杉本博司インタビュー人類の行方を見つめる1 万年の遺跡 | Numero TOKYO
Interview / Post

杉本博司インタビュー
人類の行方を見つめる1 万年の遺跡

杉本博司の集大成となる一大拠点「小田原文化財団 江之浦測候所」が誕生した。すべてが作品であるこの場所に、私たちは何を見いだすのか。芸術の起源たる太陽の運行と人類の行く末を“測候”する文化の聖地が、そのヴェールを脱ぐ。(「Numero TOKYO(ヌメロ・トウキョウ)」2017年12月号掲載

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江之浦測候所を象徴する施設の一つ、光学硝子舞台の上に立つ杉本博司

日が昇り季節が巡る
人類の記憶を呼び覚ます場

神奈川県小田原市、相模湾を望む丘に忽然と真新しい“社”が現れた。杉本博司が手がけた最新作にして集大成となる「江之浦測候所」だ。とはいえ天文台を建てたわけではない。2009年に杉本が創立した公益財団法人小田原文化財団が10年以上にわたり構想を重ね、この秋ついに開館した文化施設である。

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石舞台。自ら蒐集した古今東西の石で構成。(写真提供:©小田原文化財団)

かつてのどかなミカン畑だった広大な敷地に、全長100メートルのギャラリー棟、光学ガラスで作られた舞台、巨石を組んだ石舞台と隧道(ずいどう/トンネル)、全国から収集された銘石による庭園や千利休の「待庵(たいあん)」を写した茶室など、古来の伝統工法を再現した建築と造形物が設置され、継承すべき日本の建築史を通観することができる。

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夏至光遙拝100メートルギャラリー。夏至の太陽の軸線に建物の長辺を合わせ、片持ち構造で無柱のガラス窓が連なる。

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同ギャラリー内に展示された杉本の写真作品『海景』シリーズ。そのルーツは、自身最初の記憶に残る旧東海道線の車窓から見た小田原の海だった。

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杉本の原点に位置付けられる写真作品『海景』シリーズより。『海景 Sea of Japan, Oki 1987』 © Hiroshi Sugimoto / Courtesy of Gallery Koyanagi

「悠久の昔、古代人が意識を持ってまずしたことは、天空のうちにある自身の場を確認する作業であった。そしてそれがアートの起源でもあった」と杉本は記す。冬至、夏至、春分、秋分を節目とする、太陽の運行と季節の巡りという自然と人間の関わりの原点に立ち戻り、「“人の最も古い記憶”を現代人の脳裏に蘇らせるために」構想されたという。

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光学硝子舞台から冬至の日の出を望む。(写真提供:©小田原文化財団)

この基本コンセプトは空間設計の随所に表現されている。春分・秋分の光がにじり口から差し込む茶室。海面が反射する光を吸い込み、水平線の彼方へ演者を誘うガラスの舞台。子宮口から世界の光を覗き見るかのような隧道。「光」はこの場所を象徴するものの一つだ。

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冬至の日の出の方角に向けて配置された光学硝子舞台。左側には、コールテン鋼製の冬至光遙拝隧道(ずいどう)の突端部が。舞台は光学ガラス板を清水寺に見られる伝統工法の懸造(かけづくり)が支え、海面上に浮かぶような眺めをつくり出す。長さ70メートルの冬至光遙拝隧道は、一年で冬至の朝のみ太陽の光が貫くように設計されている。

もう一つは「石」である。かつて骨董を商っていた古美術の目利きである杉本だが、これほど石への愛が深かったとは…。「石は骨董好きの行き着く着地点ともいわれています。石の声を聴いて配置を決め、置いてあげるんです。中国庭園の工法のように奇岩が屹立したりはせず、だいたい伏せってます。モダニズムの水平思考とも、来るべき高齢化社会の暗喩とも読めますが」と、いつもの調子で煙に巻かれそうになるが、緻密な空間構成の根底には、ランドスケープの普遍性をめぐる杉本独自の考察とロマンがあった。

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冬至光遙拝隧道の上に設けられた光学硝子舞台の観客席入り口。観客席は古代ローマ円形劇場の写しで、12〜13世紀ヴェネチアの「生命の樹」石彫大理石レリーフを扁額として掲げた。

例えば、湾に面した斜面の土地にしても、冬至の方角へ開けていて海から日が昇ることを条件に、長期計画で腰を据えて探し求めたという。また、古墳と同義ともいえる石舞台には、古代人にとって最大の関心事であった「死」そのものを祀る場所にふさわしく、鬼門を封じる亀石やヴェネチアから持ち帰った鳥の石版を配し「現代文明が滅びゆくさまを見届ける」墓所に見立てた。

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冬至光遙拝隧道内に設けられた、地表開口部からの光が古井戸を照らし出す静謐な空間。古井戸には光学ガラスの欠片が敷き詰められ、光を受けて輝く。

