パリは終わってしまったのか?[後編]/菊地成孔×伊藤俊治 対談連載 vol.2
K「雑誌のアートワークも、その誌面構成というか写真使いがさ、ミラノだね、とかハーパスだとか、昔はわかったじゃないですか。今わかんないもんね」
I「40〜50年代のアメリカン VOGUEやハーパース・バザーとか、アレクセイ・ブロードヴィッチとか有名なADがいて、きちっとデザインされていて、今でもこれはブロードウィッチスタイルだなって見ただけでわかるもんね」
K「80年代はね、そこにどうやって東京が入っていくかっていうのがよく見えたんですよ。で、今、NYとパリっていうのは、4回の表、5回の裏とか形勢はありつつも拮抗してるわけじゃないですか。トム・フォードが映画撮ってよかった、とかね。あれ音楽は日本人の梅林(茂)さんっていう人がやってるんですよ。トム・フォードが指名したんですが。もともと日本でエックス、XJAPANじゃなくてEXっていうバンドやっていた人でね。加藤和彦さんがプロデュースした80’sデビューの人で、ウォン・カーワァイの映画でも氏の曲が使われていたんですけど。ああいう日本がどうやって食い込んでいくのかなっていう。オタクカルチャーで村上(隆)さんが大暴れしたけれども、とはいえアートはリーマンショック以降、もう成り立たないですって本人も言ってたけど。東京の立ち位置が微妙になっていて、東京からなんらかのクリエイターが出てきて、NY、パリという、伝統の早慶戦みたいな中にどうやって食い込んでいくのか、みんな「オマエ、いいね」って言ってくれるんだが、自分でどうしていいかわからないというか」
I「でも日本の美意識の、すごく綿々と続いてきたのに断絶したものを、もう一回抽出していこうっていう流れは自然に起きてるような」
K「そうですね。ただやっぱ僕の世代になっちゃうと、そういったものをまた再び繋げたり、呼び戻すのも、頭の中で一回ジャポニズムになっちゃうんですよね(笑)。フランス視点っていうか。今の若い人がどう思ってるのか知りたいですよね」
I「でもフランスって日本のことを他の国以上に一番理解している。シラクの相撲大好き、縄文オタクとか。フランスは日本のジャポニズムだけでなく、日本の文化を繊細に愛好し、受容してきたと思うんですよね。例えば、セルジュ・ルタンスとか、80年代の資生堂の海外戦略とか、日本の美とフランス的なエスプリを融合させた。でも彼はモロッコの生まれなんですよ。複雑な美意識が絡まってると思うんですけど、それを突出させてマーケット展開してたから。そこらへんのフランスと日本がうまく拮抗しながら共存するみたいなところが、狙い所としてあったんだと思うんですよね」
K「80年代が文化的によかったのは、そういったことですよね。もてなして客人にいい仕事してもらうとも言えるし、子どもが可愛がられているようなところもある。いわゆる「YMOファミリー」がした仕事の中で、MIKADOの紹介と、ピエール・バルーを招聘したことだという人々もいます。メールで音のやり取りができるようになる前の、優れた茶会みたいなもんです、あれは。しかし先生は、オタクカルチャーというか、要するに村上さんとは言わないが、今の21世紀ジャポニズムみたいな、カワイイ服とか重ね着の伝統があるとかないとかいうような文化があるじゃないですか。ああいうことには携わらないんですか?」
I「はっきり言って、あまりタッチしたくない(笑)。なるべく避けたい。なんかオタクだけは駄目だな。僕は港町生まれで、昭和30年代に全盛を誇ってあっという間に全滅した貸し本屋の息子で、ずっと漫画本の棚に囲まれて店番をしていた世代だから、幼少期のトラウマみたいなものがあるんでしょうね。最初から、幼年時代からオタクだったですよ。本当にいつも漫画に囲まれていて、人が借りに来て、そういう状況への生理的な嫌悪感はあるのかもしれないですね」
K「元祖マン喫じゃないですか(笑)」
I「漫画はずっと描いてたし。『ガロ』とか『COM』とかに投稿してた。肉筆回覧誌とかも全国に回してたりして」
K「それはのけぞりましたね(笑)。『COM』に投稿されてたんですか? 手塚治じゃないですか(笑)」
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