気になるiPad、どうなの3D/菊地成孔×伊藤俊治 対談連載 vol.4
3Dテクノロジーの進化の裏側に潜むもの I「タイの大きなショッピングモールで、3Dテレビのデモンストレーションをやってたんで試したんです。今まで立体視のテクノロジーって1851年のロンドン万博のステレオスコープ以来、繰り返し出てきたんだけど、長続きしたテクノロジーはないんですよ。ホログラムもほとんどデッド・テクノロジーで。3Dテレビって50万円ぐらいでしょ。体験してみると本当に1851年のロンドン万博に出したステレオスコープの世界で、前景・中景・遠景の三段階に分かれてソフトが構造化されちゃってるのね、要するに立体視可能なように三段階に画像をレイヤー化していく。それは目が疲れるんですよね。老人の多い日本の家庭にどれだけ浸透してゆけるのか。3D映画もあれだけ流行ってるから、それなりに売れるとは思いますけど」 K「ホログラムが消えるのは早かった。普通のOLの家にアイドルのホログラムがあるという現実は来なかったからね(笑)。エッフェル塔の中にあるシネッフェルという小さな映画館で、エッフェル塔に月が突き刺さっているというホログラムが、いまだにあの時の最新テクノロジーとして残っていますけどね。ホログラムって異様にレトロフューチュアルだったっていうか、何だか最初から古くさいんだよね。新しいのに(笑)」 I「立体視って、いつも従来のイメージ装置が売れなくなった時にパッと現れる。50年代、70年代、90年代、そして2010年代って、立体視にはメディア状況を挑発するような仕組みがあるのかもしれない。もう眼鏡なしで画像を見るだけで、裸眼で立体視できるシステムが出来上がっているし。右目と左目に違う情報を入れて、それで立体視できるというのが一般化されますよ」 K「そもそも眼球って普通に物を立体的に見ていると思うんだけど。立体視って相対的に通常の目の使い方を非立体視化というか、没立体視化してしまうというか。立体映画を見終わると、ほんの短い時間ですが、一瞬眼鏡を取った瞬間、現実が、要するに裸眼視が異様に見える。アバター鬱っていうのがあって、本当かどうかは知らないけど、大きくアバターの世界に入り込みすぎて、映画が終わると現実世界に戻るのが嫌になって鬱になる、アバター鬱という症状が症候群のようにあったんだという。これって、アバターの世界が美しかったから、とかじゃなくて、裸眼で見ても物が立体に見えないとしたら、障害を負ったみたいなイメージになるからだと思うんですよね」 I「情報密度が濃いし、没入感が強いから没入した世界がまとわりついて来る。VRの場合もそうだけど、そっち側に感覚の中心がシフトしちゃって、なかなか出られないというか」 K「『オズの魔法使い』という映画では、現実がモノクロで夢の世界は総天然色になるわけで、そうするとモノクロに対して総天然色って、言ってみれば平面視における立体視みたいなもので、情報も没入度も上がるわけじゃないですか。そのまま映画が終わってしまうとやっぱり戻れないという発想があって、要するにオズの魔法使いという映画は、ジョン・ウォーターズが「エンディングでまたモノクロの実家に戻って来るシーンさえなければナンバーワンの作品だ」と言ったんですけど、とはいえ社会生理的には、最後は夢から現実世界に戻って、そこには家族がいて素晴らしいというオチになっているから、総天然色からモノクロに戻るんですよね。それでモノクロに戻ったら幸福だったというエンディングがついているわけね。でも、アバターなんかは立体のまま終わってしまう。平面の世界が立体になって、その世界でさんざん冒険し終わって平面の世界に戻って来ないで、ずっと行ったままになっちゃうからね。立体映画は流行っていくのだろうか? 視力との兼ね合いもすごくありますしね。紙に印刷されていて自分で寄り目にすると立体になるやつあるじゃない? あれをやると目玉を動かす筋肉が鍛えられるから乱視が直るとかいったりなんかして、あれはエコ方面の立体視ですよね(笑)。目を鍛えてよくなっていくという。寄り目が好きなんだよね(笑)。 きれいな女の人が寄り目になったりするのとか」 I「古いジャズオヤジなんで、そっちのほうがいいです(笑)」
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