『aftersun/アフターサン』シャーロット・ウェルズ監督「私たち人間は一貫性がなく、常に理想としている自分ではいられない」
11歳のソフィが父親とふたりきりで過ごした夏休みを、その20年後、父親と同じ年齢になった彼女の視点で綴った『aftersun/アフターサン』。2022年のカンヌ映画祭批評家週間で話題を呼び、気鋭のスタジオA24が北米配給権を獲得。父親のカラムを演じたポール・メスカルがアカデミー賞主演男優賞のノミネートを果たした。脚本・監督を手がけ、瑞々しい感性で長編デビューを飾ったシャーロット・ウェルズにインタビュー。
記憶の感覚が、視覚言語のベースに
──映画を観ながら、自分の親が今の自分と同じ年だった頃の心境を想像したり、親としての顔ではなく、個人として彼らのことを再発見したりできたような感覚がありました。記憶の質感というか、観る者の記憶とどこかで通じるようなディテールがいたるところにちりばめられていますが、どうやってそれらを構築されたのか気になりました。
「私たちはどのように人のことを記憶しているのか。そこについて、すごく考えました。人生の中で特定の人について考えるとき、祖母についてだったとしたら、私は彼女の手に触れたときの感触を思い出すんです。フォーカスしたその感覚を撮影監督に伝えることが重要でしたし、そういった記憶の感覚が、本作の視覚言語を構築する土台になったと思います。また、例えば、子ども時代のソフィが何かを見るとき、私たちはそれがあとで思い出される、記憶のベースとなるイメージであることが伝わるような方法で撮影しようと努めました。20年後、ソフィは当時を振り返り、電話ボックスから覗いた目や、サンベッドの上に置かれた手などのディテールを思い出しながら、その時間とその人を断片をつなげ合わせようとしているんだと」
──その記憶のベースとなるイメージに余白があるから、観ている人たちも自分の過去を投影できるんですね。
「投影することで、観客はより、物語に引き込まれていくような気がします。映画を観ているとき、心ここにあらずになってもいいと私は思うんです。スクリーンに映し出されたものから連想する場所を選んで、記憶していたものを新たに感じ、それを今見ているものと結びつけて、戻る道を探すというか。自分の心とスクリーンとの間で会話が交わされているような感覚ですよね」
──本作はセリフで説明することはなく、一貫して、表情や動き、物で感情を表現していますが、それは、セリフに頼らない映画にご自身が影響を受けたからなのでしょうか。
「ある意味そうだと思います。私自身、あまりしゃべらないほうですし(笑)。車が爆発するようなアクションではなく、ジェスチャーを交えたアクションが好きで。間接的なコミュニケーションに興味があるし、焦点を当てているので、本作で登場人物は感情についてほとんど話しませんし、セリフで説明することもありません。セリフが陳腐にならないように観察しながら、ジェスチャーやタッチを通して二人の関係を作り上げたくて」
──あまり感情について言語化しないという文化は、日本にも長らく根付いていると思いますが、スコットランド出身のシャーロットさんは、感情表現においてイギリスの文化をどういうふうに捉えていますか?
「提示の仕方は違っても、感じたことを口にしないという風潮は日本と似ているのではないでしょうか。個人の性格というのは、国の文化と家族という文化が組み合わさって形作られるものだと常々思っていて。イギリス人はとても間接的で、アメリカ人はとても直接的だし、ドイツ人も直接的だけれど、異なるタイプの直球さですよね。間接的な表現についても同じことが言えるというか、いろんな方法があるんだと思います」
──特に、父親カラムの背中で彼の心情を見せているシーンは、小津安二郎のまなざしを彷彿とさせるなと。
「いや、完全にそうですよね。ポストプロダクションのときによく観ていたのが小津映画でした。彼の作品にも多くのジェスチャーがあり、人々の関係性や、語られていないけれども感じていることがとても重要ですもんね」
誰もが孤独である、ということを自分なりに表現
──短編『Tuesday』『Laps』『Blue Christmas』と長編『aftersun/アフターサン』、4作とも共通して、誰もが抱える孤独にフォーカスされていて、作品を通じて、その感情が解放されていくような印象を受けたのですが、意識的なものなのでしょうか?