ただの石かお宝か。それは訪れる人しだい。石を見ることそのものが教材であり、背景にある歴史や哲学を読み解くことが教育となる、新しい教育普及の拠点ともなるだろう。

伝統を敬い権威を笑う反骨の精神

竣工前、5月に東京・三鷹の国立天文台で開かれた記者発表では、この江之浦測候所の耐用年数は約1万年であると語った。「富士山が噴火したらどうしますか」という記者からの質問に「礎石くらい残るでしょう。言ってみれば自分で遺跡を作ったということでしょうか」と答え、シニカルな杉本節に会場は沸き返った。

杉本が古物を扱う手つきには、ヒッピー時代の青年の頃から世界的な芸術家になった現在まで、彼が変わらず持ち続けてきた、物事の価値付けや権威主義に対する反骨の精神が潜んでいる。

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千利休「待庵(たいあん)」の本歌取りである二畳敷きの茶室「雨聴天(うちょうてん)」と、山形県にある重要文化財指定の石鳥居に準じて作られた石造鳥居。春分・秋分には茶室から鳥居を通して朝日が見える趣向。

例えば利休写しの茶室でも、ミカン畑だった敷地に残された小屋の錆びたトタンをとっておいて、恭しく茶室の屋根とした。「トタン屋根を打つ雨音を聴く」という意味を込めて、茶室は「雨聴天」と名付けられた。

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明月門。創建は室町時代、根津美術館の旧正門を経てこのたび再建された。(写真提供:©小田原文化財団)

一方、室町時代に建立された鎌倉・明月院の「明月門」を再建し、贅沢にも施設のエントランスに設(しつら)えた。実はこれ、長らく根津美術館の正門として使われていたものだが、なんと美術館の改装に伴って、さまざまな大人事情により小田原文化財団へ寄贈されたという。謎の“引き寄せ”の強さを示すエピソードだ。

歴史的遺物もガラクタも、多種多様な象徴の一つとして等価に取り扱う。杉本ならではのその美学的な態度には、一見相反する側面が共存している。それは古美術研究の道を究めた数寄者、そして「現代美術の父」マルセル・デュシャンの文脈を正統に継承するコンテンポラリーアーティスト、この二つの顔である。

建築家という側面から見るなら、「和」を素材として華麗に使いこなす有名建築家と杉本博司が一線を画すのは、伝統に敬意を払いながら、権威を駄洒落で笑い飛ばす“酔狂の人”であるところだ。

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冬至光遙拝隧道を貫く冬至の陽光。(写真提供:©小田原文化財団)

世界との関わりを再考する聖地

「50歳近くまで自分の作品が高値で売れることは想定していなかった」という杉本が選んだ、自身の創造的活動の着地点は極めて公共性の高い施設空間だった。「江戸っ子ですから宵越しの金は持たない、と。アートで得たお金は、アートに還元したい」と語る。

江之浦測候所の基本構想では、ここは誰にでも開かれた場所となるが、同時にここは巨石建造物がつくる特有の緊張感を訪れる人に与えるところでもある(ピンヒールは岩の隙間に刺さるので禁物だ)。また、イタリアまで赴いて古代ローマ遺跡を採寸してきたという野外円形劇場では、古典から現代まで多様な舞台芸術が繰り広げられる。

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春分/秋分の朝日に沿って、軸線を配した石舞台。(写真提供:©小田原文化財団)

「私たちがこの意識化された世界とどのように係わってきたのかを、芸術の歴史を遡って見つめ直すことが、これからの人類が向かうべき行き先を考える上で重要な意味を持つように思われます」と杉本は記している。

旧石器時代から現代まで、森羅万象を睥睨(へいげい)する杉本コレクションと、特別な空間芸術の中で上演されるあらゆるジャンルの舞台芸術を通して、人類と世界の関係性について熟考させる、ここは神でなく「人間の聖地」になるかもしれない。

小田原文化財団 江之浦測候所
構想/杉本博司
基本設計・デザイン監修/(株)新素材研究所

住所/神奈川県小田原市江之浦362-1
TEL/0465-42-9170 
定休日/水(2018年2月以降は火、水)、年末年始(臨時休館あり)
入館/完全予約制(11〜3月は1日2回、4〜10月は1日3回/約2時間の入れ替え制)
入館料/¥3,000
アクセス/東海道本線 根府川駅より無料送迎バス運行、または真鶴駅よりタクシー乗車
URL/www.odawara-af.com/ja/enoura/(予約申し込み) 

Photos:Junpei Kato Interview & Text:Chie Sumiyoshi Edit:Keita Fukasawa

Profile

杉本博司(Hiroshi Sugimoto) 1948年、東京都生まれ。74年よりニューヨーク在住。活動分野は写真、彫刻、インスタレーション、演劇、建築、造園、執筆、料理と多岐にわたる。2008年に建築設計事務所「新素材研究所」、09年に公益財団法人小田原文化財団を設立。紫綬褒章、フランス芸術文化勲章オフィシエ章など国内外で受賞多数。

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