KANDYTOWNの3人にインタビュー
「KANDYTOWNはいわば人生」
世田谷の幼馴染16名からなるヒップホップクルーKANDYTOWN。音楽はもちろん、ファッション界からも視線を集める彼らが注目される理由とは? MIKI、YOUNG JUJU、KUMARUの3人に、KANDYTOWNができるまでを聞いた。(「ヌメロ・トウキョウ(Numero TOKYO)」2016年12月号掲載)
東京発、いま最も注目される
16名のヒップホップクルー
音楽だけでなくファッション面でも熱い視線を集める新世代のヒップホップクルーKANDYTOWN。ラッパー、DJ、ビートメイカー、映像作家といった総勢16名からなるアーティスト集団の彼らは、東京・世田谷出身の幼なじみでもある。
MIKI「小田急線の喜多見っていうところで生まれたメンツがメインで。あとは学校が一緒だったり。連れがつながったり」
YOUNG JUJU「90〜93年生まれくらいと年齢はバラバラで、喜多見や千歳船橋とか経堂あたりがみんなの拠点になりますね。俺とKIKUやMIKIは幼稚園から一緒。あとKIKUの妹とは同級生だったり、家族ぐるみの付き合いもある」
KIKUMARU「ラップを最初に始めたのは、昨年亡くなったYUSHI(※ex.ズットズレテルズ)なんですけど、そこに仲間たちが集い、ラップに触れ。いつしか喜多見をK-TOWNと呼ぶようになり。誰かが『KANDYTOWNにしようぜ』って」
そもそも「音楽をやりたくて集まった仲間じゃない」(MIKI)。だからなのか、気負いは感じられない。またKANDYTOWN名義の作品は、ソロもあれば何人かの組み合わせによるものもあるためカラフルな印象だが、それでも一本筋が通っている。
MIKI「ずっと一緒にいるからフィーリングは似てるし、好きな音楽、方向性は自然と似てくる。イメージも共有しやすいのかなって」
KIKUMARU「みんな共通して好きなのは、例えば山下達郎さんとか」
YOUNG JUJU「…あとマーヴィン・ゲイとか。いま流行っている打ち込みのトラックよりもサンプリング主体のサウンドが多いですね」
最新の音楽を奏でながら懐かしさを感じるのはそのためか。「世田谷でも畑があったりする、わりと田舎」(MIKI)ならではの、いい意味での土着性。メロウでクールなサウンドを求めながら、どこか“TOKYO”という街を俯瞰した目線も面白い。
YOUNG JUJU「お客さんの年齢層もわりと幅広いですし、地方に行っても『イメージと違う! 近づきやすい!』とか、よく言われますね(笑)」
KIKUMARU「渋谷とかの大都会を客観視できる、絶妙な位置なんですよ、喜多見は。KANDYTOWNはそこで生まれたし、いわば人生なので。俺らにしかできない音楽を作りたいです」
Interview&Text:Tatsunori Hashimoto
Edit:Saori Asaka