「面白いのが、今までほとんど思ったことがなかったのに、この2、3日、そのことについて考えていたんです。自分の作った映画が心を動かすものだとあまり捉えていなかったので。でも、実際そうなんですよね。この映画は、自分のことをどう認識し、他人からどう認識され、自分は他人からどう思われたいのか、どうありたいのかということに対する、一貫性があったりなかったりする自分の中での闘いを描いている。それは、誰もが孤独である、という事実を別のかたちで表現する方法だと思います。これまで私が作ってきたものもおそらくこれから作っていくものにもそれが核としてある。でも、それが喜ばしいことなのかはよくわからなくて。自分がやっていることが何なのかを理解していないほうが、直面しなくていいこともあるじゃないですか。でも、結果的に自分の作品を振り返ってみると、そこには何かがあって、それは存在意義のように解決策がないことなのかもしれません」
──解決策が提示される必要はないというか、答えのない問いについて考える時間は、苦しいときがあっても、大事だなと個人的には思っています。
「そうですね。私が映画を作るうえで最も興味があるのは、具体的な何かを解決することなしに、何かにまつわる何かを生み出せることだと考えています」
──シャーロットさんの言葉のチョイスも映画の世界観と通じるものがありますね。また、父と子どもの関係を描く映画は、母と子どものものに比べて少ないように感じるのですが、本作を父と娘の物語にした理由はなぜなのでしょうか。
「確かに少ないと思います。ピーター・ボグダノヴィッチの『ペーパー・ムーン』やヴィム・ヴェンダースの『都会のアリス』は父と娘ではないですしね。ソフィア・コッポラの『SOMEWHERE』はそうでしたけど。ただ、これらの作品は共通していて、関係性を築くプロセスが描かれています。私自身はそういう物語より、映画の冒頭で既に確立されているつながりや人間関係、それぞれ個人の内面から生まれる葛藤に興味があって。もう一つ言えるのは、本作のソフィとカラムは離れて暮らしていますけど、父と娘が一緒に暮らしているというのは、映画でも、人生でもよくある、とされていることです。そういう関係で消耗されないことのほうが、稀だと私は思っていて。朝食、昼食、夕食や、学校と宿題のような、毎日の生活のルーティンのような、いわゆる“楽しい”時間。それが人間関係にもプレッシャーを与えているのではないかと。なぜなら、楽しむために用意された席ほど、実際、楽しめないものじゃないですか(笑)」
──確かに。「団らんすべき時間だから団らんして」と言われても、反対の行動をしてしまうかもしれないです。
「そう思います。そういう、個人的に自分が経験したような関係を表現している、と感じられる映画が少ないという思いもありましたし、私が描きたかったのは、とてもオープンで、繊細で、自分の子どものために投資する人物。思いやりがあって、子どもと一緒にいるときが一番いい状態でいられるような。そこから、娘といるときはベストバージョンの自分を見せるけれど、自分の人生は悲惨、というカラムというキャラクターができあがっていきました。そもそも、私たち人間は一貫性がなく、常に理想としている自分ではいられないものなので」
「自分が好きなもの、持っていると感じるもの」を探して
──あなたのキャリアパスについても伺いたいのですが、卒業後、金融業界で働いた後、映画の道に戻られていますよね。子どもの頃は、映画監督になりたいと考えていたのでしょうか。
「そう思っていました。映画監督がどういうものなのかを理解する前から。14歳のとき、国語の授業で『大人になったら映画監督になりたい』という話をした記憶があります。でも、それは不可能な夢のように思っていました。芸術関係の仕事をしている人は家族にいませんでしたし、クリエイティブな道へ進むことを奨励する環境でもなかったので。『だめだったときはどうするつもり?』と反対されるだろうなと。だから、大学までは自分がやりたいことを勉強して、金融の道に落ち着いたんですが、共に10代を映画館で過ごした高校時代の友人のポストプロダクションの会社の運営を手伝うことになり、再び映画に興味を持ったんです。脚本家や監督といった映画業界で働く人たちに出会って、急に現実味を帯びてきたというか。マネージングディレクターとして、会社の事業戦略や財務計画の業務を担当していた経験を活かせるのではと、プロデュースを視野に入れ、ニューヨーク大学のMBA/MFAという大学院プログラムに応募しました」
──初めのうちは、プロデューサーを志望されていたんですね。
「プロデュースをすることが映画業界への復帰への第一歩だったと思います。プロデュースは、あらゆる技術を駆使するものだと考えていて、そのために邁進していましたが、途中で変化があったんです。私はいつも『私だけにあるものって何なんだろう』と探していたのですが、それが見つかったというか。得意だと思えることではなく、自分が好きなもの、持っていると感じるもの。それを通して充実感を得られるような、出口を発見したような感じ。他の方法では表現できないことこそが、才能なんですよね。それ以降、監督として挑戦し続けました。2019年頃まではプロデューサーを続けていて、この映画のエディター、ブレア・マックレンドンの監督した短編映画をプロデュースしたのが最後です」
──監督をする際、プロデューサーとしての経験がどんなふうに影響しましたか。
「映画学校の中には、プロデューサーはフォームを埋めるために存在する、伸縮自在な存在である、みたいな態度がなくはないのですが、監督と一緒に相談しながらクリエイティブなタスクを終わらせていくことを経験し、違った価値観を持つようになりました。最も重要な人間関係のひとつだと思っていますし、プロデューサーとの関係を大切にしています」
──本作は、バリー・ジェンキンスやアデル・ロマンスキーらが立ち上げた製作会社PASTELが共同プロデュースを務めています。彼らとの仕事はいかがでしたか?
