笑いで世界を沸かせる、アツコ オカツカにインタビュー
コメディアンがマイク一本でステージに立ち、観客に話しかけながらライブを行うスタンダップコメディ。欧米式の笑いの世界に台風の目のごとく現われ、国境のない笑いのるつぼと化したのがアツコ オカツカだ。飄々とした語り口で、苦労も悲しみも全てネタにする。日本を思う気持ちは人一倍強いという彼女が語る“笑いの力”とは。(『Numero TOKYO(ヌメロ・トウキョウ)』2024年12月号掲載)
HELLO! アツコ オカツカ!
──8月に東京と大阪で開催した公演の手応えはいかがでしたか。
「とても楽しかった! 日本人は英語が母国語ではないし、スタンダップコメディ自体が新しく、理解するのは簡単ではないはず。でも理解しよう、その場を楽しもうとする思いが伝わってきたんです。世界各地で公演すると、国によってリアクションが異なり、各々の文化を理解できます。日本人は少しシャイで、大爆笑や手拍子を躊躇する傾向がある。日本で生活していた頃の恥ずかしがり屋だった自分を思い出します」
──芸人になると決意したのは?
「とにかく人を笑顔にできるコメディが大好き。米国でアジア人女性がコメディアンになることは簡単ではありませんが、自分ならできると夢見ていました。しかし、すでにマーガレット・チョーという米国初のアジア人女性コメディアンが人気でした。第一線で活躍できる人の枠には限りがあり、当時は同じような人はいらないという風潮で。仕方なく違う仕事に就きましたが、全く向いていなかった。教師やダンス講師、映画業界でもファニーさが仇となって失敗。その度に天の声が語りかけて来るんです。『ヘイ、ガール。君には笑い以外は向いてないよ』と(笑)。そして、時代とともにハリウッドの価値観が変化し、もっとダイバーシティの声を聞こうという世の中になっていきました。こうしてチャンスが回ってきたのです」
米NYタイムズ「2022年のベストコメディ」ベストデビュー賞に選出された、有料ケーブルテレビ局HBOの『Atsuko Okatsuka The Intruder』(日本未公開、HBO Youtubeチャンネルで一部視聴可)。番組名は和訳すると、不法侵入者。
──いつも目を引くファッションですが、何か意図はあるのですか。
「笑いを取るために、自らの不幸や災難を話します。なので、コメディアンは往々にして少し悲しい存在です。でも、最終的には、おかしくてポジティブなオチにしたい。服装によって、自分自身も見ている人も愉快な気持ちにしたいと思っています」
──トレードマークのボウルカットは何か理由がありますか?
「かつて日本にはこの髪形のお笑い芸人がたくさんいました。現在、私がアメリカで唯一のボウルカットのコメディアン(笑)。2歳のときにすでにこのスタイルだったし、自分なりの日本人、アジア人らしさの表現なのかもしれません。米国的な美しさとかけ離れた変な髪形とされていますが、『私は美しいと思う、これこそ前衛的なファッションだ』と体現することで、アウトサイダーだと自覚し、周囲にも示しているんです」
越境、苦難をバネに夢を叶える
──移住してアメリカで生活を始めて、一番つらかったことは何でしたか。
「言語と、LAという多種多様な人種と価値観の人が暮らす街で、複数の文化を理解し、受け入れなくてはならなかったこと。アメリカの文化、英語、クラスメイトが何で笑っているのか、さらにスペイン語、初めて食べるメキシコ料理。日本人として育った10歳児の胃にメキシコ料理は刺激的すぎたし、チーズを大量に食べたことで、精神だけでなく体も攻撃にさらされていました。両親が離婚し、台湾人の母と祖母と共に祖母の家族を頼って移住したので、なじみがない中国語と北京語で意思疎通を図る必要もありました。そんな逆境と、日本に戻れないことがとてもショックでした」
──ブレイクを実感したのは、どのタイミングでしたか。
「アメリカとその他の国ではブレイクした瞬間が異なりました。米国は2019年、公演中に地震が起きても、安全を確保しオーディエンスを落ち着かせてショーを続行したことがオンラインで話題になりました。他の国はパンデミック中の21年、ダンス動画がさまざまなSNSで拡散されました。これが、いろんな国の人とつながったきっかけです。動画の視聴者が増え、国と地域を調べると、コメント欄に『日本にも来て』『東京で公演して』という、うれしい声がたくさんあり、22年にワールドツアーができると思い至りました」
──夫のライアン、おばあさんと一緒にダンスする動画は、どのような経緯で生まれたのですか。
