幼稚化された時代が求める「いい女」とは?[前編]/菊地成孔×伊藤俊治 対談連載 vol.9
──幼稚化に対する、大人戻し化の動きとは? I「菊地さんは今年、ルパン3世のリメイクの音楽を担当されましたよね。ルパンの物語自体は、70年代に宮崎駿が手がけて、その後押井守が作ろうとして断念したところで物語としては終わっています。もう盗むものも何もないし、全てをやり尽した。それを今回のリメイクでは、峰不二子を女のマチュアな大人のエロスとして持ち出して再稼働させようとしていましたよね。最近では珍しいヒロイン像ですよね。大人戻しという言葉が出てきましたが、これも大人戻し化を想定したものですか?」 K「ルパン3世も初期は大人文化に定着したんだけど、いつしかお子様文化に定着したと捉えられてますよね。「LUPIN the Third -峰不二子という女-」は、長い時間をかけて子供っぽくなっちゃったルパンを、大人のルパンに戻そうというスローガンではじまったプロジェクトらしいです」 I「ルパン3世の原作はそもそもアメコミの影響が強いですよね。60年代にモンキーパンチが絵を描いていたものって、アメリカナイズされた日本のマンガとして出発して、他のマンガとはちょっと異質なバタ臭さを持っていた。40~50年代のバッドマンをはじめとするアメコミが沢山出ていた頃の作品を日本的に需要して、ルパンの孫を主役にした話を構築していった。アニメーション化した後、世界的に流通し、一般化して大きな産業になったために子供化していったという訳ですね。峰不二子って、ある意味で50年代のグラマーな歴史を背負っている女性像。それを復活させるということは、それはそれで面白いアニメーションだとは思うんですが、場違いな部分も感じました。グラマーな女性像が時代と合っていないというよりは、エロスの打ち出し方かな。深夜帯にやっているアニメだからなのか、フルヌードを出していました。ルパン3世でここまでヌードを出すのってなかったですよね」 K「過剰にエロいです。男性の目線からしたらちょっと引くくらいかもしれない。このご時世にこんなにやっていいんですか?という時代錯誤ではなくて、実はこのやり方って今の時代に適合しすぎているんだと思います。だから、ある意味では大人化できていない。幼稚化を食い止めようと、大人を演出しているという行為自体は、子どもっぽくて、今っぽいのかもしれません」 I「そうですね。単純な大人戻し化っていうわけではないですよね。エロさが過剰に演出されているのは、一方では監督が女性だというのにも関係していますか?」 K「女性が作ると、それが過剰になる傾向はあるかもしれない。ここ最近、蜷川実花さんに代表されるような、女子が女子をエロく撮るという男目線のない世界があります。ピーチジョンが起爆剤になってはじまった文化だと個人的には思っているのですが、男子禁制的な女子による女子への愛で方。出禁とはいえ発禁法ではないので観れるから、良いと思う男もいるしそうでないのもいますけど。今回のルパンも、腐女子発のエロ。殿方に対するのサービスを考えるレベルじゃなくて女子目線です。ジェンダーの話になってきますが、女は清らかで性欲もないと言われていた19世紀的思考はとっくに終わって、女も好きなだけセクシーに好きなだけ求められるのが当たり前。だから、女が作りたい女性像は、男性のそれとは対局に過激なまでにエロい場合が増えている。逆に男の方がよっぽど処女っぽいんです。今の女性たちにとって、男性目線の理想の女性像なんて関係ないんじゃないですか」 ▶続きを読む/老いを受け入れられない大人女子たち