「第二稿くらいまで自分で完成させた脚本を、PASTELのアデル・ロマンスキーに送って、それが決め手になりました。そのときに、本当に長い道のりだったと実感したのを覚えています。というのも、2年間かけて脚本を書き、いつ、誰をキャスティングディレクターに迎えて撮るのかといったもろもろを考え、常に前進していたので、振り返る余裕もなかったんです。PASTELからのメモを受けて、脚本を書き直したことで、さらにいいものになりましたし、作家として、この映画をとても誇らしく思っています」
──脚本を執筆する作業がいちばん大変でしたか?
「どれも違った意味で大変ではありました。執筆に最も時間がかかりましたけど、物理的には編集が一番ハードでした。編集の場合、発狂寸前な状態をエディターと共有できますが、執筆はそれを一人で乗り切らなきゃいけない。エディターと一緒にウイスキーを飲むのはいいけど、一人きりで飲むのは危険じゃないですか(笑)」
──確かに(笑)。次の作品の構想がもしあるようでしたら、聞かせてください。
「まだ考えてなくて。新たに始めるためには、まずこの作品を完全に終わらせないと。初公開から世界を回って、ここ日本が締めくくりなんです。キャスティングを始めた頃から2年半経過していますし、撮影、編集し、上映してからも1年が経っていて、その間、休むことがなかったんですよね。また映画を観たり、本を読んだり、音楽を聴いたりする時間が必要だと思いますし、そうすればまた何かの映画を作ることができるかもしれない。だから、次回作の準備はまだ全然できていない、というのが正直なところです。ただ、面白いことに、最近、シャンタル・アケルマンからの影響について言及されることが多くて。彼女の作品は大好きですが、ここ数年、『アンナの出会い』についてよく考えています」
──最新作のプロモーションのために旅をする映画監督、まさに今のシャーロットさんと同じ状況ですね。
「映画監督は、世界中を旅するような仕事だから、彼女があの映画を作ったのも不思議ではないですよね」
──ここ数日の東京の旅はどんな経験になっていますか?
「今朝、ランニングをして、小さな公園を見つけて、すごく気持ちがよかったんですよね。初めて、ちゃんと東京に来たのだと実感できたというか。出たり入ったりして迷いながら、ちょっとこの街の何かと出合うことができたような、そんな感覚がありました」
『aftersun/アフターサン』
11歳の夏休み、思春期のソフィ(フランキー・コリオ)は、離れて暮らす父親カラム(ポール・メスカル)とともにトルコのひなびたリゾート地で親密な時間を過ごす。20年後、当時の父と同じ年齢になったソフィは、当時を振り返り、大好きだった父の記憶を再生する。2022年カンヌ国際映画祭・批評家週間での上映を皮切りに評判を呼び、米国アカデミー賞主演男優賞&英国アカデミー賞4部門にノミネートされた。
監督・脚本/シャーロット・ウェルズ
出演/ポール・メスカル、フランキー・コリオ、セリア・ロールソン・ホール
5月26日(金)、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿ピカデリーほか全国公開
http://happinet-phantom.com/aftersun/index.html
配給:ハピネットファントム・スタジオ
© Turkish Riviera Run Club Limited, British Broadcasting
Corporation, The British Film Institute & Tango 2022
Photos:Ayako Masunaga Interview & Text:Tomoko Ogawa Edit:Sayaka Ito