「祖母の人生は、常に誰かの面倒を見ることに当てられていたと思います。彼女が8歳のときに第二次世界大戦が起こり、長女だったため年下の面倒を見る必要がありました。結婚してからは、活動家だった夫が暗殺され、若くして3児のシングルマザーに。身内に起こった不幸で私の母は統合失調症を患い、孫の私が生まれ、ずっと世話をしてくれました。自分自身が楽しむ余裕や時間などなかったはず。コロナ禍に、私と夫は母と祖母が楽しくいられる時間にしようと決めました。『動画を撮るけど、一緒にどう?』と声をかけたら、 『いいよ』と応じてくれて。祖母にとっては人生で初めてリラックスできる時間だったのです」
アツコの夫、ライアン・ハイパー・グレイ。スタンダップショーのプロデュースやマネジメントを担当。祖母のXアカウントは@AtsukosGrandmaで、フォロワー数は1.6万人を超える。
──日本とアメリカの笑いの違いは何だと思いますか。
「スタンダップコメディは、たった一人で行います。ステージでは、とにかく「自分が何者であるか」を表現しなくてはなりません。人生、家族、とっておきの秘密まで。日本はそこまで、自らをさらけ出して出自や家族について語ることはなく、政治や社会問題にも触れないでしょう。日本のお笑いはもっと、見る人の心地よさを目指していて、米国のコメディの気まずさみたいなものは追求していないと思います」
──米国のエンターテインメント界で、最も高いハードルは何でしたか。
「誰がステージに立つかは、ごく少数の人が決めます。例えば決定権のある人が、すべて白人男性だと、後ろ盾になってくれる人に加え、その人の母や妻、女友達が説得して納得させてようやく決定が下されるんです。特にファンの存在が大きいです。動画を見てショーのチケットを買ってくれる人がいるからこそ、TV出演やツアーが成立します。そうやって、米国でアジア人女性コメディアンになれたと思っています」
──名前を英語名に変えずに、本名で活動する理由は?
「芸名については一度考えたことがありますが、いかに自分自身に正直でいられるかを心がけてきたし、人生がAtsukoという名前とあるので、他の名前が耐えられなかったんです。最近のトレンドは、米国育ちのアジア系の人が名前をアジア名に戻す事。国に戻って住むケースも増えています。ルーツや伝統が、クールなんですって(笑)」
──日本のカルチャーに対する印象は変わりましたか。
「SMAPや志村けん、明石家さんまが大好きでした。今、SMAPのメンバーは何歳なんだろう? 日本の芸能人はリタイアせず、ずっと働き続けているのがすごい(笑)。2023年にツアーで日本に行ったときは、ゆりやんレトリィバァに会えたし、ファンとしてラッパーのAwichやシンガーで俳優のリナ・サワヤマがショーに来てくれました。活躍している日本人に会えて、今の日本のカルチャーを知れるのはうれしいですね」
──ハードなスケジュールのなか、どのように自分自身を保ち、ショーに取り組んでいますか。
「どんなに忙しくても食べることは忘れません(笑)。いつもショーの録画を見直して、より良い方向性を探っています。公演を重ねる度にショーは変化していき、退屈することは決してありません。オーディエンスの反応も含め、毎回新鮮なんです」
──コンプライアンスなどに対して、心がけているポリシーやボーダーラインがあれば知りたいです。
「最も大切にしているのは、コメディ的なばかばかしさ。それこそ志村けんのような。なかには怒りを全面に出すコメディアンもいますが、私のスタイルではありません。あるイシューに限定せず、もっとパーソナルな題材を扱っているし、それがアジア人以外の人、LGBTQなどマイノリティのコミュニテイまで共感してくれる理由だと思っています」
──笑いで最も表現したいことは?
「人生をあまりシリアスに受け止めすぎず、自分に厳しくなりすぎないこと。ほとんどのことは一時的なもので、思っているよりも深刻ではありません。リラックスして、心穏やかでいてもいいと伝えたいです」
──日本で、やってみたいことは?
「Jポップのスターたちと共演したいですね。北海道や広島にも行きたいし、日本海で泳ぎたい。沖縄の人は長寿だから、何を食べて100歳まで生きるのかを学び、それを超える長生きをしたいです」
──今後の目標を教えてください。
「もっとファンとつながりたいです。映画出演もいいかもしれない。来年の夏に向けて、日本でも視聴できるTV番組も作っています。そこでキムタクやシンゴに会えたら最高ですね」
Photos:Asato Iida Hair&Makeup:Anna Kato Translation:Saori Ohara Edit&Text:Aika Kawada Special Thanks:Satomi Yamauchi
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Youtube:@AtsukoComedy
Instagram:@atsukocomedy
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