音楽制作にこだわっていたよ」「アーティストは自分の感情を表現した作品を作ったら、それは全部私のもの、私が所有者だって思うものだよ」。

Photo:bangshowbiz

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