陶芸家・高橋朋子インタビュー「金と銀の幾何学模様に自然への畏敬の念を込めて」
陶芸家の高橋朋子は、千葉県の自宅横に構えた小さな窯で、独自の世界観のうつわを作り続けている。幾何学的な金属箔に彩られたうつわからは、夜の雲間に挿す月の光や、異国情緒溢れるサーカスのテントのような様々な物語が想起される。そんな高橋朋子の独自の感性の源を探るべくアトリエを訪ねた。
生活に根ざした沖縄の伝統文化に触れて
──出身は北海道札幌市ですが、沖縄県立芸術大学大学院で陶芸を学ばれました。沖縄を選んだ理由は?
「偶然、見つけた比較的新しい公立の美術大学が良さそうだったので、特に深い理由もなく入学を決めました。結果的に、そこで培ったものが今に至る素地になっています」
──沖縄の自然や文化が作風に影響したのでしょうか。
「今は場所を移転したのですが以前、工芸のキャンパスは首里城の近くにあり、通学途中や散歩をしていると、三線や太鼓の音、首里織の機織りのバタンバタンという音が聞こえてきました。街の人たちが琉球舞踊を習いにいくことも普通のことで、生活の中に沖縄の伝統文化が根ざしていたんです。札幌で育った私にとって、それはとても新鮮な体験でした。小さい頃から民族音楽やフォークロアなものが好きだったので、そういった沖縄ならではの風景から触発されたものはありました」
──当時から、今のような作風に?
「その頃は、器というよりは土器や立体造形を作っていました。沖縄は民藝のイメージが強いところですが、やはり大学にも『用の美』を追求する先生がたくさんいらしたんです。濱田庄司、柳宗悦、バーナード・リーチも沖縄を訪れていますし、沖縄を代表する琉球陶器の人間国宝、金城次郎も民藝の影響を受けています。そうなるとやはり学生たちも民藝を志すわけですが、みんながみんな、同じ方向に進むのは違和感があって、自分なりの作品を作りたいと模索していました。それで学部生の頃は立体造形を作っていたわけですが、大学院で磁器の先生と出会い、金箔銀箔を器に落とし込みながら焼き付けていくという『釉裏金彩』という技法を研究することになりました」
──ということは、その頃からすでに、金属箔の幾何学模様は始まっていたのでしょうか。
「その頃も、釉薬の上に金箔と銀箔を貼って焼き付けるプロトタイプのようなものを作っていましたが、今よりもシンプルな幾何学模様で構成していました」
──大学院修了後、千葉県八街市に移り、作家としての活動を始めたわけですね。
「陶芸だけで食べていけるとは思っておらず、図工や美術の非常勤講師を2011年まで続けていました。『minamo』というシリーズは、小学校の図工で、洗剤を溶かした絵の具に息を吹き込んで写しとるという授業から着想を得たシリーズです。周囲から勧められて教員の道に専念しようかと考えたこともありました。作家として活動することになったきっかけは、2011年の東日本大震災です。幸い大きな被害はありませんでしたが、世界は一瞬で変わってしまうんだと、これからの人生を真剣に考えたんです。
そして、陶芸に真剣に向き合おうと講師の仕事を全て辞めました。それから公募展への応募を続けて、少しずつ展覧会に参加させていただくことが増えました。特に、国立近代美術館工芸館で開催された、『近代工芸と茶の湯Ⅱ』(2017-2018)ではとてもいい展示をしていただいて。そういった経験を重ねて、作家としての道筋が見えてきました」
自然の情景を幻想的な幾何学模様へと昇華させる
──作品のインスピレーションはどこから?
「自然を眺めながら着想することが多いです。『游(およ)ぐ月』や『皓月(こうげつ)』というシリーズは月の光をイメージしています。うつわの模様は幾何学ですが、記号のようなものだと捉えているんです。曲線や直線が作る模様は、楽譜の音符という記号の連なりが生むリズムのように、集合体として自然の波長と重なるのではないかと。月の光にも揺らぎがあり、リズムを感じます。ひとところに留まらず移ろう光を、金属箔の直線や曲線の連なりによって表現できたらと」
──絵本のような可愛らしい作品もありますね。
「『Moon Pavillion』という作品は、移動式サーカスのテント小屋のような風景をイメージしました。ほかにも『翠巒(すいらん)』は、山をモチーフにしています。私は北海道育ちなので、自然を見るとイメージが膨らむんですね。北海道や沖縄はいいところですが、一方で人間が生きるには過酷な環境でもあります。だからこそ、うつわの中に自然に対する畏敬の念を込められたらという思いもあるんです」
──荘厳な「玄の月」という作品が生まれた経緯は?
「四角く切った金属箔を釉薬の上に貼って焼いたあと、さらに釉薬をかけて箔を消したり、さらに箔を足していったりという作業を繰り返しています。コロナ禍のときに、展覧会が軒並み延期になり、たっぷり時間があったので、以前から構想していたこの作品に着手することができました。黒く見えるところは金属箔の反応で、グリーンのものは釉薬と反応して生まれた色です。明滅する光、明滅する魂のようなものが表現できたのではないかと思っています。月は光の窓だと感じることがあるのですが、何枚も重ねた金属箔が窓のようにも見えて、そんな朦朧とした掴みどころのない雰囲気を感じていただけたら」
──釉薬と金属箔の反応は、作り始める前からある程度想定しているのでしょうか。
「金属箔が黒く反応することは、20代の頃に気が付いていたんです。ただ、当時はそれに魅力を感じられず、今になってこの魅力を活かせるようになりました。この作品も作り始めた時はもっとシンプルな模様だったのですが、どんどん細かく複雑になって、ふわっと消えていくような模様になってきました」
──クリムトの絵画のようでもあり、骨董のような時間の集積も感じます。
「この作品には『玄の月』という名前をつけているんですが、箔も刻むことと時間を刻むことの2つをかけて『銹刻彩(しゅうこくさい)』とも呼んでいます。仏像を覆っていた金箔が摩耗して、下地の黒い漆が出てくるような時間の変化も感じられます。
私の作品は幾何学柄だから、宗教的なものや、ヨーロッパやオリエンタルな雰囲気など見る人の経験と想像によって、みなさんが異なる印象を抱いてくださるんです。うつわを手にとってくださった方が、それぞれの物語をここから感じ取ってくださったら嬉しいです」
Photos:Kouki Hayashi Interview&Text:Miho Matsuda Edit:Masumi Sasaki
Profile
https://www.tomoko-takahashi.com/
Instagram:@tomokorobockl