パリは終わってしまったのか?[後編]/菊地成孔×伊藤俊治 対談連載 vol.2
フランス音楽とフランス文化は相性悪い?
──パリ幻想の崩壊から始まって、80年代を思い返すという壮大なストーリーですね。
K「僕と伊藤先生を担ぎ出してNumeroでやるとしたら、その文脈しかないんじゃないですかね。パリは沈んじゃってるんだけど、まだ亡霊というか、一種のリア王みたいな感じで威光は残ってるんだよね」
──それでもパンはやっぱりフランスが本場というイメージがあります。
I「バゲットはそうだけど、他のパンは日本のほうがおいしい(笑)」
K「だけど、2000年代に流行ったパリ・クロワッサンコンクール2位や3位のクロワッサンは、やたら伊勢丹とかでやってて食べたりするんだけど、別にヴィ・ド・フランスとかのクロワッサンと大して変わんないっていうのがあったりするんですよ。バゲットもそう。パンなんて空輸して食うもんじゃない(笑)。歩いて買いに行くもんです」
I「そういえば、1年くらい前まで、ヴィ・ド・フランスではシャンソンがずっとかかってたのに、最近はユーミンとかサザンとか80年代の歌謡曲がかかっているんですよ(笑)」
K「80’s有線を引いてるんですね(笑)。だけど、フランスの音楽をフランスのカルチャーに合わせるかどうかっていう問題は、90年代にすごい揺さぶられちゃったと思うんです。昨年、僕のCDリリースパーティがあってDJやったんですが、サルサを回すNYサルサの専門家が来て、でもその人は大学ではシュールレアリズムを専攻してて卒論は(アンドレ・)ブルトン。もうゴリゴリの。僕と同い年なので、85年卒業とかなんですけど、そうすると85年の段階でブルトンが卒論で、いろんな物を読むときに、後ろで音楽は『バレエ・メカニーク』とか(エリック・)サティとかをかけるわけ。そうすると、刺身に日本酒を飲むような感じで合うと信じていたんだけど、なんかカビ臭いし重いし胸焼けするから良くないなと感じながらも、でもこれがフランスの文化なんだなと思っていたら、中南米文学がすごく訳出されるようになって、ブラジルやアルゼンチンの音源とか中南米音楽も90年代にドドッと入ってきた。それまで、ボサノバなんてみんな適当にデパートで流れてる音楽だと思ってたのが、ボサノバも呪術的だみたいなことがわかってきて、中南米の音楽とシュールレアリズムの古典を合わせると、ちょうどすっきり読み聴けるっていうマリアージュが生じた。それこそご近所主義になっちゃうけど、僕の行きつけのビストロでは、最初ミュゼットを流してたの。店内も完全にフランス風で、ウェイトレスも僕が彼女なんか連れてくと、マドモワゼルとか言ったりするわけ(笑)。なんか全部完全に息苦しく胸焼けしちゃうの、それで、どっから変えるべきなのかなって考えたときに、ミュゼットは気分いいんだけど、80年代にやってた「料理天国」っていう番組思い出すんだよね(笑)。あと、すごく優れたオステリアがあるんだけど、ずっとヴェルディとかプッチーニが流れてるわけ(笑)。これはキツい。でもこれ「居酒屋で演歌が流れてたら息苦しい」っていう話と、似ているようで違うんですよ。というのは、試しにそこでシャンソン流してもフレンチポップス流しても、ラヴェル流してもドビュッシー流してもダメなのよ。そこでフランス音楽とフランス料理はマリアージュしないということがわかった(笑)。結局、一番合ったのがジャズなんで(笑)。これが困っちゃうんだけど(笑)、要するに、フランスの音楽は単純に偉大であって、ラヴェルだとかドビュッシーになっちゃうと世界音楽で、もう全然影響の幅が広すぎるんだけど、もっとフランスのエキゾチックな音楽、例えば、極端に言っちゃうと、MIKADO(ミカド)を中興の祖とするフレンチポップの流れ、シルヴィ・バルタンとか。日本だとやたらゲンスブールが持ち上げられたりするけども。90年代以降の打ち込みになってからの優れたフレンチポップっていうのもいくらもあって、それらを愛でる人たちっていうのはいるんだけど、でも何にも使えないんですよ。マリアージュを受け付けない。サティも今や歯医者ですら流れてないですからね。アメリカ型の環境音楽にやられちゃってるんで。パリの輝きっていうか、それでもパリだっていう亡霊みたいな、そういう力を使うしかないじゃないですか」
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