パリは終わってしまったのか?[前編]/菊地成孔×伊藤俊治 対談連載 vol.1
クラブカルチャーはインターネットの先駆け
I「学生たちが海外で行きたいところって言っても、パリがあがることはあんまりないでしょうね? さっき言ったように、そこへ行く、ではなく、そこも行くになってしまったいうのはあると思います」
K「パリが埋没しているということは、いろんな状況から、どこを起点に話し始めても結論は同じだと思うんですよね。例えばクラブカルチャーもパリは結局、90年代にあげつぶしをくらったと思うんですよ。つまり、ありがたいと同時にダメだっていうことが両方進んでいくみたいな。例えば、ディミトリとかパリのDJでいい人がいっぱい出てきたじゃないですか?「ディミトリ・フロム・パリ」って言ってたぐらいだから、あれも最初からキャンプだよね。ダフトパンクを準備したような。ワールドミュージックの頃みたいに、フランス語でラップしたり歌を歌ったりする、すごく優れた北アフリカの人たちにも、商品として誰もありがたらなくなってしまった。クラブって世界中どこも同じじゃない? クラブカルチャーってインターネットに引きこもっているオタクの同種対極であって、現代のエピキュリアンであって、みんなおしゃれで、カメラ向けると寄り添ってイエーイって写真がファッション誌に山ほど載っていると。そこにはびっくりするようなセレブがフラッと来たりっていうのがあって、活発な人間関係の社交の場。インターネットばっかり見ている引きこもりとは逆だと思われがちだけれど、クラブもインターネットと同じ。世界中で同じレコードを回して、今プラハで回っているレコードと、パリで回っているレコードと、東京で回っている、香港で回っているレコードと全く同じという状況で、来る人も同じで、飲むものも同じで、みんなポメリーのシャンパン飲んでるっていうふうに、全部が均質化してくる力を持ったと思うんですね。DJはみんな同じように片耳にヘッドフォン当てて。全部の都市が均質化したようなイメージが強い。まあそれが、クラブカルチャーのピースの側面でもあるんだけど。まあそうした状況でも、パリの夜なるものの、カリスマ力がどの程度なのか。東京における浅草みたいなことになっているのかどうか。話がくるっと戻りますが、東京のほうが食べ物がおいしくなっちゃったというのは、単純に海外修業が盛んになり、帰国してからの需要があったからだと思うんですが、そうした動きと、カフェ文化とインターネットは切り離せないですよね。少なくとも、語学学校とか、料理学校の健闘よりは遥かに。ただこのことは需要だと思うんですが、渋谷系カフェ文化は突然変異ではなくて、前段階があったってことで、これは当然80年代だと思んですが、それについては追々」
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