つぶやきの矛先はどこへ/菊地成孔×伊藤俊治 対談連載 vol.3 | Numero TOKYO
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つぶやきの矛先はどこへ/菊地成孔×伊藤俊治 対談連載 vol.3

多彩な肩書きを持ち、音楽、映画、グルメ、ファッション、格闘技などボーダレスな見識を披露するアーティスト菊地成孔と、写真、先端芸術からバリ島文化まで幅広く専門とする、美術史家にして東京芸術大学美術学部教授の伊藤俊治。アカデミックな2人が、世の中のニュースや日常の出来事、氷山のほんの一角の話題をダイナミックに切り崩しディープに展開する、かなり知的な四方山話。

 

vol.3 つぶやきの矛先はどこへ
「ツイッターやってる?」は当たり前の昨今。2006年に登場して以来、iPhoneをはじめとするスマートフォンの普及とあいまって、急速に広まっていった。自分の今を投稿し、他人の今を知る。世界中の今この瞬間を、リアルタイムの情報を共有し、発見できると謳うツイッター。実際どれほど便利で役立つのか? この先どう発展するのか? 有益なものからたわいもない独り言まで、不特定多数に向けられたつぶやきが及ぼす影響を考える。

 
Twitter賛否両論
 
伊藤俊治(以下I)「この対談が出る頃には下火になっているかもしれませんが、ツイッターが盛り上がってます。菊地さんは?」
 
菊地成孔(以下K)「やってないですね。特別強い理由があるわけではないんですけど。一回もやらないうちに廃れるという経験をもう一度したいと思っています。ミクシィの時のように」
 
I「僕もまったくやってないんですが、オバマが選挙で使って話題になりましたね」
 
K「オバマとダライ・ラマですよね。<麻生元首相がニコニコ動画を利用>というのと変わらないと思いますが。っていうか、麻生とニコ動のほうがゾワゾワくる面白い嫌さがあったけど、オバマだ、ダライ・ラマだってのは、嫌さがジメっとしていて嫌です(笑)」
 
I「そうした有名人のメッセージがトリガーになっている。あと、みんな自分の話を聞いてほしがってるんでしょうね。真剣に聞いてくれる人はなかなか見つからないし」
 
──通常コミュニケーションできないような方々とできているような気になれる感覚というか。
 
K「オバマのツイッターってオバマ本人は書いてないですよね? ツイッターの草稿があるわけでしょ。つぶやきチェックが4回ぐらい入るんじゃないですかね」
 
I「本当に本人なのかはわからないシステムですよね。オバマの偽者も何人もいるっていうし」
 
──本物を確かめる方法はあるんでしょうか。
 
I「本物でも本物でなくてもいいという感覚なんでしょうかね。ところでツイッターってツイーターですよね。スピーカーの高音域再生部で可聴領域ぎりぎりのささやき、小鳥の鳴き声に似た音を放つのがツイーター。小鳥のささやきって集合で成立していて、決まった意味があるわけではなく、自然環境に織り込まれているわけですよ。Buzzもハチがブンブンうなってることだし。虫とか鳥のメタファーなんですね。昨年はベルリンの壁が崩壊して20年でしたが、崩壊以前の1987年に(ヴィム・)ヴェンダースの『ベルリン天使の詩』という映画があって、その中で人々のつぶやきを聞いていたのは天使なんですよね。イントロでベルリンの人々の抱えている悩みとか哀しみとか、言葉にできないつぶやきを聞き取る役として天使が降臨するんですが、それが今から四半世紀前のツイッターのスタイルだった。人々の声にならない無数のつぶやきを吸収するのが天使のシステムだったんだけど、こんなオープンなテキスト・ネットワークに変わってしまって、それも永遠に救済されないつぶやきが世の中に蔓延して飽和状態になっているような感じもしますね」
 
K「要するに、ブログメディアっていうのは真正性というか、その人が実際に本当に書いているんだという信用取引が価値の90%以上を占めている。例えば、1970〜80年代、『明星』『平凡』というアイドル雑誌の中で「(西城)秀樹のツアー日記」みたいのがいっぱいあって、そこには「今日、秀樹は故郷広島に帰って大好物の牡蛎を食べ、エネルギー満タン!カンゲキー!!」みたいなことが書いてあった。当時、スターと庶民との間には非常に円熟した柔構造の関係というのがあり、もちろん実際は本人ではなくマネージャーが書いているわけだが、虚実の皮膜というか、純真な子どもたちは本当に秀樹が書いたと信じ、少々純真でない子どもたちも、秀樹が書いたとは思わないまでも、書いたこととして読む。というような、多義的なあうんの呼吸があったと思うんです。それが四半世紀たってブログになったら、本当に中川翔子が本番前に書いていると、その証拠に写真があるんだ。これは真実で、それを共有してるんだオレたちは、というように変わってきた。つい先日、NHKの子役タレントが実はマネージャーが書いているということをブログに書いてしまって大騒ぎになったんですが、それは単にウソをついていたということではなくて、ブログを支えていた人々の真正というか、本人が書いているんだというありがたみというピュアでシンプルな価値が壊されてしまうということだと思うんです。写真集へのサインを本人が書いてなかったとして生じる痛みを想像して比べるとよい。だいたいタレントの1ヵ月のスケジュールなんてわかっているんだから、マネージャーがあらかじめ書いておいて時差投稿すればいいわけです。昔の推理小説で、ファクシミリの時差送信機能をアリバイ工作の道具に使おうとしたやつとかありましたけど、マネージャーが1ヵ月分の予定を見て、さもそれふうなこと書いておき時差アップしているなんてことが世の中になく、絶対に本人が書いているということを前提に、ああいうデジタルカルチャーが進んでいったということが非常に息苦しく、そして不憫です。僕はツイッターが悪いとも思いませんが、といってやりもしませんけど、140文字なら偽者がいっぱい出て来るわけじゃないですか? そういう意味では面白さはちょっとあるかもしれないと思いますね。ただ、ほとんどのツィッタリアンは本人じゃないと知ったら、シラケたり怒ったりする人たちだと思いますけどね」
 
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